夏の夜、小さな家で

 今日は少し過ごしやすい夜。たまには冷房をつけないのもいいだろうと、掃き出し窓を開け、蚊遣りの火をつけた。自分で漬けた野菜をお供にして、居間で晩酌を楽しむ。テレビのチャンネルを何回か切り替えて、息子が好きだったバラエティ番組で止めた。


 そのひとり息子はこの春、進学のために遠く離れた都会に行った。私は今、山あいの町にある小さな家に一人暮らし。寂しいと感じる間もないくらい、仕事が忙しいのは幸いかもしれない。


 グラスを傾けながらテレビ画面に目をやる。ためになる情報や、雑学を面白おかしく紹介する番組。あの子は毎週この時間、ここに座って一生懸命にメモを取っていた。


『ためになることばかりだろ。せっかくだから覚えたいんだよ』


 そう言った息子は一日三時間だけ許していたテレビにひたすらのめり込んでいた。大きな秘密を抱えさせたせいかいつも周りから一歩引いていて、積極的にその輪に飛び込んでいくことはなかったからだ。いじめられたりはしなかったことは幸いだし、気の合う友達も少しはいたようだけど。


 それに少し厳しく育てすぎたと思う。片親だからなんて言われたくなかったし、男の子だから、しっかりした子になってもらわなければと必死だった。ゲームやスマホも与えなかったし、動画サイトなんかも見せなかった。


 でも、もう少し甘えさせて、周りと同じように楽しいこともさせてやればよかった。真面目で優しい自慢の息子、だけど滅多にわがままも言わず……人に甘えたり頼ったりすることがとても下手な子に育ってしまったのはそのせいだと思っている。


 魔術学校に進むことが決まってからは、自分のことを隠さなくても良くなったからか、少し明るくなったように思う。学校では友達もできたと言っていたし、一緒に暮らしている先生ともうまくやっていると聞けば、ただ胸を撫で下ろすばかり。


 都会に行けば、ここにはない楽しいこともたくさんあるだろうから、ちょっとくらい無駄遣いをしていたって咎める気もない。学校から送られてきた成績表を見れば、勉強をとてもよく頑張っているのは一目瞭然だから。


 桜が舞い散る中で息子を見送ってから、もうすぐ四ヶ月。時が経つのは早いものだ。今更それを喜ぶかはわからないけど、帰ってきたらたくさん褒めてやらなきゃ、と思う。


 死ぬまでにあと何回、環に会えるのかしら。近ごろはそんなことをじっと考えるようになった。学校を出たら都会で就職して、もうこちらには帰ってこないかもしれない。子供が育って離れていくのは仕方のないこと。喜ばしいことじゃない。そう自分に言い聞かせてはいるけれど、やっぱり、寂しいかな。


 グラスがカランと音を立て、氷がぷかりと浮かぶ。また中身を一口飲む。


 電話が鳴った。環からかなと思ったけれど、表示されているのは旧友の名前。彼女からの電話は、金曜夜の恒例行事になっている。息子の入学をきっかけに縁が復活して、こうやってまた電話で話すようになった。近頃の話題は環の補講での様子と、あとは世間話。今日も晩酌をしながらなので、スピーカーのボタンを押す。


「もしもし」


「真緒ちゃん、久しぶりね」


「先週も話しただろう……さては、また飲んでるな?」


 電話の相手……佐々木真緒ちゃんは、私のとぼけた返答にカラカラと笑う。彼女は強そうな見た目をしているのに、お酒にはめっきり弱くて……詳しいことを話すと怒られるから黙っておくけれど。


「そりゃあ、金曜の夜ですから。環はどう? ちゃんとやってるかしら?」


「相変わらず真面目すぎるほど真面目だ。誰に聞いてもそう言う。いつか折れやしないかと心配になるほどだ」


「私も少し心配してるの。ちょっと厳しく育てすぎたかなって反省してたところ」


「まあ、私に出産育児の経験はないからなんとも言えないが。気をつけて見守るよ。まあ、おおむね楽しそうにやっている気はするよ」


「ありがと」


 グラスのお酒を飲み干して、新しいものを注ぐ。自分好みになるように浸けた梅酒、いつもついつい飲みすぎてしまう。


「ああ。そうだ……蕗会。落ち着いて聞いてほしい」


「えっ?」


 真剣な声色。反射的にグラスを置いて、電話のディスプレイに注目する。環に、何か?


「その、何だ? 環くんを慕っていそうな学生がいてだな……それに彼も、うん。おそらくは」


「ええっ!? 本当に!?!?」


 意外な話に驚きすぎて、グラスを掴んで中身を一気に飲む。あらまあどうしましょう。ドキドキしているのは、酔いがまわったからよね? それにその手の話題を彼女の口から聞くとは。そちらにも驚いた。


「おいおい、妙に嬉しそうだな。まあ、私はその辺りの経験はだから、当たっているかはわからないが」


「……いいや、真緒ちゃんの勘は昔からよく当たると思うわよ」


 真緒ちゃんは笑った。私も笑って、まるで昔に戻ったようになる。東都の同級生で唯一無二の親友だった彼女とは、卒業して二十年経ってもずっとこうやって繋がっていて、実の親よりも付き合いが長くなっている。


 それにしても、環のことを好きな子がいるなんて、びっくり。どうしても、今後のことを想像してしまう。


 もし環もその子のことが好きだったりしたら、いつかお嫁に来てくれるのかしら。もしそうなったら、仲良くできるように頑張って、意地悪な姑だとか思われないようにしなきゃ。


 もし環に子供が産まれたら、私はおばあちゃんになるのね? 孫か、出会ったらどんな気持ちになるのかしら。目に入れても痛くないっていうわよね。うーん、そこまで考えるのはさすがに気が早いか。また一口お酒を飲む。ちょっとクラクラしてきた。


 ……それからは少し真面目な話。少し心配していたことが起こっているよう。それに関してはとりあえず、あの子がこちらに帰ってきてから話し合うと伝え、一時間ほど会話をして電話を切った。


 楽しい時間から、現実に戻ってきた。すっかり暖まった頭を冷やすために水を飲んで、息をついた。


 あの子がうまく魔術を使えないことの原因は、封印が緩んでいるからだと見当をつける。今まで一年以上は平気で持っていたのに、。いつまでも隠し続けるわけにもいかないけど、今はまだ、その時ではない。とりあえずあの子がちゃんとで魔術師になれるまでは。


 夏休みは三週間ほどここにいると聞いているから、その期間をいっぱいに使って、もう少し強めにかけておかないと。やはり周りが魔術師と魔術師の卵だらけで、魔術が飛び交う環境に身を置くことで、封印の劣化も早くなると言うことだろう。次は少し大掛かりになる。今のうちに準備をしておかなかれば。


 そう心づもりをしたところで、眠気に襲われる。酔いも回っているので、グラスとお皿を洗うのは明日にすることにした。一人暮らしになってからは、こんなふうにちょっとだらしなくなってしまっている。今日はもう寝ようと、開けていた窓を閉めてエアコンのリモコンを探した。


 静かになった部屋に、コチコチと耳慣れない音が響いていることに気がつく。何の音? とあたりを見回した。すぐに、飾り棚に置いているから贈られた時計のことを思い出した。


 あの人がいなくなった朝に止まってしまい、手を尽くしてももう二度と動くことはなかった時計。久々に手に取ると、秒針が確かに動いている。目で追いかけるうち、さっきの真緒ちゃんの話を思い出してはっとした。そんなまさか。時計がまた動いたのはたまたまに決まっている。だから、そんなことがあるはずない。


 あの人が、まだ生きていて、環に会いに来たかもしれないなんて。もしかして…………恐ろしい想像に、胸騒ぎが止まらなくなった。

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