第50話 綿菓子は企み、先生は

「透子、どうしたんだよ。そんな死んだ魚みたいな目して」


 いつもなら俺に飛びかかってくる透子が、無言で棒立ちしている。いつもはご機嫌に輝くラムネ瓶色の瞳も、伏せられた長いまつ毛が落とす影のせいで、今は濁った色に見えた。


「自宅通学生がどの寮の祭りに参加できるかは、後日抽選会で決めると。自分では選ぶことが叶わないと。わたしは」


 透子は消え入るような声で言うと肩を落とす。先ほど上崎先輩から渡されたプリントを両手で持って胸に押しつけ、大きな瞳を悲しげに揺らしていた。なるほどわかったと、腕を組んだ。


「…………ああー、そこは抽選なのか」


 本城さんと森戸さんは雪寮。そして俺は住んでいるところこそ『男子寮』だが一応、雪寮の所属である。要するに抽選の結果次第で三人と一人に分かれてしまうということだ。そしてこいつは、俺たち以外の学生と親しくしている様子はない。


「え、どこがいいのか選べないの?」


 隣の席の本城さんが目を丸くすると、透子は噛み合っていない歯車のようなぎこちなさで頷いた。


「ああ、希望者がひとつの寮に偏るといけないからとこの通知文に。よって、君たちと一緒に肝試しをできる確率は、三分の一……要するにサンジュウサンテンサンサンサンサンサンサンサンサン」


「透子、とうとう故障したか……」


 やはりこいつは機械仕掛けだったんだなと思っていると、いつのまにか透子の横には森戸さんがいた。小数点以下のカウントが止まらなくなった透子の手からプリントをゆっくり引き抜き、そのままそれに目を落とす。月夜色の目を左から右に何往復か動かすと、ふんふんと頷いた。


「へえ、試験明けの月曜に、大講義室で公開抽選会をして決めるのね。『くじを引く際、いかなる魔術の使用も一切禁止』ねえ。やっぱり魔術学校というか」


「えー。そうなんだ。せっかくだから一緒がいいよね」


「……ダメ元で上崎先輩に頼むか? いや、やっぱダメだよな」


「一人だけと言うのは不公平になっちゃうものね。でも、やっぱり一緒がいいわよねえ」


 寮生役員をしている上崎先輩は、普段から俺たちのことを何かと気にかけてくれる。透子と一緒がいいと頼めば、もしかしたら便宜を図ってくれるかもしれないと思ったが、これはただのわがままに過ぎない。


 どうしたものだろうか、寮生三人で顔を見合わせたその時、小数点以下のカウントがパタっと止まった。なぜかフッと息が漏れる音がしたので、目の前で俯く綿菓子頭に注目する。


「ふ、ふふはっ……あまりこういうことはしたくなかったが……を見せる時が来たということだな……」


 やや不穏なセリフに俺たちが反応するよりも早く、透子はどこからともなくスマホを取り出し、ケタケタケタケタ笑いながら画面をタップし始めた。目にも止まらぬ速さで画面の上を細い指が滑っていく。


 いったい何を?透子の手のひらにあるスマホを覗くと、俺含め誰しもが利用しているおなじみのメッセージアプリの画面が表示されていた。画面の文字が異様に小さく、目を細めてみても何が書いてあるのかわからないが、凄まじい速さで文字が綴られていくことだけはわかる。その鬼気迫った様子に圧され、俺だけではなく本城さんも森戸さんも固まって動かない。


 あ、透子もこのアプリ使ってるんだ。なら、あとでIDを聞こう……じゃない。


 待てよ?『四宮家の力』ってまさか、なんかこう、マネーの力でくじの結果を操作する的な、そういう…………いや、それはもう完全に悪い金持ちが考えることじゃないか。ダメだろ。疑念で胸が埋まった俺の前で、透子は怪しげな笑顔を浮かべている。


「と、透子? そんな、いくらなんでも山吹色のお菓子を持ち出すなんて、ただの悪代官じゃないか」


「山吹色の菓子? なぁんのことかね? もうこうなってはなりふり構ってなどいられないのだよ、たまきくん」


 ……あ、山吹色のお菓子を渡すのは商人の方だ。まあいいか。


 こちらをチラッと見やり、妖しく目を輝かせた透子は、低い声で質問に答えながらも流れるように文字の入力を続けていた。やがてその手が止まり、スポンと聞き慣れた送信音がする。


「これでよしと。さて、わたしは帰るとするかの」


 透子はけろりとした様子で、スカートのポケットに再びスマホをしまった。しかしその顔をよく見れば、目は銀糸のように細められ、唇は片方だけがつれたように引き上がっていた。この歪んだ笑顔、頭の中ではなんらかの悪だくみをしているのは明らかだ。


 今、目の前にいるのはもはや良家の御令嬢などではない。金の力で何もかもを動かそうとする、悪の組織のボスだ。


「ねえ、透子さん、もしかして、先輩に賄賂わいろを……」


「……どうしてもその三文字が浮かんでしまうよな」


「えっ!? だめだよ透子ちゃん!!」


 俺と同じ疑念を抱き、眉をひそめる森戸さんに、うろたえる本城さん。しかし透子はそんなことおかまいなしと言った様子で、ケタケタっと笑った。


「さあ? どうだろうな。さて……皆のもの、まずは来週からの学科試験、頑張ろうではないか。肝試し、楽しみだのう」


 透子は不気味なほど落ち着いた声でそう返すと、俺たち三人を順に見てなんとも暗い笑みを浮かべる。そのあと、ケタケタケタといつもの笑い声をそこらに響かせながら、ヒタヒタと言わんばかりの足取りで教室から去っていった。


 その後ろ姿がなんだか少女の幽霊のように見え、背筋がつう、と冷えた。



 ◆



 今日も放課後に佐々木先生の補講を受けた。今日受けた試験と同じ内容をこなす。相変わらずカタツムリと競走するのがちょうどいいくらいの速度ではあったが、タイムは少し縮まった。


「よし! いいだろう。あとは学科試験を頑張るんだぞ、香坂環。あとは学科試験が終わって夏休みが始まるまでだな。それで終わろう」


「ありがとうございます。またよろしくお願いします」


 今日は少し早めの夕方五時に帰寮し、着替えてから試験勉強を始めた。ドアの開く音がしたので、時計を見ると午後六時過ぎ。仕事を終えた紺野先生が帰ってきたのだ。


 先生は荷物を下ろすと、鞄の中から取り出した書類ケースを持って、俺の部屋にやってきた。


「はいこれ、寮生役員から預かった夕涼み会のお知らせ」


 …………来た。正直言うと受け取りたくないが、そう言うわけにも行かないので手を伸ばす。


「環くん、大丈夫かい?」


「ハイ、ダイジョウブデスヨ」


「……肝試しが怖いのかな?」


「イイエ、ダイジョウブデスヨ」


「……怖いんだね」


 観念して無言でうなずいた。紺野先生は小さく笑うと、シャツの襟元を緩める。


「まあまあ、説明があったと思うけど、四年生以上の魔術の実践を兼ねたものだから。お化けや幽霊の正体は全員、上級生か教職員だからそんなに怖がることはないよ……まあ、毎年すごく気合が入ってるけどねえ」


 いや、気合が入ってるなら間違いなく怖いだろ。反射的に口からそう出そうになったが、飲み込む。なんせ魔術を使えば、世にも恐ろしい百鬼夜行を実現することもたやすいだろうなと思うと、自然に肩が落ちるというものだ。


 例えば、俺が前に出した蛍だって見方によれば火の玉だ。それに、大掛かりな装置などがなくても姿を消したり現したり、または見た目を変えたりすることもできる。白い布や傘なんかを浮遊させたりすれば、きっとお化けや妖怪のように見え……白い布? そう言えば前にどこかで。


 俺は、紺野先生の別宅にあった白い布のことを思い出した。あれは、きっと肝試し大会に使う小道具だ。ホラー映画大好き教師が、学校行事の肝試しに関わらないわけがない。目の前にある優しげな顔が底知れないものに思え、背筋が冷たくなった。


「それと急で申し訳ないけど、実家で野暮用があって。明日は昼前から実家に帰って一泊しないといけなくなったんだ。日曜の昼過ぎには戻るけど……それでね」


 先生がそう言いながらもう一枚紙を取り出したので受け取った。渡されたのは、右上に枠が引かれ、そこにそれぞれ違う判子が三つ押されている紙。かしこまったものだということは分かった。小難しく書かれている文章を順に読み解いていく。


「え、俺、一人で雪寮に行ってもいいんですか?」


「うん。立ち入っていい範囲は今まで通り、一階の指定場所のみ。でも、僕の付き添いなしでいいし、談話スペースの利用も許可されたから、自由時間に友達と話すこともできるね。時間は女子寮の規則に準ずるから。細かいことはその紙を見て」


 なるほど、先生が出張なんかで不在でも、一人で食事や手続きなんかに行けるようになったということだ。これまでは食事だけではなく、外出届の提出や制服のクリーニングを頼むだけのことでも、先生と一緒に寮の窓口に行かなければならなかった。


「じゃあ、これからは一人で寮に行って、飯を食べるってことなんですね……いや、先生はそっちの方が煩わしくないか」


 もともと一人で食事をすることには慣れているし、一応、声をかけられる友達もいる。しかし先生と一緒に食事をするのがもう当たり前になってしまっていたので、別になると言うのは少し寂しい。


「え。煩わしいなんてそんな。環くんが嫌でさえなければ、ぜひこれからも。とりあえず、土曜の昼と夜と、日曜の朝は一人で行って欲しいってことで」


「わかりました」


 なんだかホッとした。先生はいつもの柔和な笑みを向け、自分の部屋に入り鞄の中身を片付け出す。俺も夕食の時間までは勉強しようと机に向かいペンを走らせた。


「ああ、そうだ。君に限ってそんなことはないと思うけど、僕がいないからと言って、好きな女の子の部屋に忍び込んだりすることのないようにね」


 いきなり背中に投げかけられた言葉で、急ブレーキがかかった。ぐるりと後ろを向く。


「はっ!? えっ!? いや!! そんなことしませんよ!!」


 必死で否定したが、本当のところは頭が熱かった。本城さんの部屋のことを今まで考えたことがないわけではない。どんなものが置いてあるのだろうとか、窓からはどんな景色が見えるのだろうとか。俺にだって、彼女が過ごしている場所に立って、同じものを見てみたいという欲くらいはある。


「冗談だよ、冗談。環くんは僕なんかよりずっと紳士だからね。いやあ、まさに青春だねえ。うらやましいなあ」


 笑い声の後、男の人のものにしては白くて細くしなやかな手が頭に伸びてきて、荒っぽく撫でられる。髪型がどんどん崩れていくのに言いたいことはいろいろあったが、されるがままに髪を混ぜられているうちに、どうでも良くなってしまった。


『好きな女の子』か。もしかして紺野先生にも、胸の内がバレているのだろうか。俺ってそんなにわかりやすいか? 見上げた先には、いつものように細められた夕焼け色の瞳。今日はそれが、とてもいたずらっぽく見えた。

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