第62話 ドライブをご一緒に

 翌朝。


 スマホの時計を確認すると午前十時。昨日メッセージで指定された時間になった。正門に入ったところにある送迎車用の駐車場で、俺は透子が来るのを待っている。


 二分ほど待つと、白い車が現れて止まった。おそらく乗っているのは透子だとは思うが……車にはあまり詳しくないのでよくわからないが、前に見たのとは少し顔が違うし、だいぶ短いような。自分でドアを開けて降りてきた透子は俺の姿を見つけると、小走りで寄ってきた。


「たまきくん、休みの日にわざわざ呼び立ててすまんな」


「ああ、誘ってくれてありがとう。ところであの車、前のと同じか?」


「よく気づいたの? あちこち出掛けるには、大きすぎると思ってな。少し前に小回りがきくものに買い替えてもらったのだよ」


 透子は真新しい高級車の方を振り返り、ケタケタと笑う。まるで合わない靴を替えたくらいの口ぶりだ。金持ちの感覚はわからない。


「さて、行こうかの」


「ああ」


 二人で車の方に並んで歩く。肝試しの時の透子はカジュアルな服装だったが、今日は膝を隠す丈の空色のワンピース、靴は真っ白で少しかかとの高いもの。後ろで髪をまとめて結い上げていて、いかにもお嬢様の装いといった感じだ。眼鏡もかけていないし、いつものイメージとは全く違う。でも、これはこれでとても似合っている。


 よく見ると、スカートの部分に生地と同色の糸で細かい刺繍が入っていることに気がつく。かなり上等なものであろうことは俺にでもわかった。


 一方の俺はいつもの休日の服装……Tシャツに半端な丈のズボン。サンダルを履いて、背中にはリュックサック。友達と遊びに行くだけならこれで間違ってはいないはずだが、どうにも嫌な予感がする。かき消すように質問を投げた。


「透子、眼鏡はどうしたんだ? 今日はコンタクトか?」


「ああ……あれは伊達眼鏡なんでござるよ」


「え!? 伊達眼鏡!? そ、そうなんだ」


 穏やかな笑顔でさらっと秘密をばらされ、おののいてしまう。なぜ伊達眼鏡なんか。綿菓子の考えはよくわからない。車の横に立つ。


「まあ、単なるアクセサリーのようなものだと思ってくれたまえ」


 俺の表情を読み取ったのか、静かに答える。今日の透子からは普段のぶっ飛んだ雰囲気は一切感じられず、隣にいるのは絵に描いたような良家のお嬢様そのもの。しかし、この大人しさがなんだか不気味に思えて仕方がなかった。


「まあ、乗りたまえよ」


「お、おう」


 運転手さんがいつのまにか横に立っており、ドアを開いてくれた。頭を下げてから車に乗り込んだ。透子も少し遅れて反対側のドアから乗り込んでくる。


 少し短くなったとはいえ大きい車には違いないので、後ろには四人くらい乗れるのかと思っていたが、意外なことに二人乗り。内装は白とベージュでまとめられており、明るいが落ち着いたイメージだ。


「うおお、なんだこれ。すごい」


 思わず声が出る。生まれて初めて座る革製のシートは、まるで身体に吸い付いてくるようで、とんでもなく座り心地がいい。足を目一杯伸ばせるし、前に一つずつモニターまでついている。まるで、テレビで見た飛行機のファーストクラスのようだ。しかし俺は生まれながらのど庶民。こんなところに連れ込まれては、リラックス状態とはほど遠かった。


「何か飲むかね?」


「ああ、いや、大丈夫」


 乗車してまず飲み物をすすめられるのも初めての経験。何かを飲めばうっかり粗相をしそうで怖い。どうにもモソモソとするので、尻の穴を締め腿の上で拳を握り、背筋を伸ばす。


「そんなに緊張せんでもよいのに」


 透子はゆったりとシートに身を預け、ケタケタと笑いながらシートベルトを締めた。俺も慌ててそれに倣うと、まもなくして車が滑らかに動きだした。車窓の景色は流れているのに、揺れはほとんど感じず、音もとても静かだ。


 黙って窓の外を見つめる。この見るからに超高級な車は、母親が持っている軽自動車で言うと何台分の値段がするのだろう。まさか十台ではないだろう。二十台……いや三十台くらいかもしれない。そんな下世話なこと考えていると、透子がこちらをじっと見ていることに気がついた。


「あ、高い車ってすごいな。まるでずっと止まってるみたいだ」


「君は、よしのちゃんと同じことを言うんだな」


 透子は目を細めてケケッと笑う。そうか、二人もこの車に乗ったことがあるのか。珠希さんは……おそらくお嬢様育ち。普段はそうでもないが、たまにそれを覗かせることもある。一方、森戸さんは都会で生まれ育ったとはいえ、その辺りの感覚は俺と近いと思うことが多い。


「そう言えば、今日はなんで。突然びっくりしたぞ」


「まあ、最初に言っておこうか。実は、今学期末で東都ここを辞める。それで、最後にと思ってな」


 寂しげに笑う透子。


「…………やっぱ、そうか。補講受けてないみたいだったし、何となくそんな気はしてた」


 この展開を、半ば予想はしていた。実は透子、俺よりさらに魔術実技の成績が振るわない。というより、未だに魔術が全く使えない。名門家出身の天才として鳴り物入りで入学したのにだ。相変わらず学科はぶっちぎりの一番らしいが、実技は八十人中八十番。


 一年生で唯一、未だに自分の力に気づけていないのだ。


 実は俺が大失敗した初日の授業で、透子は何も起こせなかった。それに関しては『今日は初日だから』と先生たちも言っていたし、他にも同じような子は二、三人いた。しかしそれからも、何をしてもだめだった。


 先生にさまざまな方法で誘導してもらっても、うんともすんとも言わなかったそうだ。先日の実技の試験も、何もできなかったので口頭試問だったらしい。それで補講を受けていないようなのが不思議だったが、やはり退学を考えていたからなのか。


『ごく稀にいるらしいよ。魔力があるのに何をしてもだめな子が。原因は色々あるらしいけど、もしかすると彼女も厳しいかもしれないね』


 紺野先生にこの件で質問したときに返ってきた答えだ。そういう子は、一年生の終わりと同時に退学せざるをえなくなるとも。


 魔術学校へ入学を許されても、全員が魔術師になれるわけではない。法律の縛りがあるため、入試では魔術の実技を課せられないかわりに、魔術学校の一年生は一年間かけて魔術実技の入学試験を受けるようなものらしい。


 そのため、一年生の終わりまでに魔力を使い何も起こせないようなら、魔術師としては不適格と判断されてしまう。しかし先生たちも脱落者を出さないために必死になるので、それが理由でやめてしまう学生はめったにいないらしいが。


「わたしとて最後まで粘るつもりではいたし、佐々木先生や進藤先生もそれを勧めてくれたがの。まあ、母親の意向というか。これ以上あがくのは、単に労力と時間の無駄だと」


「……やめてどうするんだ?」


「……両親は魔術は諦め、早々に他の道へ進めと言ったんだが、やはり魔術を学びたくての。この秋から紺野先生の母校に進む。君も知っているかと思うが、そこなら魔術が使えなくても魔術が学べる」


「透子も先生になるってことか?」


「いんや、これからも学問として魔術を学びたいというだけ。具体的に何をしたいかまではまだ……」


 透子はいつものように足をばたつかせることもなく、しゅんとうなだれた。こいつらしくない、痛々しい姿に胸が詰まり、窓の外に目をやった。景色が静かに流れ続けている。


「そっか、外国に行くのか。寂しくなるな」


「長期休みには帰国するから、その時は、またこんな風にドライブに付き合ってくれたまえよ」


「……わかった」


 車はいつの間にか、市街地を走っていた。信号待ちで車が止まり、再び動くというのを何度か繰り返す。車内の空気は重く止まったまま、窓の外の景色だけがめまぐるしく変わっていく。俺も透子も、何も話せない。


 この学校でできた最初の友達。とんでもない金持ちだし、頭が良すぎて何を考えているかわからない。それに、ケタケタ笑いながらうっとうしく絡み付いてくる、とにかく変なやつだ。でも気は優しくて、面白くて、すごく楽しかった。これからも一緒にいられると思っていたのに、こんなに早く別れの時が来るなんて。


「なあ、たまきくんは、どうやって気付いたのだ?」


 沈黙が破れる。ラムネ瓶の瞳が俺をまっすぐ射抜いていた。それは初めて見る真剣な色。


「君はなぜかここに入学した初日から、学んでもいないはずの魔術を使ったと聞いている。どうして、どうやって、気付いて、それができたのだろう」


 俺としては、それには触れたくない。思い出そうとすると、またあの頭痛がしそうで恐ろしく、動悸がしてくる。それにこれを他人に語ってしまえば、今度こそ自分が消えてしまう気がした。でも。


「……たぶん、誰かが教えてくれたからなんだ。何と言うか、小さい頃に」


「まさか母君がか? 君の母君は相当に優秀な魔術師であると聞き及んでいる。だがしかし、それは禁じ手では」


 それは前に佐々木先生からも言われている。国が行う試験をパスし、魔術学生になるまでは魔術を学んではいけない。たとえ相手が我が子でも、魔術を教えることは禁止されていると。


「いや、母親じゃないことだけは確かだ。でも、じゃあ誰なんだ? と聞かれても、それは思い出せないんだ」


「では、もしや君の父君か?」


 父親。深く考えることを拒絶していた存在。母親が何も語らないため、どこの誰なのかすらもわからない人。しかも父親ということは男性なのだから、魔力も持たないし魔術が使えるわけがないはず。


 教えるだけならば……できるかもしれないが、おそらくそれが出来る人間は世界でもごく限られている。この国には紺野先生一人だけだ。しかも先生は基礎のできている高学年に、術式を読み解く方法や調整法などを教える先生であって、使を教えているわけではない。


「いや、そんなわけないだろ。俺、そもそも、父親のこと全く知らないし。覚えてもいない」


「……ああ、そのように言っていたな。では、その『誰か』に何を教えてもらったのだ?」


 不思議なことに、記憶が漏れ出してくる。膝に抱えられて、上手にできたと頭を撫でられた。夜になれば手を繋いで歩いて、たくさん話をした。甘えれば抱きしめられた。


『めぐる』と、名前を、呼ばれた。


 またあの頭痛に阻まれた。こうなることはわかっていたといえ、この鋭い痛みは何度経験しても慣れない。頭を抱える。


「たまきくん? どうしたのかね?」


「……ごめん。大丈夫だ」


 いや、逃げるな……初めて痛みに抗った。友達に問われているんだ。なんとしても答えを見つけないといけない。


 小さい頃、何を教えてもらったんだ? 魔術を使うのに大切なことを、確かに聞いて覚えているはずだ。必死で、頭の中を探し続ける。痛みがどんどん強くなり、歯を食いしばった。細く伸びている糸のようなものを、ようやくつかみとる。


「おい、本当に大丈夫なのかね!?」


「ちょっと、頭痛いだけ。大丈夫だ……純粋に強く願えと言われた。一番大切なのはそれだと。魔力は願いの力で、願いを叶えるのが魔術だからだって。ごめん、なんかぼんやりしてるよな……小さい頃の話で、このくらいしか」


 とはいえ、荒い息を繰り返すしかない俺。見かねたのか、透子の手が頭に伸びてくる。そっと髪をすかれると、不思議と痛みが引いていった。


「…………なるほど、願いか。ありがとう。でも、やはりわたしにはよくわからない」


 少し伏せられたラムネ瓶の色の瞳は、大きく揺らめいていた。頭がいい透子にはこういう漠然とした話はまどろっこしいものなのかもしれないと、逆に申し訳なくなった。


「ごめんな」


 透子は首を横に振る。車がいつのまにか止まっていることに気がついた。


「いや、わたしが悪いのだから気に病まないでくれたまえ。さて、目的地に着いたぞ」


 目元をさっと拭ってからシートベルトを外した透子に続いて、俺もベルトを外し表を見る。すると、どうにも落ち着かない光景が目に飛び込んできた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る