救いの女神は悩み

 カーテンを引き薄暗い自室でひとり、携帯電話を片手に逡巡する。あと一押しすれば、彼女に電話がつながる状態。しかし。


 たったひとりの家族が誘拐されて行方不明。犯人からなんらかの要求が来る可能性があるからと、自宅に待機するように言われているそうだ。遠く離れた土地で待つしかないその心はいかばかりか。


 何か言葉をかけなければとは思うが、今回の出来事は私の手落ちでもある。そばについていながら、気付くこともなかったとは。なので、母親である彼女にどう切り出すべきなのか考えあぐねていたのだ。


 置き手紙を残し、彼が男子寮から忽然と消えてから数時間。まあ、それだけならたまにあるただの出奔だが……なぜか防犯カメラにも一切その姿は映っておらず、巡回していた警備員からも目撃証言は出てこない。


 そのうえ、我々どころか魔術庁の専門技官の精密探査にも引っかからない。居場所に関する手がかりは何もない状態だ。


 手がかり、とは少し違うかも知れないが、おかしなことがひとつ。先ほど彼の部屋から回収してきた空の封筒を改めて見る。


 なんの変哲もない、というより。あの場でも一度、そして持ち帰ってきてからももう一度。何かを掬えないかと出力を限界まで上げてみたが、それでも何も見えてこない。


 あの部屋の中でこの封筒だけが異様なほどに真っ白で、引き出しの奥にありながら逆に強すぎるほどの気配を放っていた。


 調査官はなぜ気がつかなかったのかと不思議に思ったが、彼の手がかりを求めて部屋に立ち入ったのならば、『何もない』ものにわざわざ注目することなどないということか。


 鈍く痛む目を押さえた。術具の補助があったと言っても、少々無茶が過ぎたようだ。瞼を閉じても、ばちばちと自分の色が花火のように爆ぜるのが見える。


 色か…………。


 正体のわからないもの……といえば、先日の実習林でのことが思い出される。あの侵入者、超絶難易度の魔術を二つ同時に展開できるほどの使い手だというのに、未だに正体が分かっていない。


 そのうえ、通常では考えられないほど複雑な経路ルートで空間転移したのか、転移先を追うこともできず、こちらに関しても魔術庁はお手上げの状態だと聞く。


 あの場に散っていた『蛍』。あれは間違いなく四月に見たものと色も形も全く同じ。偶然編み上げられた不安定なものとは全く違う。言語は不明ながらも、整然として緻密な術式で作り上げられた季節外れの蛍。しかし四月のものとは違い、香坂環がやったことではないという。


 やはり、あの侵入者の正体は……前々から頭の片隅にあった馬鹿げた仮説が当たっているのだとしたら、彼の行き先は。


 全ての鍵を握っているのは彼女。それを確かめるためにも……その時、手の中で弄んでいるだけだった電話が声を上げた。ディスプレイには、今まさに頭に思い浮かべていた人物の名前が。一息おいて、電話を取った。


「もしもし、真緒ちゃん。ごめんね、息子が心配かけて」


「ああいや、君も、大丈夫か」


「大丈夫よ」


 顔が見えているわけではない。しかし、我が子が行方不明だというのに大きく取り乱すこともなく、凪いだ海のように落ち着き払った声に聞こえた。『行ってきます』と書かれた置き手紙を思い出し、電話を握る手に勝手に力が入る。


「私は、環くんは、神隠しにあったのではないかと、思っている」


「神隠し?」


「……人間が人の手が届かぬ領域に連れていかれるという話だ。もし、仮にだ。そんな神域に近しい場所が本当にあったとして。もしかして、彼、いや、彼の父親……それに君すらも、そういうところから来た人ならざるもので……だから」


 この世にたった一人の少年、それにどことなく似た風貌の魔術師、それに規格外の天才と呼ばれた彼女。実は人間ではないと言われたとしても……自分でもよくわからぬままに言葉にしていた。


 そんなわけないじゃない、何おかしなことを言ってるの? と笑って返されるか、こんな時にふざけたことを言わないで! と責められる、そう思いながら。彼女はじっと黙っているが、これが何を意味しているのか。馬鹿げたことを言う友人に呆れているということだろうか。


「…………半分、あたりかな」


「えっ」


 まさかの返答に、今度は私が言葉を失った。


「詳しくは真緒ちゃんにも話せないけど、その解釈で合ってる。でも私はこちら側、環は半分とだけ……多分あの子は今、向こう側にいる。私が探しても見つからないし、それにその、接触が、あったと聞いたから」


「……その、向こう側とやらには、彼の父親がいるということなのか? それに、彼の魔術の癖は、向こうの血がそうさせるのか」


 無言。肯定と取った。彼女は息子の父親に関して『どこの誰かもわからない』を貫いているというが、本当は全てを知っている。そして……接触があったということはやはり、あの侵入者がだったのだ。


 やるかたなく、腕を組み、足を組む。衝撃で頭のネジが飛んでしまったのか、まともに思考が組み立てられない。なんとか、言葉を絞った。


「わかった。それではたとえば、君が向こうに行って話をすることはできないのか。いくら連れ出したのがその……だとしても、このままでは、騒ぎが大きくなるだけで」


「ごめんね。こちらからは呼びかけることすらできないの。私には、立ち入るどころか触れることもできなくて」


 確かに、そんな領域に跳んだり繋がるための魔術など、聞いたことがない。いかに規格外の天才といえど、ということだ。


「環は誘導さえしてもらえれば、多分自分の力で跳べるし、姿を隠す魔術もおそらく教わって知っているはず」


 肩が落ちてしまった。それに、この母あってあの子あり……なんとなくそんな気はしていたが、息子もとんでもない素質の持ち主だったようだ。今まで、偶然編んだと思われた魔術もきっと全て……ああそうか、あの封筒の中身は……ああ、もう、どうでもいい。


「……どちらにせよ、あちらからの便りを待つしかないということか」


 電波の向こうで頷かれた気がし、やるせなさに頭を抱える。


 そもそも一体どうして、そんな手の届かないようなところにいる人間と結ばれ子供まで……学生の頃からつかみどころがないというか、いつもどこか遠くを見ている人物だとは思っていたが、ここまで来ると。


「あの、真緒ちゃん。大変なことになってしまっているのに、こんなことお願いするのは」


「ああ、わかっている。今の話は全て私の胸の内にしまっておく。仮に本当のことを言ったところで、錯乱したとでも思われるのが関の山だ。まあ、よからぬことを考える連中にさらわれた可能性も全くのゼロではない。引き続き……まあ、こちらのことは任せておけ」


「ごめんね……私も明日の朝にはこちらを発つから」


「……わかった」


 電話を切り、机に突っ伏した。窓を締め切っていても聞こえる蝉のかしましい声が、かろうじて現実の世界にいるということを知らせてくれる。無理な魔術のせいか、今の話のせいか。まるで熱でも出たように頭がぼうっとするが、あいにく私はここしばらく発熱などとは無縁の健康体だ。


 さて、おぼろげながらも知ってしまったからにはどうするか。彼は父親のところにいるから大丈夫です、とも言えない。そもそも本当に無事だとも限らない。その父親がどんな人間なのか私にはわからないし、それとは別に犯人がいる可能性もあるからだ。


 とにかく今は、そのことに関してだけは知らぬ存ぜぬを通さなければ。囚われすぎて真実が見えなくなってもいけない。しかし、本来隠し事は苦手としている私にとっては、少々つらいことになりそうだ。

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