第34話 報せ

 昼の三時過ぎに寮に戻った俺は、自室でのんびりと過ごしていた。先生も今頃は別宅で、久しぶりの一人の時間を満喫しているはずだ。


 買ってきた本はさっそく本棚にしまい、新しいメモ帳を制服のポケットに入れた。シャンプーやリンスも風呂場に置いた。持ってきたものがなくなるまえに、無事に新しいものを確保できてよかった。


 それから、母親に電話をかけた。きっと待ちかねていたのだろう、ワンコールもしないうちに母親が出る。妙に弾んだ声だ。


「もしもし? ちゃんと帰ってこられたの? 街で怪しい人に捕まったりしなかった?」


「帰ってきたよ。友達からも心配された。俺はそんなに怪しい人の餌食になりそうに見えるのか」


 もちろん、自分ではそうは思わない。しかし、友達にも母親にもそろって心配されるということは……俺に何か感じるものがあるのかもしれない。


「あら、もう友達ができたのね! よかったじゃない」


「同じクラスに何人か。なんとかやってるよ」


 母親は喜んでくれた。他にも、紺野先生の話だとか、くじを引いたら委員長になってしまったとか。街は色々とすごかったとか。そんな話を後につなげていく。


 俺も話を聞く。ご飯を二人分作ってしまったとか。お裾分けの野菜がひとりでは食べきれないとか。やっぱり寂しいわ。なんて言われると、胸が詰まってしまう。


 ……心細くなって俺も泣いてしまっただなんて、口が裂けても言えないが。


「母さんこそ、怪しい人に騙されるなよ。あと女性の一人暮らしは、とか言うだろ。気をつけて」


「ええ、そんな心配してくれるの? 大丈夫よお。腕っ節はないけど、魔術の腕には自信があるから。悪い奴の一人や二人やっつけるくらい造作もないわ」


「そうだったな」


 生まれてから三日前まで、ずっと一緒に過ごしていたはずなのに、その日々はもう幻のようにも思える。俺は、確かに新しい一歩を踏み出したのだ。



 ◆



 夕方の五時ごろ別宅から戻ってきた先生は、玄関のドアを開けるやいなや目を輝かせ……例のカップ麺をひとつ、瞬時に平らげた。とても美味しそうに食べている姿を見て、俺もすこし興味が湧いたが、近寄るだけで湯気が目に染みた。


 これはだめだ。あのマグマのように赤いスープには、いったい何本の唐辛子が溶けているのだろうか。考えただけで恐ろしかった。


 そうこうしていると夕食の時間に。さっきラーメンを食べまたばかりの先生は、昼間に見たらしいホラー映画の話を楽しそうにしながら、むしろいつもより多い量を食べていたように思う。


 先生は背は高いものの痩せ型。そのうえ朝食を食べないと言っていたくらいだから、少食なんだと思い込んでいた。しかし、実はそうでもないのか、好きなものは別腹なのか。昼食を抜いていたのか? と思ったが定かではない。


 ……実は怖い話が苦手なので、少しだけ震えながら聞いた。先生とは趣味が合うかもしれないと勝手に思っていたが、そうでないところもあるようだ。


 そうして夕食を終え、交代で風呂に入った。いつものように洗濯物を干していると、紺野先生が椅子をこちらにくるりと向けた。その顔はご機嫌そのもの、まるで遊園地から帰ってきた子供のようだ。


「いや、本当にお使いに行ってくれてありがとう。残りも大事にいただくね」


「それ、人気らしいですね。一軒目には一個しかなくて。コンビニをはしごって生まれて初めてでした。あ、近くにはコンビニが一軒しかなかったからなんですけど」


「それは手間をかけさせたね。そうだ。また時間が合うようなら、一緒に街に行かないかい? 服屋とか」


「いいですよ! って!? 待ってください。やっぱり俺、変なんですか?」


 初日に、私服のセンスが独特だと言われたのをしっかり気にしていた俺は、干しかけていた服をじっと眺める。


 ……はっきり言ってセンスなんてものには自信がない。


 今まで着る服といえば、主に母親が買ってきたもの。自分で選んで着るとしたら、制服かジャージかパジャマの三択しかなかった。


 ファッション誌なんてものに生まれて初めて手を出したのはそのためだ。しかし、俺にはやや難解で……結局、興味のある話題を扱っていた読者投稿コーナーをかじりつくように読んだだけ。服の方は、先生に見繕ってもらった方が良いかも知れない。


「いや、そういうわけじゃないよ。単に磨けばもっと光る気が……あと自分の服も欲しいしね。まあ、楽しみにしているよ」


 紺野先生は綺麗な色の目を細めて、ふふふと意味ありげに笑う。


 どうしよう。俺はこの笑顔を、素直に受け取れなくなっている。不審なのは百も承知で胸を押さえた。そんな俺の複雑な胸の内など知るよしもない先生はその笑顔を崩さない。


「行ったのは文具屋と本屋とドラッグストア……か。本部棟の売店では物足りなかったのかな?」


「すごいと思います。学校の売店なのに、地元の大きい店くらいあるし。でも、品揃えが完全に女子向けなんですよね。当たり前ですけど」


 売店の光景を思い出し、苦笑いした。入学や入寮のしおりに書かれていた持ち物。『校内売店にて購入可』と書かれていたものは、荷物になってしまうので持ってこなかった。シャンプーやリンスも旅行用にしておいたのだ。


 そして入学二日目の放課後、必要なものを揃えるために、本部棟にある売店に行ってみた。


 しかしらそこで売っていたのは……色々な意味で俺が使うにはちょっと、と感じるものばかり。女子学生しかいない魔術学校という場所柄、致し方ないことだとは思う。


 もちろん、色やらデザインやら香りやらを許容できるのならば、問題なく使用できるのだが。


 紺野先生はそこはあまり気にしないみたいで、身の回りのものは、ほとんど売店で調達していそうな気がする。たとえば、風呂場に置いてある先生用のシャンプーは、ザ・女の子! といった銘柄だ。


 でも俺は、そういうことを気にしてしまう人間なのだ。


 その時、電話の着信音がした。自分ののスマホを見るも画面は暗いまま。先生が、自分の机の上から自分のものを取った。先生と俺のスマホはたまたま同じ機種で、二人して着信音も初期設定そのままだ。


「はい、紺野です。はい。ええ、男子寮にいますよ。え? 一年生が? 探査できないんですか?」


 先生は電話に出て立ち上がってダイニングに向かうと、立ったまま誰かと話している。こっそり様子を覗き見ると、曇りきった表情と少し低めの声から、よからぬことを知らされているのは明らかだった。


 まさか、先日のように誰かが暴走をした? あの時は上級生が、残っている先生がいたら、全員を呼んでくれと言ってた気がする。


 しかし紺野先生は魔術師ではなく、あの時も自分には何もできないと言っていた。だとしたら今日は何が?


「わかりました。私も至急向かいます。一年四組、雪寮の本城珠希ですね。はい、では後で」


 ……あれ? 今、本城さんの名前が出てきたような。


 ひどく嫌な予感がして、腹のあたりがムカムカした。電話を切った先生は大急ぎといった様子で、パジャマを脱いでベッドに投げた。服装を長袖シャツとズボンに替えて、カーディガンを羽織り、仕事に行く時のように職員証を首からかける。


「ごめんね、ちょっと緊急の用ができて、今から出てくるから。もし消灯までに僕が戻ってこなくても、決まってる時間は厳守。君の携帯は時間になったら僕の机の上だよ。信じてるから。あと、戸締りはしっかりね」


 先生はスマホを操作しながら早口で言うと、玄関に向かう。慌てて後を追い、その背中に声をかけた。


「今、一年四組の本城って」


「ああ、そうか、君と同じクラスなんだね。知ってる子かい?」


 今にも靴を履こうとしていた先生が、こちらを振り返った。

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