第35話 思案

「先生も知ってると思います。ほら、いつも食堂で俺に手を振ってくれる、髪の短い子。あの、何があったんですか?」


 先生も俺と一緒に食堂に行っているので、見覚えくらいはあるはずだ。先生が、記憶を辿るように、目だけをしばらく上の方に向ける。そして、あっ、という顔で手を打った。覚えてくれていたようだ。


「ああ、あのガラスの時の子か! ありがとう、顔写真を確認する手間が省けたよ。何が……うーん、まあいいか。つまるところ、行方がわからないらしくて」


「えっ!?」


 昼間に街で彼女を見かけていた俺は、大きな声を出してしまった。行方不明ってことか? 動揺で、だんだん喉が乾いてくる。


「今日の昼から夕方まで、買い物のために駅前に外出するって申請が出てたんだけど、寮の門限になっても帰ってこないそうなんだ」


 時計を見ると、時刻は午後九時三十分。寮の門限は、今日は土曜日なので午後八時。すでに一時間半過ぎている。


「あの、魔術で探さないんですか?」


 人探しは、魔術が得意とする分野のひとつとされているため、母親がそういう依頼を受けることもある。このように行方不明になった人の捜索をすることはもちろん、残念ながらそういった人が多数出てしまった災害現場に、魔術師が派遣されることも少なくはない。


「彼女はね……ちょっと特殊、というか。ごめんそれ以上は。ここにある彼女の持ち物は全て新品ばかりらしくて、一度の簡単な探査しかできなかったと。彼女が駅の方にいたのだけは確実らしいんだけど、それ以上は」


 血の気が引いた。昼間に見かけたとき、さっさと食べて外に出て声をかけていたら、行方不明になんかならなかったかもしれない。


 それに、『特殊』とは? ……俺の目には、どこにでもいそうな、ごく普通の女の子にしか見えない。なにか、事情があるのだろうか。下駄箱から靴を取り出す先生の背中を見つめた。


「携帯を忘れて出てるらしくて、こちらから連絡できなくてね。警察にも届けるけど、寮の役員で念のため敷地内を。職員と警備員でここから駅前までを道沿いに探すことになったんだ。バスが終わってしまっているから、帰ってくるのはちょっと大変だし」


 先生は靴紐を結びながら、相変わらずの早口で話す。確かに最終バスはとっくに終わってしまっている。駅からはバスで一五分の距離、坂道も多いので歩いて帰ってくるのは大変だ。


 そこで俺は閃いた。ここにある持ち物が全部新しいせいで探せないと言うことなら。


「あの、彼女の実家の人に探してもらうのは。実家になら昔から使ってたものが残ってるだろうし、探査の魔術を使える人もいるのでは……って、思ったんですけど」


 靴を履き終えた紺野先生が、立ち上がり振り向いた。なぜか険しい表情をしている。


「確かに彼女のご実家には……だけど、こうなっているということから察して欲しい」


 察しろ……とは? 探査の魔術を使える人は、家族の人にいなかったということか。親元を離れたばかりの娘の行方がわからないと聞いたら、方法があるのに探さないなんてことはないだろうし。


 ふと昨日のことを思い出す。来月頭の連休に、帰省するかどうかの会話。移動に半日以上かかるから帰省しない、するなら夏休みだと言った俺、連休いっぱい帰ると言った森戸さん。


 でも、あの時、本城さんは何も言わなかったな。


「お、俺も探しに行きます。実は昼間、駅前で本城さん見たんです。なのに声かけなかったから」


「えっ!? ……いや、だめだ。これは君のせいじゃない。もう門限を過ぎているから絶対に外に出てはいけない、なんとかしようと思ってもいけない。わかったね。信じているからね」


 どうにも嫌な予感はするし、何か手伝えることはないかと思ったのだが。一年生は役に立たないということか。


 紺野先生が出て行って、部屋に一人になった。しばらくは部屋を取り留めなくうろついていたが、やはりいても立ってもいられない。入学式の時に渡された校内の案内図と、昼間に本屋で本と一緒に買ったこの辺りの地図を取り出した。床に方角を揃え並べる。


 駅の方向か。しかし彼女は移動しているかもしれないし、リアルタイムで追いかけられないなら、この探査の結果はあてにはできないだろう。


 仮に、彼女がなんらかの理由で最終バスに乗り遅れてしまい、バス道を歩いて帰ることを試みているとすると。駅まではバスで十五分。途中に坂も多いので、女の子の足なら……歩いて二時間半から三時間ってところだろう。


 地図を目でなぞる。バス道を無視して学校目指して直線に進むならもっと近いが、なんせ道なき道。実際に行くには無理がある。


「ちゃんとこっちに向かってるとも限らないんだよな……」


 考えたくはないが、何者かにさらわれた可能性すらある。手がかりが何もないため、探すとなるとあまりにも途方のない話だ。またうっかり魔術が使えたりしないかと、机の横に置いてある紙袋からあるものを取り出した。


 紙袋の中身は入学前に購入した学用品だ。先日のオリエンテーションで全員に配布され、週明けまでに中身全てに記名してから学校のロッカーに置いておくように言われ、そのために持ち帰ってきている。


 そして、俺が手にしているのは、探査魔術に使う専用のコンパス。見た目は、同じ名前で呼ばれる方角を知るための道具である方位磁針とよく似ている。


 しかし、これは魔術を使用するための道具……いわゆる術具の一種で、女性の手のひらくらいの大きさがある。特殊な素材でできているらしい針は、今は固定されていて動かない。


 専門職の人が使うような厳密に調整されたものではなく、あくまで学校教材用なので性能はそれなりらしいが、実用には十分なものだということだ。


 地図の上に置いて、くるりと円を描くように縁を指でなぞってみた。昔、母親がこうしていたのを見たことがあったからだ。しかし、ポーズだけ真似をしてみたところで、魔術を使うための手順もまだわからない。


 それにここには彼女を探すために必要な媒介となるもの、例えば彼女が長く使っている持ち物とか、あとは髪とか爪とか、そんなものがあるはずもない。


 媒介なしでの探査も可能だが、個人を追うものに関しては、よほどの手練れでないとできないと母親が言っていた気がする。紺野先生の口ぶりでは、この学校の先生にだってできる人はいないのかもしれない。


 俺は腕を組んだ。詳しいことは魔術の授業が始まっていないのでまだよくわからないが、魔術学校の一年生が学用品に専用の道具を買うように言われるくらいなのだから、探査の魔術は基礎基本か、それに近しいもののはず。


 本城さんの実家に関しては、俺の推測の域を出ないが、先ほどの先生の反応から考えると当たっているような気がする。それなのに、誰も探査の魔術が使えないと言うのは、おかしな話だ。


 本城さんの持ち物が、全て新品だというのもよく考えたらちょっと変だ。いくら入学を機に心機一転したいからといって、何もかも全部新しくするなんてことあるんだろうか。


 確かに俺も下着は全て新しいものにしたが、寮に持ち込めるものに制限があるとはいっても、そこまで厳しいわけでもない。実家から愛用の品の一つ、女の子というならお気に入りの服や雑貨なんかは持ってきそうな気はする。


 やはり何かがおかしいと目を閉じて腕を組み、思案する。すると、とある考えが頭に浮かび背筋が次第に冷たくなっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る