第48話 実技試験開始!

 七月の第一金曜日の四時間目。場所は特別棟、第四基礎実習室。普段ここにくるのは月曜日の三、四時間目だが、今日はとある事情で時間割が変更になっている。


 広さは普通教室より狭く、黒板の前に教卓、そして机が八台。そのほかには何も置かれていないシンプルな教室である。


 ここで、魔術基礎実習のレベル別Dクラスに所属する、一年三組と四組の六人の学生がそれぞれの席でその時を待っていた。チャイムが鳴りしばらくすると、担当する魔術教官が颯爽と入室してきた。


 一際の長身に、すらりとした手足、整った横顔。教卓の前につきこちらを向くと、黒いマントがはためき、耳を飾る大振りのイヤリングが光る。


 そう。六月の二週目から三週にわたって、俺は授業でも佐々木先生の世話になっていた。俺は全く知らなかったのだが、先生は落ちこぼれと呼ばれる学生を引き上げることに関しては右に出る者がいないらしく、これまでたくさんの留年や退学の危機にある学生を救ってきたらしい。そして、周りは先生のことを敬意を持ってこう呼ぶらしい。


『救いの女神』と。


 目で合図を送られたので、授業開始の号令をかける。この役割はここでもなぜか俺。『どうせ普段もやっているのだからいいだろう』と先生から直々に指名された。


「よし! これより一名ずつ実技試験を行う。名前を呼ばれたら、後ろの準備室に入室すること。試験の内容は前回説明したな。全四項目を順番に、連続で行ってもらう。術具はこちらで用意したものを使用してもらうので、何も持たずに来るように」


 佐々木先生が高らかに試験開始を宣言した。


 とある事情……今日は、前期末の学科試験に先立って行われる魔術の実技試験の日だ。一年生の前期に関しては、実技を伴うのはこの科目ひとつだけ。よって実技試験は今日一日だけだ。この教室では、六人の生徒が元のクラスは関係なく、五十音順に席についている。


「では、香坂環!」


 トップバッターは俺。先月から佐々木先生の補講を受け続けているにもかかわらず、ずば抜けて出来が悪いまま。正直、この最下位クラスの中にいても周回遅れと言っていい状態だった。展開速度を落としさえすれば大きな失敗はしなくなっていたが、そのせいで亀の歩みもかくやと言わんばかりのに鈍い魔術になってしまっている。


 先生の後について、黒板の横にある入り口から実習準備室に入った。


「失礼します!」


 奥の壁面に棚があり、そこには魔術の実習に使うのであろう術具や器具が並ぶ。教室に置いてある机と同じものが向かい合わせに二つ、設置されている。右手の机には伏せられた問題用紙と、お馴染みの木板とビー玉。


 左手には時間を計測するための時計と、センサーに繋がれたタブレット端末、あとは例の紺色のノートがペンと共に置いてある。佐々木先生は左手の机に着席していた。


『ゆっくりでも正確にできることに意味があるのだ』と、佐々木先生が教えてくれたことを思い出し、今一度気を引き締め、右手の机に着席した。すぐ目の前に先生。毎日の補講と同じだが、今日はいつもと様子が違うためか、やはり緊張してしまう。ソワソワとしてきたので軽く座り直し、改めて背筋を伸ばした。


 それを確認した佐々木先生が、俺の目を見て静かに告げた。先生も、いつになく真剣だ。


「それでは、そちらの問題用紙の第一項目から第四項目までを連続で行いなさい。術式は記載のものを使用すること。規定時間は二分三十秒以内。それでは、はじめ」


 問題用紙をめくると同時に、佐々木先生が時計のスイッチを押し、カウントアップが始まる。問題用紙に書かれた全四項目は初見ではない。今まで授業や補講で何度も何度も繰り返したものだ。今回指定されている高さと秒数を確認すると、目を閉じて息を整えた。


 さて、一項目め。実習の授業で一番最初に習った術式を用いて、ビー玉を木板の端まで転がす。


 ビー玉に触れた後、ゆっくりと術式を念じる。積み木を慎重に積むイメージで、指定された色や形、順番を間違えないように。魔術を使うにあたって余分な感覚を閉じ、目前にただ集中する。


 ナメクジよりは少し速いかと言う速度で動き出したビー玉は、まるで初めて一人で歩いた赤ちゃんのようだ。おそらく他の学生の何倍もの時間をかけ、木板の端から端までを転がし切ることができた。吹っ飛ばさなかったのは初めてだった。


 二項目め、そのままそのビー玉を指定された高さまで浮かせる。もう一つ別の積み木の塔を作るイメージ。慎重に、作り上げていく。


 呼びかけに答えるように持ち上がったビー玉は、空中に縫いとめられる。いつも勢い余って天井にぶつけてしまっていたが、これもなんとか……いや、ちょっと高いか? ペンを持つ先生の手が動くのを視界の端で捉えた。チェックを入れられたのかもしれない。


 三項目め、その高さで指定秒数静止させる。一定の出力を保つように心がける。しかし、緊張からか魔力が揺らいでいるようで、ビー玉はふらふらと風に揺れたようになっている。先生のペンが再び動く。


 四項目め、今まで行ったことを逆転する術式を用いて、ビー玉を最初の位置に戻す。出した積み木を、順番に片付けていくイメージだ。ビー玉は重力に捕まってコロリと落ち、そのまま板の上を這うように転がっていく。うまく行っていれば、スタート位置で停止するはずだが……止まった。


 ……以上だ。全ての魔術を解いて唾を飲み、目の前の先生を見据えた。


「よし、よくやった」


 佐々木先生が短く言うと、力が抜け背もたれに体が吸い付き、ついでに首が頭の重さに負け勝手に傾く。呼吸をすることすら疎かになっていたのか、締め切られている部屋の空気が妙に美味しく感じた。


 何と今回は途中で止められることなく、大きな失敗もなく最後までやり抜くことができた。授業や補講では、四項目を単独で行ってもうまく行ったことなどなかったのに。もしかすると、追い詰められた時が強いということなのかもしれない。


「完全に規定時間超過だが……まあ、今回は大目に見よう。一応『可』ということで。よく頑張ったな」


 佐々木先生は微笑みながらペンを走らせている。そこで規定時間のことを思い出し、すっかり崩れた姿勢を正し机上の記録用の時計に目を向けると表示は五分二三秒。倍以上の時間がかかっている。


「え、合格でいいんですか」


「まあ、一年の前期だ。よほどのことがなければ合格を出すよ。別に改善の見込みがないわけでもないからな」


 佐々木先生はノートを閉じると頷きながら笑う。なんとなくだが満足そうな顔に見え、ほっと胸を撫で下ろした。


「ありがとうございます!」


「よくここまでついてきた。でも、補講は夏休み前までは続けよう。きちんと術式をなぞれるようにはなっているから、もっとしっかり癖づけるようにしよう。それから速度を上げることを考えればいい」


「わかりました。これからもよろしくお願いします」


 ありがたい言葉を受けた。立ち上がり、頭を下げた。



 ◆



 俺の後に三人がそれぞれ入室し、笑顔で退室してくる。そして。


「三井千秋!」


 三井さんが、ポニーテールを揺らして立ち上がる。彼女も確か少し速度を落とさないと難しいと言っていて、週に二回だけ進藤先生の補講を受けていると言っていた。


 本城さんと寮が同室と言う彼女とは、先月食堂で初めて話をしてから、挨拶や言葉を交わす仲にはなっていた。四年生のお姉さんは非常に優秀なんだと語りながらうなだれる姿が、天才と呼ばれた母親を持つ自分と重なって以来、勝手に親近感を持っている。


 名前を呼ばれ、準備室に向かう背中を黙って見送った。でも明らかに肩がいかっているし、ガチガチと右手と右足が一緒に出ているが、大丈夫だろうか。扉の向こうでのことを想像すると、いつのまにか手には汗を握っていた。心の中で成功を祈った。


 三井さんは五分もたたずに退室してきた。俺は問題をこなすだけで五分以上かかってしまったが、規定時間は余裕を持って設定されているらしいので……二分半ということは、普通にやれば二分もかからない内容なのだ。


 晴々とした笑顔の三井さんから、ピースサインを向けられたので、頷いて親指を立てて返す。きっとうまくいったのだろう。まるで自分のことのように安心した。


「四宮透子!」


 授業中のため優等生モードの透子は、静かに椅子を引いて立ち上がる。二つに分けてまとめられた銀髪がふわりと揺れ、しゃんと背筋を伸ばして歩く姿はまるで百合の花のよう。不思議と目が離せなかった。試験を終え、こそこそと小声で雑談をしていた同級生たちも、みなその姿に釘付けになっている。


 常にケタケタと笑いながら妙な言動をとり、まるで小さな子供のように俺を弄ぶ彼女だが、黙ってさえいれば誰もが見とれるほどの美しい人ではあるのだ。


 バタンと準備室の扉が閉まった瞬間、三井さんが待ち構えたように立ち上がり、俺の席にやってくる。少しあたりを気にするような様子を見せながら、話しかけてきた。


「あのさ、香坂くんって、四宮さんとも仲良いんだよね?」


「ああ。入学式の時に声かけてくれて、その時から」


「えっと、あの、その。なんていうのかな?」


 三井さんの顔がゆでられたかのように、みるみると赤らめられていく。その後に続けられる質問が何となく見えてしまい、俺は頬杖をつく。


「も、もしかして、つ、付き合ってる? とか?」


 やっぱり。正直、透子とは誤解を招いても仕方のない接し方をしている自覚はあったが、思えば初めて人からこんなことを言われた。しかし、あいつのことは人語を解する綿菓子の妖精くらいにしか思っていない。あくまでも人と妖精の垣根を超えて友達になっただけだ。


「いいや。あいつはただの友達だし、向こうだってたぶんそうとしか思ってないと思うけど」


「あ、そうなんだ。いや、四宮さんというか、四宮家ってさ……もしかしたら香坂くんのこと……その」


「ん?」


 三井さんが小声で何かを言いかけたのに首をかしげたところで、ガチャリとドアの開く音がした。透子も試験を終えたようだ。いぜん優等生モードのままのようで、俺たちに向かって品のいい笑顔を浮かべると、うやうやしく席につく。凛としたたたずまいは、まさに良家のお嬢様と言った風情だ。


 口をつぐんでしまった三井さんは、透子をチラリと見やると自席に戻った。話の続きは気になったが、透子の目の前で聞き返す気にはなれなかった。四宮家が俺を? 一体なんだろう。


「みんなお疲れさま。結果は先ほど通知した通りだ。少し時間は残っているが、今日はもうこれで終わりにしようか。今なら食堂も売店も空いているだろうしな」


 佐々木先生のこの言葉を持って、実技試験は終わった。月曜からは一週間の学科試験期間に入る。学科に関しては今のところそこまで心配することはないので、とりあえず一山越えたということである。

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