5月〈2〉あたらしいともだち・3

 月曜日。学校での授業を終えた俺は、寮へ向かう道を一人で歩いていた。上着のポケットから寮の鍵を取り出し、キーホルダーのリングに指を突っ込みくるくると回した。


 ずっとそのまま持ち歩いていた寮の鍵に、土曜に手に入れたキーホルダーを取り付けたのだ。やはり、キーホルダーをつけた方がポケットにそのまま入れてもわかりやすくて、使い勝手がいい。


 人差し指の先で、鍵とゆるっとしたキャラクターがメリーゴーランドのように回って、一緒に付いている鈴がチリチリと鳴る。それを面白く思って、ついつい回す速度を上げてしまう。


「うん、いい感じだな」


 そう呟いた時、勢いづいた鍵とキーホルダーが指から離れてしまった。空に舞い上がったキーホルダーを追って、俺は走った。方向は後ろだったとは思うが、どこに飛んでいったのか見当もつかない。


 多くの学生が寮に帰る時間帯。急に人の流れに逆らった俺を、けげんな視線が刺してくる。ぶつからないように気をつけながら、地面を這いつくばるように確認する。


 道路には落ちておらず、植え込みの中まで探したが……ない。見上げた桜の木の枝は、すっかり青々としている。どこかに引っかかっていないかと青葉の間を探してみるが、ない。


 もしかしたら、カラスか何かが持っていったのかもしれない。バカなことをしてしまった……魔術の先生に探せないか頼んでみるしかないか。目の前にあるベンチに腰掛け、地面をチョコチョコと跳ねるスズメたちを見つめ、ため息をついた。


「香坂くん、どうしたの? もしかして、探し物してる感じ?」


 不意に名前を呼ばれた。スズメたちがバラバラと羽ばたく。顔を上げると、目の前にはよく知った栗色の……本城さんが、右手に俺の探し物をぶら下げて立っていた。


「あっ! それ、俺の。うっかり飛ばしちゃって。当たったりしなかった?」


「やっぱりそう? 大丈夫。でも、気づかずに蹴飛ばしちゃって汚しちゃった。ごめんね」


「ああ、そんなの平気平気。助かったよ!」


 鍵を受け取った。本城さんは申し訳なさそうな顔をしているが、しっかりと拭ってくれたのか、汚れは特に見当たらない。


「綺麗にしてくれたんだ、ありがとう」


「えへへ、そうだ。香坂くん、ユルすみ好きなんだね? ちょっと意外かも」


 本城さんはいつものように笑うと、一人分の間隔を開け俺の隣に腰掛けた。


『ユルすみ』? ああ、『ユルっとすみか』を略したのか。そう言えば母親もそんな風に呼んでいたような気がする。やはり俺の思い入れなんてその程度である。


 キャラだって、別にこいつが気に入ったとかではない。単にたくさんあったキーホルダーの中から、水色と薄緑のトカゲっぽいキャラなら、男が持っていてもと思っただけだった。


「ああ、まあ、かわいいとは思うけど、好きってほどでは……土曜になんとなくゲーセン行ったら、余るほど取れちゃって」


「えっ、いいな。大好きなんだよね。ウサギみたいなキャラいるでしょ。あの子が好き」


 本城さんがえへへと笑いながら、好きだと語ったキャラには心当たりがある。そう今、俺の部屋の隅に居座っている、あいつのことだ。


「ああ、そのウサギみたいなのって白とピンクの? それも取れたな、キーホルダーと、このくらいのでっかいぬいぐるみが」


 笑いながら両手で円を描いて、大体の大きさを示した。それを見た本城さんは……なぜか栗色の目を揺らめかせ、斜めがけにしている通学鞄のベルトを握りしめていた。その表情を見ていると、ふいに先月の出来事が頭をよぎる。


「ぬいぐるみ……」


 俯いた本城さんがポツリとつぶやいた。俺のせいでまた何かつらいことを思い出させたのかもしれない。さっさと会話を終えればよかった。


「なんか、ごめん」


「ううん。なんでもない。その子の大きなぬいぐるみ、昔持ってて、すごく大好きだったってだけ……ごめんね」


 なんでもないという割には、その目が潤んでいることに気づく。知らなかったから仕方ないのだが、それでも埋まりたくなるほど後悔した。


「そうなんだ。うちの母親もそのウサギが一番好きなんだ。気が合うのかもな。拾ってくれてありがとう。じゃあ」


 いたたまれなくなって、無理やり会話を終わらせて立ち上がる。それっぽく手を振ってから、すっかり学生もまばらになった道を、本城さんを振り切るように駆けた。


 俺が悩んでいること。そのうちのひとつは、本城さんのこと。


 嫌いではないと言われたし、嬉しい、とも言われた。彼女もいつも通り接してくれてはいる。しかしどうしても、あの夜のことが頭にこびりついて離れない。無理をしているのかもしれない、そんな気がして、一対一になるのはずっと避け続けていた。


 寮に戻り、急いで着替えると机に向かった。今日もたくさんの課題をこなさなければならない。数学の問題集とノートを開き、一問だけ解いて、ため息をついた。二問目……はあ。やはり彼女のことを考えてしまって、頭が働かない。ペンをくるくると回す。


 彼女がどうしても気になる。初めてクラスで声をかけてくれて、手を差し出されたことが嬉しかった。それからは、気がつけば目で追っている。食堂でも、どこかに彼女がいないかと探してしまう。


 あの夜もそうだった。いなくなったと聞いたら、いても立ってもいられなかったのだ。


 彼女のことを少し知ってからは。助けたいとか、支えになりたいとか、味方でいたいとか。そればかり考えてしまう。


 でも、きっと余計なお世話だよなとペンを回す手を止め、ため息をついた。中間試験も月末に控えているので、これを終わらせたらそろそろ本格的にテスト勉強にも手をつけようと思っていたのに全く集中できない。


「ああー。もう……」


 問題集とノートを雑に閉じ、景品が入っている物入れの引き出しを開け、中にあるキーホルダーをひとつ摘み上げた。小さい子供の手のひらでも収まりそうな大きさの、ピンクと白のウサギがブラブラと揺れる。


 ……本城さんは、このウサギが好き、なのか。


 同じものは、ここに二つある。ひとつは母親のところに持っていくけど、もうひとつは本城さんに、プレゼントしたら……だめだ。よりによって、男からのプレゼントなんて。俺のせいで大好きなキャラがトラウマにでもなったりしたら。




 ……いや、違う。




 もう、二度と拒まれたくない。俺は怖いんだ。ただ、自分が傷つきたくないだけだ。それに下手に近づいたら、今度こそ拒絶されてしまうかもしれない。だから、今みたいに当たり障りなく、何もしない方がいい。


 そう結論づけて、そっとキーホルダーを引き出しにしまった。しかし、それで別にモヤモヤが晴れるわけではない。再び椅子に座り、問題集とノートを押し除けるように机に突っ伏す。


 高校生になってすぐに彼女を作れたアイツらなら、こんな時でもうまく立ち回れたり、気持ちに折り合いをつけられるのだろうか。


 カッコ悪いのは承知の上で相談したくとも、スマホは先生の鍵付きの引き出しの中。八方が塞がってしまって、頭を両手でかきながらまた深いため息をついた。


 部屋の隅に目をやれば、すっかりそこが居場所になってしまった新しい友達ぬいぐるみがそこにいる。


 ああ。気になる女の子のことを考えて勉強が手につかない姿を、バッチリ見ているわけだよな。ああ、こいつがぬいぐるみで良かった。そう思いながらじっと見ていると、不思議なことにぬいぐるみが何か言いたげな顔をしているように見えてくる。


「なんだよ、ウサギ。こんなやつ、情けないってか」


 なんだかむかついて話しかけたところで、相手はぬいぐるみなので、応えるわけはない。相変わらずウサギは黙ったまま、俺を見つめている。


「……情けないよなあ。わかってるよ」


 目を閉じると、まぶたの裏にはやはり彼女の顔が浮かんできて、声が聞こえてくる気さえする。俺は、おかしくなってしまったようだ。



『昔持ってて、すごく大好きだったってだけ』


『昔から持ってたものは、ほとんど全部、捨てられちゃったしね』


『何があっても誰も助けてくれないって感じで』


 本城さんの言葉を思い出して、はっと目を開ける。立ち上がり、部屋の隅に座っていたぬいぐるみをそっと抱き上げた。黒いプラスチックの目が、まるで意思を持っているかのように輝きだす。


 もしかしたら、こいつが行くべきところは。


 こいつはあくまでも、同じキャラというだけだ。それにもう心に折り合いがついていることかもしれない。子供っぽいものなんかいらないと言われるかもしれない。それに欲しいものだとしても、好きでもないやつから渡されるなんて迷惑だろう。


 なにより、これは彼女の心の傷に触れるようなことだ。そんなことをしたら、今度こそ本当に拒絶されてしまうかもしれない。


 ……でも、もしも、まだ待っていたとしたら。


「行ってみるか、待ってるかもしれない人のところに」


 俺は、決心した。

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