第49話 試験の後は
実技試験を終え、清々しい気分で迎えた昼休み。
手にした揚げパンをゆっくりとかじると、サクッとした歯触り。中からとろりとした半熟卵とまろやかな辛さのカレーがあふれ出す。これはうまい。大人気なのも頷けるなと思いながら、黄身を制服に落とさないように気をつけながら二口めを頬張った。
今日は、街で評判のパン屋が出張販売に来る日。可愛い車の前に広げられたテーブルの上には、他にもいろいろな種類のパンが並び、学生、職員問わず人気だ。特にこのカレーパンの人気が凄まじく、噂を聞いて争奪戦に何度か参戦したものの、ずっと負け続けていた。
今日は授業が早めに切り上がったので、念願のカレーパンだけではなく食べたかったものは全てゲットすることができた。佐々木先生に心から感謝する。
「本城さんは毎日ちゃんと野菜食べて偉いよな」
「えへへ、お野菜食べないとなんか落ち着かなくて。今日は鶏肉も乗ってるやつにしてみたんだ」
本城さんは野菜サラダの上のゆで卵と鶏肉を箸で軽くほぐし、上からドレッシングをかけた。それとおにぎりとお茶というのが彼女のいつもの昼食。お昼にもちゃんと野菜を選んで食べるのは、いかにも真面目な彼女らしい。ちなみに本城さんはパンよりはお米が好きらしいので、パン屋の列には並んだことがないらしい。
「淑乃ちゃんってほんとそれ好きだね」
「ええ、ここのフルサンは最高だもの! 毎日でも食べたいわ」
森戸さんは少し遅れて同じパン屋の列に並び、いつものようにクリームたっぷりのフルーツサンドを選んだようだ。確か、今の季節は中身が桃だと言っていたか。彼女の飲み物はフルーツ牛乳ではなく、ここ数日は野菜ジュースに変わっている。昼食くらいは大好きな甘いものだけでいいと言っていたのに、心境が変わったのだろうか。
「香坂くん、実技試験うまくいったんだ! よかったね」
「だいぶオマケしてもらったけどな」
「ここのところ補講頑張ってたものね。あとは学科ね……週末は勉強しなきゃ」
今日もいつもの三人組で、思い思いの昼食を食べる。春のうちは中庭で食べていたのだが、近頃は暑さに耐えられず、先週あたりから場所を冷房の効いている教室に移している。そういえば、この暑い中、透子はどこ行ってるんだろうな。まあいいか。
さて、やはり話題は先ほど行われた実技試験のこと。話を聞けばクラスごとに試験内容が微妙に違ったため一概には比べられないが、Aクラスの森戸さんは『秀』をとったとのこと。Cクラスの本城さんも『優』を取ったらしい……一方、俺はお情けの『可』。やはり、二人には大きく水をあけられているようだ。
いいんだ! 合格には違いない!俺はポテトサラダを挟んであるコッペパンに、大口でかじりついた。これもうまい。そして来週一週間かけて行われる学科試験の話題になる頃には全てのパンを食べ終わっていた。
俺は実技に関してはともかく、学科に関しては何の不安もない。しかし、目の前の二人はそうではないらしく、揃って深いため息を漏らす。
「香坂くんはどうして、毎日実技の補講を受けててもそんなに余裕なのよ。範囲が広すぎて私はもう半分諦めてるわ」
「もしかして、お休みの日はずっと勉強してるとか?」
本城さんに問われ、俺は迷わず頷いた。
「うん。休みの日はずっと勉強してる。飽きたら本読んで、母親とか友達からメッセージ来たら返して、たまにゲームして……筋トレして。外の空気吸いたくなったらランニングして……」
たまには街にも行くが、小遣いも限られているのでしょっちゅうは行けない。良くて月に二、三回程度。ちなみに校則でアルバイトは禁止されている。
森戸さんがポカンとした顔でこちらを見ている。つまらない人間だと思われるのも嫌なので、楽しい話題を探して、そして思い出した。
◆
先週の土曜日、俺は紺野先生の別宅に初めてお邪魔した。男子寮からは徒歩三十秒、隣の棟の一階の部屋だ。
中は散らかっているというほどではないが、少々雑然としていた。置いてあるものからは、どんな人が住んでいるのか読みにくいといった感じ。机の上には立派なミシンが鎮座していた。実家から借りてきたものらしく、先生は少し縫い物をたしなむと言う。
そう言われ足元を見れば大きな段ボール箱が置いてあり、中から白い布がはみ出していた。カーテンか、テーブルクロスでも縫っているのだろうかと思ったが、何を作っているのかを尋ねても笑ってはぐらかされてしまった。
その後は、先生おすすめのアクション映画を二本ほど、お菓子やカップ麺を食べながら一緒に見た。ここ最近の休日で変わったことがあったといえばそのくらいか。
「ねえ、香坂くんってここに修行でもしにきたの? もっと楽しみましょうよ」
「だって先生だって予定とかあるし。そうなると一人で暇を潰すしかないだろ」
俺が口を開くよりも先に、森戸さんが眉をひそめて言うと、本城さんも横で気の毒そうな表情で頷いた。そうは言われても、ここに男子学生はは一人だからしょうがない。森戸さんは野菜ジュースを一口飲むと、ぷうと頬を膨らませた。
「あのね、そういう時は私たちを誘えばいいじゃない。そうだ、試験が終わったら一緒に出かけましょ! ねえ珠希さん!」
「ええっ!? ……う、うん」
二人と遊びに行く、実はその発想はなかった。それもそうかと膝を打ったが、話を振られた本城さんは困ったような顔。彼女が俺と出掛けたいはずがないのだが、勢いづいた森戸さんはもう止まらない。
「そうだわ! だいぶ前に話した温泉にみんなで行きましょ! 透子さんも、千秋さんも、なんなら紺野先生も呼びましょ!」
「……いいね。みんなで行こうよ。私、可愛い浴衣借りたいな」
……なんだと?耳が勝手に動いた。ピンクの浴衣を着た本城さんの姿がはっきりと頭に浮かぶ。
絶対に可愛いに違いない。ぜひ見てみ……いや! だめだ! 申し訳ないが、そんなものを目の当たりにして平静を保てる自信がない。想像するだけでこんなにも顔が熱いんだから、実物はあまりにも刺激が強すぎるのは明らかだ。
「ゆ、浴衣はな、薄着だしな! 足元もスカスカだしな!? そんなところ女の子に見られるのは恥ずかしいから俺はいい!」
情けないことに、そう返すので精一杯だった。だいぶ意味不明だが、仕方がない。
「あのねえ、何を今さら。情けないわね。別にあなたの何かを見たり、見られたところで私はなんとも思わないわよ」
どうやら、森戸淑乃は三ヶ月の時を経て斜め上に進化しているようだ。顔色ひとつ変えず、ただ呆れたような眼差しをよこしてくる。かたや俺はと言うと、全身が無駄に熱い。……いや、やましい気持ちをできるだけ排除したとしてもだ。何の反応もするなと言う方が無理だろ。いくら友達でも異性なんだから。
「香坂くん、淑乃ちゃん、ちょっと、お風呂は別だし、服は着てるからね!」
俺が頭を抱えると、真っ赤な顔をした本城さんが、前にも聞いたことのあるセリフを叫んだ。
◆
その日の終礼後、担任の合図とともに教室にとある人物が入ってきた。
「えーっと、雪寮役員の
そう言って教壇に立ったのは、四年生、雪寮役員の
「夕涼み会は、所属の寮ごとに行うので寮生は全員参加です。今年は一日目が花寮、二日目が月寮、三日目が雪寮で……自宅通学生も希望すれば参加できるんだけど、このクラスには希望する人はいますか?」
後方を見れば、透子がまっすぐに手を挙げていた。一見、優等生モードの振る舞いに見えるが、丸眼鏡の向こうでラムネ瓶色の瞳がらんらんと輝いているのがここからでも見える。そのほかにも何人かが手を挙げていたので、上月先輩は持っていたプリントをそれぞれに配って歩いた。
「試験の時期に申し訳ないんだけど、参加したい人は申込書に必要事項を記入して、来週中に担任の先生に提出してください。質問のある人はいますか?」
クラスメイトが手を挙げ、夕涼み会って何をするんですか? と尋ねた。確かにそれは気になるところだ。前に注目する。
「えっと、夏祭りみたいなものだと思ってください。本部棟前広場でみんなで晩ご飯食べたり、別寮の学生有志が模擬店出してくれたり。魔術の先生が、魔術で模擬花火を上げてくれたりするよ」
そこまで言った先輩が、突然ニタリとした笑顔に表情を変えた。ん、なんだ? 思わず前のめりになってしまう。
「でもメインはね、その後に開かれる、東都高魔大肝試し大会です。魔術の実践を兼ねて、四年生以上の学生と先生たちが全力でみんなの肝を冷やしに行くよお〜。お楽しみにねえ〜」
おどろおどろしい口調で言い、両手首を胸の前で折って幽霊のようにフラフラと揺らすと、どこからともなく歓声が上がった。それをチラリと横目に見つつ、おずおずと手を挙げる。
「はい、一年生くんじゃなかった、香坂くん」
「……あの、それ、俺も参加するんですか?」
「もちろん! 香坂くんは
「わ、わかりました、ありがとうございます」
他には質問はないようだったので、先輩は担任とともに屈託ない笑顔で去っていった。ドアが閉まる音を聞くと同時に、俺は眉間を押さえて目を閉じる。
そのまま放課後に突入した教室は、ガヤガヤと騒がしかった。
肝試しか……できればそれだけは回避したかった。椅子に深く腰掛け、眉間の手を上に滑らせそのまま頭を抱えた。
俺はその。暗いところは別に大丈夫だし、幽霊なんてものが本当に存在するとも考えていない……いや、違う。恥ずかしいことだが、もしかしたらと思っている。だから、本物はもちろん作り物も勘弁してほしい。
男のくせに怖いものが苦手だというのは、あまり知られたくない。もし森戸さんにバレたら、そのことを死ぬまでつつき回されるに違いないし、本城さんにバレたらカッコ悪い……幻滅されたくない。
はぁ、考えれば考えるほど深いため息が出てくるので、ついに両手で頭を抱えた。そのまま聞き耳を立てれば、やはり周りは楽しそうにその話題で盛り上がっているようだ。
「楽しみだね! 試験頑張ろ!」
「魔術を使ったお化け屋敷なんて他にないよね!」
「ああー試験早く終わらないかなー」
……やっぱり、永遠に試験が終わって欲しくないと思っているのは俺だけかもしれない。
ほんとに憂鬱だ、そう思いながら重い頭を上げると、俺の目の前にはなぜか濁った瞳をした透子が立っていた。
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