第68話 母は、語る
寮に帰ってきても、紺野先生はまだ帰ってくる気配はない。何をするでもなく、床に寝転がり天井を見つめていた。ひとりになってしまうと、父親のことが頭の中をぐるぐると回りだす。
全てを握っているのは母親だ。スマホを取り出し、意を決して通話ボタンを押した。コール音が繰り返されている間、固唾を飲んで待つが母親はなかなか出ない。かけ直すか? と思った時、ようやく繋がった。
「もしもし、ごめんね。お風呂に入ってて。どうしたの? 電話をかけてくるなんて珍しいわね」
「ちょっと聞きたいことがあって」
「ああ、もしかして夏休みのことかしら? 母さんね」
帰省の相談だとでも思ったのか、母親は声を弾ませた。俺が久々に帰るのを楽しみにしてくれていたのだろうか。でも。
「いや、違う…………さっき、父さんが、俺に会いにきた」
息を引く音に続いて、ガタンッという大きな音がしたので、驚いて肩が大きく揺れてしまった。母親がスマホを取り落としたのだろう。通話は切られていないが、何も聞こえてこない。俺はひたすら沈黙を耐えた。
「……あの人、なんて?」
声が震えている。こんなに動揺している母親は初めてかもしれない。
俺は、ゆっくりと、ありのままを話した。友達の力で記憶を取り戻したこと。父親に出会い正体を明かされ、魔術を使える俺はここにいてはいけない人間だから、自分についてこいと言われたと。
「それなら、どうして、何にも分からないうちに連れて行ってくれなかったんだって。ここには大事なものがたくさんあって、絶対に離れたくなんかないのに、今さら、いまさらそんな。俺は」
だって父親は俺が魔力を持っているということを知りながら、ここに置いていったということ。そのあと十年も放置しておいて、今さら連れ戻しに来るなんてあまりにも理不尽じゃないか。母親は黙っているが、俺は腹の底から怒りが湧いていた。
「ごめんね。環。全部、私のせいなの。あの人は最初から環を連れて行こうとしたの。でもどうしても手放せなかった……ひとりになるなんて耐えられなかった」
母親はそう言うと泣き出してしまい、怒りの炎に水をかけられた。父親と別れたくて別れたわけではないのか? ならばと、思いついたことをそのまま口にする。
「嫌いになったとか、そういうわけじゃないなら、向こうに一緒に行くわけにはいかなかったのか」
「私は、どうしても越えられないの。瞬間移動術ってあるでしょう? 少なくとも、あれに耐えられないとだめなんだけど」
瞬間移動術。その詳しい原理は一年生の俺の知るところではないが、魂を先に目的地に飛ばして後から身体を持ってくるとか、そういうことらしい。
必要な魔力量も膨大で、その操作も超絶難易度。それでも身体的な適性も必要。全てをクリアしても空間を越える時に行方不明になってしまったり、死亡事故も少なくなく、訓練をするのも大変……と現代魔術概論の授業で聞いた。昔ならまだしも、今では高速で移動する手段が発達しているので、失われつつある魔術だという。
「私も最初の感覚がどうしても掴めなくて、学生の時に習得を諦めてるの。あちらの人は同じ世界を移動するくらいでは滅多にそんなことにならないみたい。環は
そう、『ルールの違い』。父親もそう言っていた。ここには『魔術を使えるのは女性のみ』というルールがある。父親のいる世界にはそれはない。そのほかにも、そもそも魔術のない世界もあるらしい。しかし、なんだ。
「そもそもどうして、別の世界の人間なんかと出会って、こんなことになってるんだよ」
「そうね、ちゃんと話しておかないとね」
母親がぽつりぽつりと語るのを、俺は静かに聞いた。
◆
母親は、俺が今通う学校に首席で入学して、ずっと一番の成績、そして首席で卒業した。『歩く魔術大全』『規格外の天才』などと呼ばれ、一般科目の成績も優秀。特に魔術においては教官をも凌ぐ腕を持ち、正確さや速度で他を寄せ付けなかった。ここまでは俺も知っていた話。
母親は、本科卒業後は専科には進まなかった。他の魔術師と一緒には働きにくかったが、その腕を買われてとある重要な国家機関に所属。単身あちこちを飛び回り、ひとりで任務をこなす暮らしをしていた。そこでなぜか行く先々に姿を表す男性に恋をする。
まあ、それが父親だったと。
異世界からやってきて、調査のためにこの世界をうろうろしていた父親。どうやらどっかで見かけた母親に一目惚れして、それ以降ずっと魔術を使って探査して、追いかけていたんだそうだ。
「……そんなのただのストーカーだろ。それにこの国をあちこち飛び回ってるのに、行く先々に現れる男なんて。不気味なだけじゃないか」
「ねえ、よく考えたら確かにそうよね。でも、ときめいちゃったのよね。『運命の人』かもって思ったのよ」
やっぱりどこか抜けている気がする……と肩が落ちた。昔を思い出したらしい母親は、確かに涙声だがどうも笑っているようだ。こんなふうに恋の話をするなんて、なんだか同じ年頃の女の子のようにも思えるが……まあ、息子としては、母親のそんな話を聞くは恥ずかしいものだが。
まあ、そんなこんなで二人は出会い、俺が生まれた。父親はこの世界の人間ではないから、母さんは相手が誰なのかも言えず、未婚のままで俺を産むしかなかった。
「私ね、実は色々あって、親や親戚とは縁が切れてるんだけどね。でも、あの人とあなたがいれば、もう大丈夫って。新しい家族ができて本当に幸せだったのよね、その時はね」
今の実家ではない家で三人一緒に暮らしだしたそうだが、父親は徐々に体調を崩していった。詳しいことは母親にもよくわからないとのことだが、簡単に言うと、この世界の水や空気が合わない体質らしい。もしや、やたら時間を気にしていたのは、そのせいで長くとどまれないからだったのか?
「…………元気そうだった?」
「いや、見るからに身体が悪そうだった。髪は真っ白だし、杖をついて歩いてて……もしかして結構な歳なのか?」
「ううん。私と同い年だし、髪も黒かったわよ。あちこち悪くしたのが、戻ってないのかしら」
昔の話を続ける母親の声は、次第に曇っていく。父親は向こうとこちらを行ったり来たりしていたが、とうとう身体に限界がきた。これ以上ここで生きていくことを諦めて、やむなく元の世界に帰ることに決めたそうだ。
「あの人は隠していたけれど、最後の方は血を吐いたりもしてたと思うわ。本当につらそうで、起きることすらままならなくなってきてね。このままじゃ力がなくなって帰れなくなるって言われたみたいで。それで」
その時、父親は俺を一緒に連れて行こうとした。でも、母さんが俺を引き渡すことを拒んだため、仕方なく一人で帰ったらしい。そのまま十年以上のあいだ何の音沙汰もなく、生きているのか死んでいるのかすらもわからなかった。
「でも、いつかこんな日が来るかもしれないって、思ってはいたの」
父親のいる世界では、魔術を教える学校はなく、魔術は親から子へ、師匠から弟子へ。小さい頃から教え伝え、時間をかけて磨き上げていくものらしい。同じように父親は、まだ幼児だった俺に魔術を教えてしまった。しかも、この世界のものとは全く系統の違う魔術。
「あの人ね、『え、だめなのか? もう色々仕込んでるぞ』なんてケロッとした顔で言ってね。今思えば、あなたのことを最初から連れて帰るつもりでいたんじゃないかしらって。あの人の立場を思えば、学校や年齢のことを知らないはずがないもの」
母親から指摘された父親は、その目の前で『もうやめような』と俺と約束をしたし、俺もその約束を守り、人前で魔術を使って見せるなんてことはしなかった。しかし実は、こっそり『必要になったら迷うな』とも言われていたのだが。
「だから、魔力を持つことを周りに隠し通すことさえできれば、普通に生きることはできるはず。あなたは男の子、そもそも調べられることもないんだから、簡単なことだって。ずっとあなたと二人で、あの人のことを思いながら生きていこうって」
父親が消えたあと俺たちは元いた街を離れ、遠く離れた実家のある町に引っ越し、母親も仕事を変えた。近隣にも魔術師が一人もいない田舎町で、魔術が必要な案件を全て引き受ける仕事。母親が来るまでは、魔術師が派遣されてくるのを何日何日も待たなければならなかったので、たいへん感謝されたそうだ。
「ちょうど募集があったから飛びついたのよね。私は飛び抜けて速いから一人でも数をこなせるし、周りに魔術師がいなければ、少しくらい何かあったとしても、あなたの力のことを悟られることもないかもって」
見知らぬ町で暮らすことになった俺は、小さいながらも約束を律儀に守って、魔術のことも父親のことも誰にも話さなかったらしい。しかし、やはり小さい子供……ひょんなきっかけで、父親を求めて泣いた俺は力を暴走させ……この時のことも先ほど思い出した。
ただ冷たくて、痛くて、苦しかった。それに、この世界にたった一人になってしまったかのような恐怖感。きっとその感覚を知っていたから、あの日の森戸さんのことを止めたいと願ったんだろう。
こうして俺の力のことは、周りに知られることとなってしまった。母親はうまくごまかしたつもりだったらしいが、後日役所の人間から連絡があり、どう言うことなのか、俺の身柄を預かった上で調べさせてもらうと言われたそうだ。
「単なる口止めではだめだった。あなたはまだ子供だったし、そんなものを破る術はいくらでもあるから。すでにあなたの頭の中に入っている魔術が未知のものだと明らかになってしまうのは、絶対に避けないといけなかった。本当はこの世界の人に、
役所との約束の日の前日。母親は魔術を使って、父親がつけた元の名前とともに、俺の記憶に重い蓋をしてしまった。
なんで名前まで? と思ったが、魔術において名前というのはとても重要で、魔術の効果を強化することができるみたいなことを言っていた。ああ、そういえば授業でも習ったな……名前を知らないものにはかけられない魔術なんかもあるんだっけか。
母親の腕はやはり凄まじかったのか、この国が誇るレベルの魔術師が寄ってたかって調べても、記憶の蓋のことは暴けなかった。母親も父親のことに関しては『突然出て行ってしまった。どこの誰かはわからない。名前や経歴も本当かどうかは知らない』を貫き通したそうだ。
そうして俺は『遺伝子の突然変異』ということで片付いてしまったらしい。
「私が弱かったせいで、つらい目に遭わせてごめんね。もしかしたら、環にとって本当に幸せなのは、あちらに行くことかもしれないって思うようになったの。ひとりぼっちじゃなくなるし、命を狙われたりすることを恐れなくてすむ。だから、あなたがどちらを選んでも、私は」
「……わかった。また連絡するから」
泣いて言葉に詰まった母親に告げ、電話を切った。宙に投げ出されたような気がした。身体に力が入らなくなり、そのまま床に倒れ込む。
行かないで欲しい、という答えを期待していた。十年前にそうしたように、手を掴んで欲しかった。他の誰でもない、母親にだけは『ここにいてもいい』と言って欲しかった。涙が落ちた。
まぶたを閉じる。ここに来て最初に、俺の手を取ってくれた女の子の顔が浮かぶ。色々あったけど、俺のことを大切だと言ってくれた人。ずっとそばにいたいと、願っている人。
「会いたいな」
彼女ならきっと、『ここにいてもいい』と言ってくれる。また、手を取ってくれる。そのために…………。
俺は、珠希さんに自分の気持ちを伝える決心をした。
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