第4.5話 いざ入学式

「えっと、何か?」


 環という名前は女性名であることが多い。今までさんざん女子と間違われてきたし、揶揄われてもきた。きっと今日もそのことを言われるに違いないと身をすくませると、栗色の子は丸い目をさらに丸くしている。


「ごめんね、ちょっとびっくりしただけなの。私も『たまき』って言うから」


 これには驚いた。そんなに珍しい名前ではないとはいえ、同じ名前の子と隣の席になるなんていったいどのくらいの確率だろうか。


「えっ、苗字が? 名前が?」


「あ、私も名前が珠希たまきっていうの。苗字は本城ほんじょう。これからよろしくね」


 本城さんは机に指で文字を書いてみせてくれ、にっこりと微笑む。


 こちらに差し出された手がとても特別なものに思えて、胸が勝手に高鳴りだした。念のために手のひらをズボンで拭ってから、手を取った。小さくて、少しひんやりとしている。こちらの身体が少し熱くなってるからだろう。


「ほほう!! たまきとたまき!! まっこと興味深いでござるな!?」


「なんだ!?」


 突然、俺の机の影から小さな眼鏡っ子が生えてきた。彼女は俺と本城さんを交互に見ると、口角と頬をぐっと持ち上げる。眼鏡っ子といえば静かに日陰に咲いているイメージを持ちがちだが、彼女はまるで正反対だった。外国の血が入っているのか、レンズの向こう側にある瞳はよく晴れた夏空のような色をしている。ふたつに分けて結われた銀色の髪は、ふわふわと波打っていることもあり、空に浮かぶ綿雲を連想させた。顔は美少女と断言してもいい造形で、まるで小さい女の子が好んで遊ぶ人形のよう。


 思わずぼうっと見惚れていると、彼女はその見た目にぴったりな鈴を転がしたような声で、ケタケタと笑いながら話し続けた。


「して、君が噂の『たったひとりの男性魔術師の卵』と」


「あ、ああ」


「ほほん。なるほどなるほど。名簿を見た限りでは男性がいるなどとはつゆほども思わんかったが、なるほど。その名前なら男女どっちでもありうるというわけだね」


 若干独特な話し方をする彼女は大げさに頷いて見せてから、思いっきり俺に顔を近づけてくる。眼鏡をかけているというのに見えづらいのか、吐息がかかり、虹彩の模様まで認識出来そうな距離まで。


 俺の顔が小さな空に写っているのに気がつき、まるで心臓を掴まれたようになってしまった。顔を逸らすのも失礼な気がして必死に耐えたが、もちろん女の子とこんな距離で顔を突き合わせた経験などない俺には少々つらかった。


 同じ年頃の男からしたら夢のような状況かもしれないが、今は素直にときめいている場合ではない。立場が相当に難しい俺の長い長い学校生活の行く上がかかっていると言っても過言ではないこの日に、周りを敵に回してしまうような失態を犯すわけにはいかない。目を閉じて耐えていると、肩をぱちんと弾かれる。


「そう固くなるでないよ。わたしは四宮よつみやシャーリー透子とうこと申す。タマタマ、おふたりともお好きに呼んでくれたまえよ」


「うん、ありがとう」


「ああ、よろしくな」


 四宮……さんは俺と本城さんをやや聞き捨てならないワードでまとめると、軽い足取りで教室を後にした。トイレにでも行ったのだろうか。小学生の時に散々からかわれたことを思い出しながら頬杖をつく。本城さんもそのあとすぐに席を立ち、俺は再びひとりに戻った。


 誰かに話しかけられたりすることはないが、むしろそちらの方が安心だった。まだ入学式が始まってすらいないのに、最初の関門を越えられた達成感で頭がぼうっとした。


「はい、全員揃ってますか」


 ライトグレーのスーツに身を包んだ女性が入室してくる。母親よりは少し若そうな先生は、ハキハキとした声で浅野と名乗った。このクラスの担任で、担当科目は英語らしい。


 なんとなく先生は全員が魔術師なんだと思っていたが、どうやらそんなわけではないようだ。さっきの紺野さんも、きっと普通科目の先生なのだろう。


 担任の自己紹介の後、入学式の段取りについて説明があった。


 開会の言葉、国歌斉唱、入学許可宣言、学校長式辞と続くが、ただの新入生のやるべきことは立てと言われたら立つ、歌えと言われたら歌う、名前を呼ばれたら返事をして立つ、そのくらいのものだった。母親が見ているのでしくじれないが、さすがに高校生にもなればぶっつけ本番でも問題なくこなせると思う。


「続いて新入生代表宣誓ですが、四宮さん、よろしくお願いしますね」


「はい」


 聞き覚えのある名前と声だ。驚いて後ろを振り返ると、四宮さんがなんだか得意げに大きな瞳を細めていた。代表を任されると言うことは新入生総代、要するにこの学校にトップの成績で合格したということだ。


 大勢の前で言葉を述べるなんて、俺なら緊張でどうにかなってしまいそうなところだが彼女には緊張感のかけらもない。両手で頬杖をついてスカートの裾を蹴り、なんなら今にも歌い出しそうな雰囲気。人形のように可愛い見た目をして、なかなかの傑物のようだ。


 その四宮さんの後ろにあの黒髪の子が座っていることに気がついて、慌てて前に直る。ジロジロ見ていたと言いがかりをつけられかねないので、これからも細心の注意を払わねばならないだろう。彼女への対応は今後の悩みの種になりそうだ。


 式後はホームルームと証明写真の撮影を行い、終わり次第解散とのことだった。先生がここまで話したのと同時に、新入生は式場に移動するようにと放送がかかった。


「はい、じゃあ、廊下に出席番号順に整列して」


 先生に促され、互いにとにかく席順を崩さないように気をつけて廊下に出た。前を見ると、長い廊下の先までずらりと同じ瑠璃紺色の制服を着た新入生が並んでいる。さすがに話し声もまばらで、少し空気が硬い。


 やがて講堂へ向け、ゆっくりと列が動き出す。ああいよいよだと、口の中のものを飲み込んだ。


 着慣れない制服の上をさらに緊張感でびっちりと包まれた俺は、不恰好に丸まっていた背筋を正してから、前へと踏み出した。

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