6月〈1〉呪いは解けていく

 六月になった。まだ梅雨入りもしていないのに、もう三日連続で雨が降っている。昨夜からは大雨でときおり雷も鳴る。休日とはいえ、こんな天気ではわざわざ外に出る人が少ない。土曜の寮にしてはいつもより賑わっていて、廊下の方からは楽しそうな話し声が聞こえてくる。


 私は、このまま梅雨に入ってしまうのかなと、ゆううつな思いでいた。部屋の窓から外に目をやれば、寮の前の庭園に紫陽花あじさいが咲きはじめているのが見える。まだ咲き始めだけど、何日かすれば色鮮やかになるのだろう。


 今日は、特に予定を入れていない。退屈だなあとため息をつきながら、ルームメイトの三井さんの背中を見つめた。三井さんはさっきからずっとスマホに夢中で、私が見ていることに気づいてすらいなさそうだった。


 そもそも、私たちは同室だけど、クラスも違うしそんなに仲良しというわけではない……入学したての時はそうでもなかったんだけど。


 淑乃ちゃんも実家に帰ると言っていたし、課題も昨日のうちに済んでしまっているから、今日こそ本を読もうかな。そう思って、図書館で借りたまま忘れかけていた本を手に取った時だった。


「それって、あの男子にもらったんだって?」


 三井さんにやぶからぼうに話しかけられて、ちょっとだけびっくりしてしまった。スマホを置いた彼女の目線は、部屋の隅にいるぬいぐるみに向けられている。あの男子、というのはもちろん香坂くんのことだ。


「う、うん。いろいろあって、もらっちゃった」


 曖昧に笑って返すと、三井さんは眉をしかめた。


「えー、大丈夫なの? よく聞くよ、ぬいぐるみの中に盗聴器入れてーって話」


 盗聴器!? 思わぬ疑いをかけられていたことを知って、目を見開いた。それに睨み付けられるような顔を返されて、私はたじろいでしまう。でも、香坂くんを悪く言われるのは我慢ならなかった。


「香坂くんはそんなことをする人じゃないよ。すごくいい人、だから」


「うーん、それはわかんないんじゃない? 突然ぬいぐるみ持ってくるって、気持ち悪いってみんな言ってるよ。ちょっと貸して」


「あっ」


 むすっとした顔を崩さない三井さんは、有無を言わせることなく、私のベッドからぬいぐるみを取り上げた。全身の縫い目をなぞるように見つめてから、中身を確かめるためなのか、あちこちを握り潰したり、こねたりしている。ぐにぐにと形を変えるぬいぐるみを見てひどいとは思ったけど、これ以上波風を立てたくない。じっと黙ってその様子を見ていた。


「うーん。何にも入ってなさそうだね。あっでも、魔術で仕掛け……るのはまだできるわけないか。はい、ありがと」


「う、うん」


 口ではありがとうと言いながらも、ぬいぐるみを元あったところに放り投げるように置いてから、彼女は自分の机の上のものを手早くまとめ出した。


「いちいち女子校に来るやつなんかと、あんまり仲良くしないほうがいいと思うけどな。じゃあ、わたしお姉ちゃんのところに行ってくるから」


「……いってらっしゃい」


 バタンと扉が閉まる音を確認してから、わたしは大きくため息をついた。


 三井さんとは、入学したての頃はそれなりにって感じだったけど、今はさっきみたいにトゲのあることばかり言われてる。噂か何かで実家のことを知られたのか、それとも香坂くんと親しくしているのが気に入らないのか……そのどちらもか。


 この頃はここに帰ってくるのもすごく気が重い。彼女はすぐに同じ寮に住んでるお姉さんのところに行ってしまうから、なんとかやっていけてるけど。学年が上がるときに部屋割りが変わることもあるらしいから、それに期待することにしている。


 ……私はともかくとして、香坂くんは男の子ってだけで疑われてしまうなんて。そもそもここはなら女の子しか入れないとはいえ、『女子校』ではないんだから……と思ったけど。


 私も香坂くんのことを疑ってたんだから、おんなじか。


 自らの今までの行いを思い出すと、さっきよりもさらに大きいため息が出た。崩れ落ちるようにベッドに寝っ転がる。枕元に置かれたのぬいぐるみを手に取ると、雑に扱われて乱れてしまった毛並みを手で撫でて整えた。ぬいぐるみに命や心があるとは思わないけど、容赦なく潰されている姿はやっぱり見ていてかわいそうだった。


「ごめんね」


 当然返事はないけれど、うさっちをギュッと抱きしめ、目を閉じた。廊下の賑わいはいつのまにか静かになっていて、しとしとと降る雨の音だけが耳に届く。



 ◆



 入学して最初の週末。街に出た私は、大きなキャラクターショップを目指した。店に入るとぬいぐるみのコーナーにまっすぐ行って、ユルすみのぬいぐるみをひとつひとつ手に取って確かめる。大きいのから小さいのまでたくさん売っていたけれど、みんなとは目が違ってた。


 探していたのは、プラスチックのキラキラした目がついている子。どうしても同じ目の子が良かったけど、ここに並んでいる子達の目はみんな刺繍だった。思い切って店員さんを呼び止めた。


「すみません。うさっちのぬいぐるみを探してるんですけど。目がプラスチックでできていて、キラキラしてるものはありますか? あの、できたら、大きい子がいいんですが」


 店員さんは少し待つように言うと、レジの後ろにあるパソコンで調べてくれた。私はその間、店の中を回るでもなくその背中をじっと見つめていた。しばらく待つと、店員さんがくるりとこちらを向いた。


「お待たせしました。ユルすみのその、目がキラキラした子はですね。ここ最近は大きいのも小さいのも作られてないんですよ。どこかのお店に在庫があればと思ったんですが、うちの系列には残ってないようですね。申し訳ありません」


 都会の大きなお店に行けば買えるものだとばかり思っていたので、がっかりした。その店員さんにお礼を言ってから、ハンカチを買って店を出た。そのほかにも少し離れたところまで足を伸ばして、何軒かぬいぐるみを置いていそうな店を回った。


 もう、ほとんど意地だった。小さくてもいいから同じ目をした子を迎えたかった。そうしたら、が解けるような気がしたから。



 ◆



 結局、慣れない土地で相当遠くまで足を伸ばした私は、学校行きの最終バスを逃してしまい……あの騒ぎを起こしてしまった。


 私を包んだ蛍火。今でも脳裏に目に焼き付いていて、昨日のことのように思い出せる。数え切れないほどの光の粒がふわふわと浮かぶその光景は、今まで見たどんなものよりも一番きれいだったから。


 光の向こうに立っていたのは、私と同じ名前の世界にたったひとりだけの男の子。香坂くんは、探査の魔術を編み出し規則を破ってまで駆けつけてきてくれた。


 彼とはたまたま同じクラスで席が隣になって、何日か過ごしただけ。実の両親にさえ価値がないと言われ続けて生きていた私に、どうしてそこまでしてくれるのか、理解ができなかった。


 その理由を語った柔らかい声は、もうすっかり男の人のもの。ときに身が縮まるほど怖かったはずなのに、なぜかすごく心地がよかった。


 私が苦し紛れに口にした言葉を、ずっと大切にしてくれていたと。周りの子によく思われたくて取っていた態度が嬉しかったと。


『恩を感じている』と言って私を見つめる瞳は、淡い光を抱えていて、とても温かかかった。誰かにこんな眼差しを向けられるなんて生まれて初めてで、胸がいっぱいになってしまって。香坂くんはそれを見てあわてていたから、きっと悲しくて泣いたと思ったんだろうけど。


 私の話を聞いてきっと何かを察したんだろう。透子ちゃんとじゃれあったり、淑乃ちゃんの隣に遠慮なく座ったりするのに、私には絶対に近寄ろうとはしなかった。普通に話してはくれるけど、できるだけ私のことを避けていたように思う。


 いつのまにか、そのことを寂しいと思ってしまうようになっていた。近寄れないように線を引いたのは自分自身なんだから、しょうがないじゃないと言い聞かせたけど、仲のいい三人を恨めしそうに見つめる嫌な子だったと思う。


 それなのに、また


 腕の中のぬいぐるみを見つめた。キラキラとした目が見つめ返してくる。香坂くんからの贈り物。探し求めていた目をした子。


 まだ彼の体温が残っているこの子を受け取ったとき、昔持ってた子が戻ってきてくれたと思うよりも先に、この温もりがずっと消えないでほしいと願っていた。怖い気持ちなんか、もうとっくに溶けて無くなってしまっていることに気がついた。


 …………私は、香坂くんのことが好きなんだ。間を空けず、すぐ隣に座って欲しいんだ。


 目を閉じて、腕の中の宝物を強く抱きしめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る