楽しくお茶を・2

「ホイップクリームは……生クリームに衝撃を与えて、脂肪の膜を壊して、出来上がった構造に空気を抱き込ませて作るの」


 ……原理さえわかっているなら、簡単な魔術を数種類組み合わせるだけでできる、とかなんとか。銀川先生はそう言っていたが、まだビー玉の一個二個を動かす事がせいいっぱいの一年生三人衆は、ふわふわのクリームを前にただポカンとするばかりだった。


 そういえば、うちの母親も漬物を作るときに、早く漬かるようにとなんやかんやとしていた気はする。魔術って暮らしにも便利なんだな。そしてそれを、思いつきでパッとやってしまうプロはすごい。


 なお、魔術の使用に関してはさまざまな決まりや制限がある。しかし、ちゃんと資格のある魔術師なら、家事の手助けをする程度の魔術を自由に使ってもとがめられたりすることはない。


 …………さて、生地は混ざった。クリームはいったん冷蔵庫の中へ。いよいよ焼き上げていく。


 五人分を手早く焼き上げるため、フライパンを二つ同時に熱した。生地を流す前に、フライパンを濡れふきんで一度冷やす。焼き色を均一にするためだ。じゅわりと音を立てたフライパンを再び火にかけてすかさず生地を流し入れ、膨らんでいく生地を見つめた。


「すごく手際がいいわね。料理は実家でもやってたの?」


 銀川先生は俺の横で飾り用のミントの葉を枝からちぎり取ってている。爽やかな匂いが、かすかに鼻を抜けていく。


「はい、えっと。ちょっとだけですけども」


「あら、素敵ねえ。うちの娘の旦那さんが香坂くんみたいな人ならいいのに。まだ小学二年生だけども、どう?」


「……俺じゃちょっと年上すぎませんか? 八歳離れてますよね」


 もちろん冗談だからねと笑う銀川先生に、ですよねと笑って答えると、後ろで洗った果物を拭いている森戸さんから叱責が飛んでくる。


「ちょっと、香坂くん! 鼻の下を伸ばしてないでちゃんと見てて! 焦げるわよ」


「……いや、伸ばしてないし。それに焦るなよ、まだ大丈夫だって」


 表面にプツプツと気泡が浮かび上がってきたので、さっと裏返す。パッケージの写真のような素晴らしい焼き色に我ながら惚れ惚れとして、森戸さんにしたり顔で呼びかける。


「ほら。上手いだろ」


「やるわね、香坂くん」


「わあ! きれいに焼けてるね。それに、いいにおい。あ、お皿はこれでいい?」


「そうだな。足りないなら同じくらいのが棚の下の方にも入ってるから」


 本城さんから皿を受け取り、焼けたホットケーキを乗せる。空いたフライパンに生地を流し込んだとき、玄関のドアが開く音がした。


「ただいま。いやあ、六月ともなると、けっこう暑いねえ」


 本部棟の売店に買い出しに行ってくれていた、この部屋のもう一人の住人が帰ってきたのだ。


「ふふ、はかどってるみたいだね。飲み物を買ってきたよ」


 ふう、と息をつきつつダイニングに入ってきた紺野先生は、休日らしく七分袖のTシャツにジーンズ姿。髪はいつもよりラフにセットされている。両手に持っていたレジ袋を冷蔵庫の前に置くと、中身を冷蔵庫に入れ始めた。その種類は様々で、みんなひとつくらいは好きなものがあるのではないかと思う。


「何種類か買ってきたから、お好きなものを……ホットは、インスタントのコーヒーか安い紅茶でもよければ用意できるよ」


 冷たいのでいいです、と言う声が二人分。俺と紺野先生も頷くと、本城さんが棚からガラスのコップを五つ取り出した。


 紺野先生がベッドの下から折り畳み式のローテーブルと椅子を出してダイニングに運んでくる。


「わあ〜。おいしそうだねえ。まるでお店で食べるみたいだ」


 テーブルと椅子をセットした紺野先生が、ダイニングテーブルの上を見ている。そこには、女性三人の手でクリームや色とりどりの果実、ミントの葉を添えられ、見目美しく仕上げられた人数分のホットケーキが並んでいた。



 ◆



 ダイニングテーブルに女性三人が、俺と紺野先生はその横に置いたローテーブルに向かい合わせに。全員がダイニングテーブルにつけるわけではなかったので、あり合わせのもので間に合わせた。


 なんだかちぐはぐな光景。それでも、テーブルの上に乗ったホットケーキだけは素晴らしいクオリティだ。女の子二人は、スマホでぱちぱちと写真を撮っている。しそうってやつか。


「では、みなさま、今日はお集まりいただきありがとうございます」


 食べる前に何かを言ったほうがいいかもしれないと、立ち上がった俺に向かって、銀川先生が大笑いをした。


「もう、ちょっと。そんな歳でなに言ってるのよ香坂くん。早く食べましょうよ」


 他の三人もおもしろそうに笑っていることに気がつき、急に恥ずかしくなってストンと座った。


「「いただきます」」


 さっそくナイフで切って口に放り込むと、ふわふわに焼けた甘いケーキとまろやかなクリームの味が口いっぱいに広がる。上に乗せられた果実のプチプチとした食感と爽やかな酸味がアクセントになり……


「ふわふわでおいしい!」


「うん、これは美味しいわね!」


「先生が持ってきてくれたフルーツ、すごくおいしいです!」


 三人がキャッキャと盛り上がるのを見ながら、俺も次々食べた。会心の出来だったことに心の中では少しだけ、はしゃいでいたが。


「うん、これはいいね。環くん、ほんと上手だなあ」


 紺野先生は、女子よりは少し低めのテンションでケーキを頬張っていた。その合間に大振りのコップにドボドボとコーヒーを注いでどんどん飲んでいる。その姿はまるで飲んだくれだ。


まあ、飲んでいるものがお酒ではないだけで、紺野先生が飲んだくれであることは変わらないが。


 さすがに女性の目の前だからなのか、いつものようにボトルから直接飲むことはしていない。眠気が強いのか、先ほどから何回もあくびを噛み殺している。


「と……紺野くんは相変わらずね。どうせまた夜更かしばかりしてるんでしょう」


「いや、それは……まあ。あはは。今は仕事が立て込んでるもので……」


 銀川先生もに気がついていたようだ。俺が夜中にトイレに立った時も、先生の部屋の電気はまだついていたので、紺野先生は昨日も夜遅くまで仕事をしていたんだと思う。


「ほんとにそれだけかしらね? 身体を壊したらご両親とお姉さんたちが心配なさるわ。何ごとも、根を詰めるのもほどほどにしなきゃ」


「……銀川先生、その、お坊ちゃん扱いは勘弁してもらえると……学生の前ですし」


「それもそうね。あなたも、もう立派な先生だものね」


 先生二人の意味深な会話を聞きながら、残りのホットケーキを一気に頬張った。以前からなんとなく思っていたが、この二人は単に同じ学校の先生同士という関係ではなさそうな気がする。


「なんか、親戚のおばさんと子供みたいよね」


 いつのまにか俺の隣に膝をついていた森戸さんがぼそっと耳打ちをしてきたので、黙ってうなずいた。確かにそう例えるのが適当な気がする。俺には『親戚のおばさん』はいないが……実家の隣に住んでいて何かとお世話になっていたおばちゃんは、俺に対してこんな感じの接し方だったように思う。

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