第61話 放課後は目まぐるしく

「うーん、急にどうしたんだ、香坂環」


 放課後、補講の時間。三十分ほど課題に取り組んだあと、向かいに座る佐々木先生が記録用のタブレット端末を睨んだ。


「だいぶ良くなっていたのにな。また最初に逆戻りしたようになっている。まあ、昨日は寝るのが夜遅かっただろうから、疲れているのかもしれないな」


 今日はとても調子が悪かった。ビー玉を飛ばしまくったうえに、先生のイヤリングに間違えて魔力を当ててしまい、壊してしまった。しかも、ただのイヤリングではなく術具の一種と聞いて、もし高価なものだったらと背筋が冷えた。


「イヤリング壊しちゃってすみません」


「ああ、そんなことか。すぐに直るから心配はいらない。しかし、今日はもう終わろうか」


 頭を下げた俺に向かって先生は優しく笑いながら、片方だけになったイヤリングを外し、机の上の器具を片付けだす。俺は、もう一つ、先生に言いたかったことを伝えた。


「昨日の夜は、助けていただいてありがとうございました」


「いや、学生を守るのも教師の役目だ、気にすることはないよ。とりあえず、土日はゆっくり休むんだ」


 そのまま佐々木先生はポケットから取り出した手帳を開き、補講は来週の水曜日までと伝えてきた。その後は学期末の関係で忙しく、放課後に時間を取りにくいからと。そして夏休み中は俺の実家が遠方なこともあり、補講は行わないつもりらしい。


「休み中はお母さんにたまに見てもらうといい。私からも伝えておこう……」


「でも、うちの母親は学生に教えちゃいけないのでは」


 学生に魔術を教えていいのは、教員の資格を持っているものだけなのは知っている。母親は腕は立つと有名らしいが、教員の資格を持ってはいない。


「うーん、確かにそうなんだが……なんと言うか、君のについては、お母さんが詳しい気がするからな。ああいやなんでもない。とりあえず今日はここまで」


 佐々木先生が足早に去ったので、ため息をつきながら寮に戻る。制服を脱ぎ、私服に着替えたところでインターホンが鳴った。ドアを開けると、段ボール箱を抱えた宅配業者の人が、少し驚いた顔をして立っていた。


「コンノアカリさんにお荷物です」


 ん? 紺野はともかくとして、アカリ? 首を傾げた。伝票を見せてもらうと、『紺野 燈』と先生の名前。「なんだ、読み間違いか」と思いながら、預けられている判を押して荷物を受け取った。


「ありがとうございました」


 ドアを閉め、ダイニングテーブルの上に荷物を置く。有名な通販サイトのロゴが印刷された箱は薄くて軽いので、中身は映画のディスクというところだろう。新しいものが届くたびに一緒に見ようと誘われるので、今回は怖いやつでないことを祈るしかない。


 勉強をしようとしたところでまたインターホンが鳴る。今度は誰だろう。


「香坂くん、私、私」


 玄関扉の向こうから聞き慣れた声がする。森戸さんが訪ねてきたようだ。


「どうした?」


 ドアを開けると制服の上にエプロンをつけたままの森戸さん。背後に珠希さんを隠しているわけでもなく、珍しく一人なようだ。


「これね、今サークルで作ったお菓子よ。夏だから悪くなっちゃいけないと思って持ってきたの。先生の分もあるから、今日中に食べて」


 渡された袋の中身をサッと確認した。ラップをかけられた容器の中身は黒っぽいもの。ミルクが添えられているので、コーヒーゼリーだと思われる。コーヒーが飲めない俺もゼリーなら食べられるし、コーヒーが好きな先生も喜ぶだろう。


「じゃあ、今からおやつに食べようかな。先生にも渡しとく。きっと喜ぶよ。本当、いつもありがとうな」


「ええ」


 ちゃんと礼を言ったのに、森戸さんは俺から目を離さずにぷうと膨れている。なにか、気に障るようなことを言っただろうか。


「……ねえ、何か私に聞かなきゃいけないことがあるんじゃない?」


「え?」


 森戸さんが盛大にため息をつく。そして腰に手を当て、こちらを睨んでくる。俺より頭ひとつ身長が低いはずの彼女なのに、恐ろしく迫力を持って見える。顔が綺麗なので余計に。


「どうして私はひとりで来たと思う? 珠希さんに『恥ずかしいから一人で行って』って言われたわよ。ねえ、香坂くん、珠希さんに何言ったの? 私のいないところで」


「な、何か言ったっけかな……あ、たくさん食べるなあ……とか?」


 今日の昼間、目の前でおにぎりをもくもくと食べていた姿を思い浮かべた。なんというか、ご飯を食べる彼女は本当に可愛いと思う。リスが餌を食べる姿が可愛いのに似ていると言うか。頬が膨らんでいるのを思い出しただけで和んだが、それを聞いた森戸さんは目を三角にしている。


「信じられない」


「え?」


「あのねえ。フードファイターでもない女の子にそんなこと言っちゃダメじゃない。それに私の食が細いだけで彼女が普通……珠希さん、体型気にしてるみたいだし、傷ついたのかもね」


「えっ!? ああ、うん?」


 ギョッとした。珠希さんは痩せ型の森戸さんや透子と比べると、柔らかそうというか、少し厚みがあるというか。美味しそうにご飯を食べて、その量も少し多いように思う。それが魅力的なのだが……まさか気にしていたとは。


「た、本城さんは、確かにふっくらしてるけど、別に……何というか俺は……そういう子が」


「はあああ!?」


 弁明のつもりだったが、火に油を注いでしまったようだ。とうとう森戸さんに胸ぐらを掴まれる。俺に迫る月夜の色の目は怒りで赤く燃えている、ように見えた。


「ふっくら!? それを思ってても絶対に本人に言うなってことよ!! 口が裂けてもね!! あと、珠希さんは別に太ってないからね!? わかったか!!」


「はいぃっ!!」


 返事をすると、突き飛ばされるように解放された。彼女が太ってるだなんてつゆほども思っていないし、仮に少しくらい太っていたとしても……と思うが、今はいかなる発言も許されない空気だということがわかる。森戸先生の説教を素直に受け入れた。


「はあ。カウンセリングが必要なのは香坂くんの方よね」


「すみませんでした……」


 女の子は難しい。悪気はなかったとは言え、珠希さんに余計なことを言ってしまったと反省し、うなだれた。あとで本人に謝ったほうがいいだろうか。いや、それでさらに傷つけてしまうことになりはしないか? もはやどうしたらいいのかわからない。


「まあ、悪気はなかったみたいだし、上手いこと言っといてあげるわ」


「ありがとうございます!」


 森戸先生はフォローアップがしっかりしている。不甲斐ない俺に向かい仕方なさそうに言ってから帰っていく背中を、最敬礼のままで見送った。



 ◆



 先ほどの段ボール箱の中身はやはり映画のディスク……そして悲しいことに、あからさまには怖そうなやつだった。先生は怪しげな笑顔でパッケージを撫でながら、じっとこちらを見て鼻歌を歌っていたが、知らんぷりをした。


「そういえば配達員の人が、先生の名前を『アカリ』って読み間違えたんですよね」


「ああ、たまにあるんだよね。まあ、確かに『燈』はアカリと読むほうが多そうだなあ。本当はそうしようとしてたらしいんだけど、かがり姉さんと発音が紛らわしいし、性別もわかりにくいから『トモシ』にしたんだそうだよ」


 コーヒーの大きなボトルを抱えた先生は中身をグビグビと飲んで笑う。俺も最近は真似して麦茶をボトルから直接飲んでいる。一口飲んで蓋を閉める。


「たしかにアカリは、どちらかというと女の子っぽいですよね」


「だね。そういえば、君の名前も男女どっちか……うーん、どちらかと言うと女の子っぽいか。そういえば、本城さんも『タマキ』だもんね」


 先生の言うように、『たまき』と言う名前は何度も女子っぽいと言われたことがある。そもそもこの寮に入るきっかけになったのだって、この名前のせいで女子と間違われ、入寮案内を送られたからだった。それに、その他にも何というか……特に小学生の時には散々な思いをした。今となっては好きな人と同じこの名前をとても気に入っているが。


 好きな人と同じ名前。ここで俺はあることを思いつく。


 …………もし、もしも。


「うーん、の場合、もし結婚したら、どうやっても読みが同姓同名になっちゃうよね」


「ほへっ!?」


 柔和な笑顔で繰り出されたのは痛恨の一撃。どう考えても心を読まれているとしか思えず、目の前の男性のことがそこらへんの魔術師よりよっぽど怖くなった。動揺しすぎて思いっきりテーブルに頭を打ちつけ、目の前に星が散る。


「環くん、大丈夫かい?」


「は、はい」


 ……震えながら椅子に座り直す。平静を取り戻そうと、大きなボトルに半分ほど残った麦茶を一気に飲み干した。腹の中がちゃぽちゃぽ音を立て、ちょっと気分が悪い気もした。先生は、ニヤニヤとこちらを見ているが気にせずに、空になったボトルのラベルをバリバリと剥がす。


 結婚。まさにそれを考えてしまった。いや、できるかどうかもわからないし、できるとしてもまだまだ先の話だ。まずはここを出て、魔術師として一人前になって、それから。


 脳内に鮮やかにイメージが浮かぶ。晴れ渡った空、白い教会、澄んだ鐘の音、降り注ぐ花びら……そして目の前にいるのは、純白のドレスに身を包んだ……。


『環くん、大好きだよ』


 花嫁姿の珠希さん、俺はその手を取って……いやいや、俺は一体いつまであの夢、あのセリフを引きずるんだ! ああもうなにを考えている! もう何もかも全部すっ飛ばして……まだ気持ちも言えていないというのに。


 体温が急上昇した。恥ずかしすぎて穴があったら埋まりたかったが、あるはずもないので自分の腿を拳で殴ってから頭を抱える。俺の奇行を見た紺野先生が顎の下に手を添え首を傾げ、しばらく考える様子を見せてから口を開いた。


「うーん。『めぐる』、かなあ」


 不意打ちだった。また突き刺すような頭痛。歯を食いしばり、目を閉じて耐える。先生にその名前の話はしていないはずなのになぜ? そう思っているうちに瞼の裏で笑顔の花嫁が白髪の男に代わり、こちらに手を……あれは誰だ。とっくに思い出しているはずなのに、なぜかわからない。なぜか繋がらない。


「ああ、同姓同名になっちゃうなら、僕の『アカリ』じゃないけど、君の名前を別の読み方したらどうかなって……読みを変えるだけなら簡単だって言うしね、ってどうしたんだい?」


「いや、なんでもないです」


 紺野先生にはそう言ったが、勝手に冷や汗が噴き出す。動悸がおさまらない。


 読みを、名前を変える? なんだろう、どうして、そんなことを、誰が? 思い出したはずなのに。ピースは全て足りているはずなのに。もう少しで組み上がりそうになっても、崩されてしまう。


 …………誰に?


「いや、妙なことを言って申し訳ない。ところで、本城さんは素敵な子だよね。この間、君が熱を出したときにお見舞いを持ってきてくれただろう?」


「ああ、はい」


 先生が話題を変えてくれたからなのか、頭痛は徐々におさまった。額を拭いながら、安堵の息をつく。あの時、珠希さんはお見舞いにとプリンを二つ差し入れてくれた。プリンが食べたいと紺野先生に話した後だったので、偶然に驚いたことがまだ記憶に新しい。


「看病お疲れ様です、先生の分もあるので召し上がってくださいって、僕に声をかけてくれてね。荷物を持つとまで言ってくれたんだよ。僕のことまで考えてくれるんだって、ちょっと感動したんだ。本当に優しくて可愛い子だよね」


 優しい笑顔で話す紺野先生を見て、ある疑念が。まさか先生も珠希さんのことを!? 正直、先生と勝負して、勝てる自信はない。


「先生……」


「あはは、そんな目で見ないでくれるかな。別に君の好きな子を横取りしたりなんかしないよ。プリンを二個とも食べたのも全然気にしてないよ。あれは環くんのために贈られたものであって、僕はあくまでついでだからね」


「別に俺は……」


 おそらく憮然としているであろう俺を見て、紺野先生は相変わらず顔を緩ませている。俺の気持ちをなんとなくわかってて、からかうなんて趣味が悪い。抗議するように頬杖をつくと、メッセージアプリの通知音が響いた。


 俺と先生は同時に立ち上がり、それぞれの机上にあるスマホを確認する。鳴ったのは俺ので、届いたメッセージは透子から。少し前に体調伺いを送ったので、その返事だろう。


『透子・メッセージありがとう。体調に問題はなく、欠席したのは家庭の事情だ。ところで。明日もし暇なら少々付き合ってくれんか?』


 明日は土曜日。休みの日に透子に誘われるとは初めてのことで驚いた。もちろん『いいよ』と返す。すると、待ち合わせの時間と場所を指定するメッセージが間髪入れず飛んできた。

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