楽しくお茶を・3

 和やかに会話が弾むうち、いつのまにか全員の皿が空になり、余分に焼いていた分も全てが誰かのお腹に収まっていた。特に、女性三人は結構な量を食べ、幸せそうな顔。今は今日の感想を言い合っているようだ。


 俺も紺野先生ととりとめのない会話をしながら、隣の女子トークにも耳を向けていた。


「楽しかったからまた呼んでね。その時はうちで作ったレモンのジャムを差し入れしようかしら。おいしいわよ」


「おうちで作るんですか! すごく素敵です! しかし、香坂くんもあんなに上手だとは。まあ、意外と隙がないのよねえ……」


「うんうん、すごくかっこよかった!」


 ……ため息混じりの森戸さんはともかくとして、本城さんの声が、俺の脳髄に直撃した。


 本城さんが俺を褒めてくれた。もともと緩んでいた顔や背筋までもがどろりと溶けそうになったのを、とっさに頬の内側を噛んで食い止める。話の途中で不自然に黙った俺を、紺野先生がいぶかしげな顔で見ているが、そんなことに構ってはいられなくなった。


『すごくかっこよかった』


 何度も何度も、しつこいくらいに反響する。頭の中で色とりどりの花が咲き乱れ、白い鳩がたくさん飛ぶ。その向こうには笑顔の彼女がこちらを向いて……そうか、ここがパラダイスなのか。顔が熱くなるのをもうどうにも止められず、悟られないようにうつむくしかなかった。


「環くん、もしかして具合でも悪いのかい?」


 はい、かなり…………そう言いそうになったのを飲み込んだ。



 ◆



「そういえば、紺野先生って何歳おいくつなんですか?」


 森戸さんが俺には決して向けることのない、艶やかな花のような笑顔で問いかけると、紺野先生も森戸さんを見つめ柔和な笑みを浮かべた。無言で見つめ合う美男美女、まるで恋愛映画のワンシーンのようではないだろうか。ちなみに俺は恋愛映画なんてものは一度も見たことがない。


 さて。年齢の件に関しては、俺も何度か紺野先生に聞いてはいるが、どうしたことかずっとはぐらかされ続けている。大好物であるはずの、激辛カップ麺の新商品をチラつかせても決して吐かないのだ。


 もうすでに学校の先生として数年間はここにいるようなので、どんなに若くても二十代後半……いや、三十歳くらいか。少し見た目が若すぎる気もするが、そういう人はたまにいるし、歳の割に見た目が若いというのはどちらかというと褒められることのように思う。やはり実年齢を隠す理由がよくわからない。


 さすがの紺野先生も、森戸さんのような美人から聞かれれば白状するのではと期待を込めた。紺野先生は夕焼け色の瞳を絹糸のように細め、微笑んでいる。さあ、いよいよか? 勝利の瞬間はすぐそこにまできている。はやる気持ちが抑えられない。


「……今はそんなことはどうでもいいじゃないかな」


「やっぱり教えてくれないんですね!? んあ!!」


 ダメだったか、諦めて立ち上がろうとした瞬間、足先に電撃が走った。足が痺れ、それ以上動けなくなった俺のそばに本城さんが寄ってきて膝をついた。


「香坂くん、どうしたの? ……もしかして?」


 俺は今までに二度、彼女の前で気絶している。きっと今回もそうだと思われたらしい。片膝を立てた半端なポーズを、ローテーブルの天板に手をつきなんとか維持する。


「いや、だいじょうぶ……ちがうんだ……」


 震えながら言葉を絞った。やはり一時間近く膝を揃え正座したままというのは、無理があったのか。しかもその理由は『本城さんによく思われたくて』だなんて、言えるわけがない。


 このあいだ買った物の本ファッション誌の特集記事によると、女の子は本当に細かいところまで見ており、下手な振る舞いをすればすぐに幻滅されると。


 普段も真面目な様子で、今日だって靴をきちんと端に揃えて部屋に入ってくるような子だ。おそらく折目正しい人が好みのはず……そう推理した。『かっこいい』とまで言ってもらえたのに、格好がつかない。なんとかこのままの姿勢を維持し、痺れがおさまるのをまっ


 ぐにっ。


 今度は足先に雷が落ちたかと思った。衝撃がビリビリと膝下にまで広がっていく。犯人は分かっているので、思わず怒鳴りそうになってしまったが、うめき声しか出せない。


「んも、森戸淑乃おお……なにを、する」


「あらあ、香坂くん、大丈夫? ずっと真面目に正座なんかしてるから……」


 口では心配しているようなことを言いながらも、涙目の俺を見てニタニタと笑っている。この人は女優のようだがそれは容姿のみの話で、その演技力は大根役者そのもの。その綺麗なかんばせの下にある悪魔のツラをいつも隠しきれていないのだ。


「あら、もしかして、いいところを見せたい人がいるとか?」


 くそ。俺は黙っていると決めたのに、こんな状況で告白させられてたまるか。しかしそんな思いとは裏腹に、怪しく光る月夜の色の目がどんどん迫ってくる。万事休すか!


「香坂くん。私のせいかしらね? 別に楽にしてもらって構わなかったのに。気がつかなくてごめんなさい」


 銀川先生のオロオロした様子を見て閃いた。『専科の先生が目の前にいて緊張していた』被害を最小限に抑えるためには、もうその筋書きに乗るしかない。


「アハハ! キンチョウシテマシタ! ゴメンナサイ!」


 俺も立派な大根役者だな。目の前の黒髪の悪魔はぷうと膨れている。なんだよ。覚えてろよ。


「そういうわけ。む、無理はするもんじゃないな。まだビリビリするな」


「痺れてるだけだったんだ。また倒れちゃったらどうしようかと思った」


 傍にいてくれていた本城さんに声をかけ、ふと、自らの足元に目を落とした。そして、我が目を疑った。感覚がないので気がつかなかったが、俺の汚い足に彼女の手が添えられている。


「あ、ごめんね!」


 飛び上がるように手が離れた。やはりたまたま手が当たってしまっていただけらしい。できたら早く手を洗ってほしいが、すぐに洗われるのも悲しい……謎の感情が胸に渦巻いた。彼女からしたら俺なんか、どこを触っても汚いものに違いないのに。申し訳なかった。


「香坂くん、そのまま動かないでね」


 ん? こちらに向けられた銀川先生の指先で薄桃色の光がはじけるのが見えた瞬間。不思議なことに足の痺れが消え、それどころか。


「足が? それになんか、すごく身体が軽くなった?」


「わあ、治癒術ですね。しかも、対象に触れずにかけるのはすごいことだよ。この国にこれができる人が一体何人いるか」


 紺野先生が目を輝かせ歓声を上げると、銀川先生がうふふと笑って返す。俺は自分の身に起こったことを理解した。


「ああっ! すみません! ありがとうございます!」


 銀川先生は、実はこの国でも数少ない治癒術の先生。必要な魔力量も多く緻密な操作が必要で、持っている魔力の質が効果に大きく影響するため、使い手をかなり選ぶ魔術である。


 その条件を満たし、治癒術を学ぶ学生はここの専科にもたった三人しかいないらしい。使い手に出会ってこうやってその恩恵にあずかれることなんてそう滅多にあることではない。この一発の価値は計り知れないのだ。


「いいえ、このくらい。おいしいお菓子のお礼よ。やっぱり毎日の補講でちょっと疲れてたみたいだから、ちょっとだけ整えておいたわ……あと、紺野くんの歳はねえ」


 最後の言葉に俺だけではなく本城さんと森戸さんも肩を揺らし、ニコニコと笑う銀川先生に注目した。しかし、紺野先生は横で珍しくその目を釣り上げていた。


「や……銀川先生。それを学生に教えるのは絶ッ対になしですからね!」


「え? まだそんなこと言ってるの?」


「はい。すみませんが引き続きよろしくお願いします」


 紺野先生はストンと座ると、不機嫌そうな顔をしてコップになみなみと残っていたコーヒーを一気に飲み干した。この人と寝食を共にしてまる二ヶ月が経つが、まだ謎が解けることはないようだ。今日は最も真実に近づいた気が……いや。むしろ深まったのか? しかし、どうしてだろうな?


「あら、もうこんな時間なのね」


 森戸さんが時計を見て残念そうに言う。俺も同じように見るとその針は午後三時五十分を指している。銀川先生はこれから夕飯の準備もしなければならないと言うので、楽しいお茶会はここらでお開きにすることになった。



 ◆



 全員で協力して後片付けをした後、それぞれ寮と自宅に帰る女性三人を紺野先生と外廊下に並んで見送った。六月の空はまだ暮れそうにない。


「ううーん、楽しかったねえ」


 男二人だけになれば、紺野先生も大きなあくびを隠すことをしせず、潤んだ目が俺の方に向いた。やはり相当眠たかったようだ。


「環くん、夕食の時間まで寝てもいいかい?」


「わかりました。じゃあまた後で」


 紺野先生は別宅に向かった。男子寮に一人になった俺は、銀川先生が持ってきたミントの枝をコップに挿してキッチンの窓辺に置いた。水に挿しておけば根が出ると言われたからだ。もし根が出たら植木鉢に植えて、ベランダにでも置こうと思う。またこんなことがあれば彩りに使えるし、紅茶に入れてもいいと教えてもらったのでいずれ試してみたい。


 ふと、待たずとも魔術で……と考えたが、首を振って打ち消した。万が一ミントを増やす魔術を編んでしまうことがあれば、せっかく『変な癖』を抑えられつつあるのが台無しになってしまう。佐々木先生に向ける顔がないではないか。


 これ以上ミントのことを考えてはいけないと、窓辺に背を向けて自室に戻った。夕食の時間までは暇なので、机上にあったスマホを手に取りベッドに腰掛ける。画面をタップすると、メッセージアプリからの通知が来ていた。


『母さん・最近どうですか? 今日はお休みでしたね……』


 母親からの久々の様子伺いだった。思い返せば、この頃はこちらから連絡をすることもなかった。補講のこともまだ伝えていない……それはまあいいか。


 俺は綴られている母親の近況を読みながら少し考え、キーボードを立ち上げた。先ほどまでの楽しいお茶会でのことを、小さな画面に指でしたためていった。

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