栗色の彼女は決意する

 昨夜、環くんはどこかに消えてしまった。先ほどの終礼で、状況からしておそらく何者かに連れ去られたと説明があり、教室は騒然とした。


 捜査や警戒のためか、放課後になっても警察や魔術庁の人が敷地内をウロウロと歩き回っている状態。学校の中はどこもかしこも異様な雰囲気で、授業を終えて寮に帰るわずかな道のりでも、そういう方と何人もすれ違った。頭を下げながら歩く。


 分かれ道に差しかかる。右に行けば学生寮、左に行けば……泣きながら走る私の影が、目の前を横切った気がした。


 環くんから気持ちを伝えられたのもつい昨日のこと。悲しくて泣いたわけじゃない。嬉しくて、幸せで。天にも昇る心地ってきっとこういうことなんだろうなって……でも、だけど私はずるくて、嘘つきで、汚れていて、後ろめたい。人に危害を加えたことのある人間が、あの綺麗な手を取る資格なんかない、そう思っていた。


 でも今朝、淑乃ちゃんに声をかけてもらって、全ては私の気持ち次第だと気がついた。あの家を出たときに、元には戻らないと決めたはず。だから前の私と決別するために、使えるものはなんでも使って、私はやらなければならない。環くんを見つけて本当のことを伝える。


 もし、それで手を引っ込められたとしても、これっきりは閉じる。知りたいから、近づきたいからって覗き見や盗み聞きはもうしない。もし全てを許されたなら、まっすぐに彼に向き合おう。


 寮の部屋に入ってドアの鍵をかける。幸い、千秋ちゃんは補講があるのでもうしばらくは帰ってこない。念のためカーテンも引いてから、ポケットを探って探査針コンパスを取り出し机に置いた。


 ダメ元でやってみよう。私はカードケースを取り出し、環くんがしばらくの間ずっと持ち歩いていたらしい、のキーホルダーを握り締めた。コンパスの縁をぐるりと指でなぞってから簡単な探査の術式を念じ、センサーにかからないように調節しながら慎重に魔力を流す。


 当然、針はクルクルと回るだけでどこも指さない。魔力を流すのを止める。


「うん、やっぱり探せないよね」


 もうすでにひと通りの魔術をなぞったとはいっても、あいにく私は探査の魔術を得意としていない。だから、魔術庁から来た専門の人にも捉えられなかったものを、捉えられるわけがない。


 でも。


 私は切り札を持っている。『鏡の術具』に記録された彼の写しを使って開いた特別な道。


 この魔術は、に伝わる秘術中の秘術で、自分の魂を、他人のものと直接つなげることができる。これを使って私は彼の夢を何度か覗いたり、入り込んだりもした。あとはこの道を使って相手の魔力を引き出し使ったりもできる。これは今ひとつ使い道がわからないけれど。


 もちろんこれは本来よからぬことに使うための魔術。道を開いた相手を意のままに操ったり、魂を抜き取ってただの入れ物にして、他の……私は出来が悪かったからそこまで教えられてはいないし、これからも知らないままでいい。


 とにかく、これを使って環くんと接触することができれば、居場所だけでもわかるかもしれないということだ。


 私は悪いことに使おうと思って環くんを写しとったわけではなくて……入学式の日に、偶然の出来事で手に入れたものだった。



 ◆



「うわー、もう、何したんだよ。どうなってるんだ? これから写真撮るっていうのに……鏡……トイレ行ってる間に順番回ってくるかもしれないな。もう適当でいいか……」


「あ、あの。よかったら、これ使って。一年間使う写真だし、ちゃんとしてた方がいいかなって」


「ああ、本城……さん、ありがとう。やっぱり女の子はこういうのいつも持ち歩いてるもんなんだな。助かったよ」


 透子ちゃんに髪をいじられてしまってぼやいていた環くんに、鏡を開いて見せた。学生証の写真をこれから撮るのに、あの髪型はあんまりだと思って。それだけだった。本来は手元で使う小さいサイズの鏡だから、環くんは私に頭を下げ、そのまま身をかがめるように手ぐしで髪を整えていた。


 私はその姿を、じっと見た。その時はまだ怖くてお腹の底がそわそわとしていたし、口の中が乾いてたまらなかった。関わりたくなかったけど、隣の席のクラスメイトが困っているのに手を貸さないのもおかしい……色々と葛藤して、貸すことを選んだだけだった。


 本来は写し取るには、ちゃんとした手順を踏まなきゃいけないはずだったし、直接触らせなければ平気だと思っていた。でもこの時に、うっかり写し取ってしまっていたのだ。私が知らない仕掛けがあるのか、それとも、私も何かを編んでしまったのか。原因はよくわからない。


 そしてこの鏡にはある効果も付与されている。古来より鏡は悪しきものを跳ね返すために魔除けとして使われていた。その性質を利用し、この鏡を身につけている限りは他人の魔力の影響をほぼ受けない。探査にもかかりにくいし、動きを止められたりすることもない。


 ただし、例外はあって、写されている人間の力は通すようになっている。だから、環くんは私を探すことができた。そして、私はここに彼の写しがあることに気がついたのだ。



 ◆



「たまちゃん、おやすみ」


「うん、おやすみ。また明日ね」


 いつものように布団の中で目を閉じ、声に出ないように呪文を唱えた。ぬるま湯で満たされたような空間に落ちる。暗く、音もなく、上も下もわからないけれど、もうすっかり泳ぎ慣れている場所。


 いつもと同じ方向に進むと、入り口……あの蛍と同じ色の光がきらめいていた。環くんはどこかで生きてはいて、今は夢を見ているということ。ひとまずホッとしたけれど、それはなぜか夜空に浮かぶ星のように小さい。


 おかしい。距離は関係ないはずだから、たとえこの星の裏側にいたって、こんなことにはならないはず。強力な結界で阻まれてる? ううん、そんな感じでもない。ただ遠いといったかんじ……何かがおかしい。


 環くんは、いったいどこに? でも、細かいことを考えている時間はない。なんとか遥か遠く見える光を目指し進んだけれど、まるで蜃気楼を追いかけているみたいだった。目指す場所が、なかなか近づいてこない。息が続かなくて、どんどん苦しくなってくる。どうしよう。


 これ以上はだめ、早く戻らないと、私はこの闇に溶けて消えてしまう。


 辿り着けないからってここで諦めるの? 変わるって決めたんでしょ?


 そんな二人の私が喧嘩しかけた時、意識がぷつんと途切れた。











 目を開けることができて、飛び込んできたのが見慣れた天井だったことに心底ホッとする。戻ってこられた……体は鉛みたいに重かったけど、なんとか起き上がれた。鳥の鳴き声が耳に届き、カーテンはすでに白く透けていて、もうすぐ朝が訪れることを告げている。


 だるい……魔力がほぼ底をついているかんじだ。今回はかなり危なかったかもしれない。体が動くことは確かめたので、もう一度横になる。


 学校には行けそうだけど、また船をこぐことになってしまうかな。月曜日にも注意されたばかりなのを思い出して、気が重くなる。とにかく今日は実習がなくてよかった。これで魔術を打ったら間違いなく倒れて、しばらく寝たままになってしまう。


 そんなことを考え、走った後みたいに上がった息を整えながら、ごろ、ごろと寝返りを打つ。ベッドサイドの時計を見るとまだ五時半だったので、少しだけ眠ろうとした時、向かいのベッドのルームメイトと目が合った。千秋ちゃんはぼんやりとまぶたを持ち上げて、小さく口を開く。


「……たまちゃん? もしかしてずっと起きてたの?」


「あ、起こしちゃってごめんね。寝てたけど、ちょっと悪い夢見ちゃった……かな」


「ねえ、大丈夫?」


「え」


「眠れなかったんじゃない? だって、たまちゃんってさ、香坂くんのことさ……よけいに心配でしょ」


 彼の笑顔と、最後に見た思い詰めた顔が交互に浮かんで、また涙がこぼれそうになった。布団の中にもぐってごまかしたけど、きっとバレている。


「……早く見つかるといいね。ギリギリのところで起こしてあげるから、ちょっと寝なよ」


「うん……ありがとね……」


 お言葉に甘えよう……そのままぎゅっと体を丸めると、すぐに眠気がやってきた。


 まどろみながらも、考えていた。なんらかの理由で探査にはかからないけど、生きていることだけは分かった。どこにいるのかだけでも確かめられたらと思ったけれど。例えるならば私は片道分の燃料も持っていない状態。とにかく、力がなければどうしようもない……といったん結論を出した。


 魔術は一通り使えても、魔力は人並みしかない私。実家にいた時に出来損ないと呼ばれてたのは、そのせいもあった。私の姉妹は、みんな力も強いし優れている上に、という感じだったから。


「ねえ珠希さん、ちゃんと食べないと力が出ないわよ」


「あっ、ごめんね。ちょっと考え事していて」


「気持ちはわかるけれど、私たちはちゃんと元気でいないと、ね」


 朝ご飯の時間になっても、相変わらずどうしたらいいかを考えていた。目の前には私の大好きな和の朝食が並んで、ふわふわと湯気を立てている。それなのに、私の箸が動かないのを不思議に思ったのか。淑乃ちゃんは心配そうな顔で私を見ていた。


「そうだね、ちゃんと食べなきゃね。お腹空いてたら力が出ないもんね」


 笑顔で頷いた淑乃ちゃん。なぜか今日は、ほうれん草を何も言わずにちゃんと食べてる。いつもは『嫌』って一度は抵抗するのに……何か思うところがあるのかな。私も目についた卵焼きを口に入れた。


 噛むたびジュワッとだしの味が広がる。飲み込めばお腹がキュッと反応して、そこから力が湧いてくる気がした。そういえばこれを初めて食べた時、あまりの美味しさに『この学校に来てよかったなあ』って思ったんだっけ。


 待って。


 ほうれん草のおひたしを全てやっつけ、まるでひと仕事終えたみたいに、ふうと息をついている淑乃ちゃんに目を向ける。


 彼女は……その稀に見る魔力の強さから、国から魔術師になることを望まれ、ここに特別待遇で通っているほど。春に起こした事故も彼女の力の強さを物語っていた。


 だから私ではだめでも、淑乃ちゃんになら。もしかしたら。


 方法が、見つかった。胸が高鳴る。口の中のものを全て飲み込んでから、そっと箸を置いた。お味噌汁を飲んでいる淑乃ちゃんをじっと見据えた。


 うまくやれる自信はあるけど、私のわがままのために彼女を道連れにすることになる。こんなこと許されるのかな。でも、もうこうするしか方法がない。ひとつまみの迷いを放り投げた。


「淑乃ちゃん。一生のお願いがあります」


「え、何? そんなにかしこまって、突然どうしたの?」


「私に、力を貸してください」


「え? ……よ、よろこんで?」


 目を丸くし首を傾げた淑乃ちゃんの箸の先から、お味噌汁の豆腐がぽろんと落ちた。

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