第33話 駅前に、降り立つ

 バスから降り立った瞬間、目の前を行き交う人の多さに、めまいを覚えた。歩き出してみてもなかなか治まってくれない。前に来た時もこんなに人が多かったか? キョロキョロと辺りを見回した。


 しかし、よく思い返せば……入学式前日、初めてここに来た時は荷物を抱えながら、母親とはぐれないように歩くのに必死だった。


 そして入学式当日の朝。母親がホテルから先に学校に向かってしまった。大都会にひとり取り残されてしまった俺は、正しいバスに乗るために全神経を集中させていて、街の光景まであまり記憶していなかったのだ。


 なあ、森戸さん……これのどこが、大きな駅じゃないし人もそんなにいないって言うんだ? めちゃくちゃ人がいるし、駅に駅員さんがいて忙しなく動いているのが見える。


 そう、ここは無人じゃない駅だ。ずらりと並んだ自動改札にゾロゾロと行き交う人々。改札の上にある発車案内の電光掲示板は、このあとの一五分で五本の電車が来ることを知らせている。俺は電車にしろバスにしろ、一時間に一本のダイヤしか知らない。


 見上げれば、ホームにいる電車がとにかく長くて驚いた。一、二、三、四……動き出したので数えるのをやめた。地元の隣町から乗れる電車は長いもので二両編成、駅はもちろん無人である。


 とにかく、こんなにたくさんの長い電車を走らせて、線路上でぶつからないのか? ……疑問で頭がいっぱいだった。


 反対を向けば、色とりどりのタクシーが行列をなして客待ちをしている。まるで、おはじきでも並べてるみたいだと、小さい時に母親と遊んだ時のことを思い出したりした。


 おそらくここで生きている人にとっては、何気ないのであろう駅の光景。しかし、ど田舎から出てきたばかりの人間にはあまりにも刺激が強く、未だバスターミナルと駅を繋ぐ通路の隅で動けないでいた。


 都会の先生……森戸さんから、とにかく人の流れに乗って歩けと指南されたが、どうにもその流れというものが読めない。一度飲み込まれたら、どこに流されてしまうかわからないと言う恐怖。こみ上げてきたものを飲み込んだ。


 今、目の前にあるのは完全に雨上がりの荒れた川。そう、決して飛び込んではいけないやつだ。その岸辺に立ち、不安げな顔でリュックの肩ベルトを握りしめ、左右を見る俺の姿を見た人はこう思うだろう。


『あっ、田舎者がいる』


 ええい溺れてなるものか! ここで弱気なところを見せたら、きっと森戸さんが言うところの怪しい人の餌食になってしまう。


 俺はこれからはここで生きていくんだ! 上着のポケットから取り出したスマホを立ち上げて、あらかじめ調べておいた目的の店の位置を今一度確認する。


 そして左右を見て、意を決し、目の前の荒れた川に飛び込んだ。


 なんとか人の流れに乗ることができた。そして、うまく人の流れから泳ぎ出して、まずは本屋の入り口に入り込むことに成功した。ここらで一番品揃えが良いと教えてもらった店だ。


 自動ドアを潜ると、目の前に広がる光景に思わず声が出そうになってしまった。広い、あまりにも広い。


 所狭しと雑誌や話題書が並ぶこのフロアだけでも、地元にある本屋の何十倍もありそうだ。しかしなんと、ここはビル丸ごとが本屋らしい。とんでもない規模である。


 フロアガイドが掲示されているのを見つけ、目当ての本が置いてあるのはおそらく三階だろうと見当をつけた。


 あまり乗り慣れていないエスカレーターで三階に上がり、新刊コーナーに平積みにされていた目当ての本を手に取る。ついでに色々と各フロアを見て周り……少し立ち読みをして、十代向けと思われたファッション誌と、学校周辺の道路地図を見かけたので手に取った。


 ファッション誌なんてものは初めて買うので、持っているだけでもすこし緊張した。地図はスマホのアプリで事足りるかとも思ったが、紙のものを買って、大きく広げて見てみたかった。


 そして、やはり街の大きな本屋なだけあって、田舎の本屋にはまずない、魔術の本のコーナーもちゃんとある。一冊を本棚から引き抜き、パラパラと中を見た。


 ちなみに一般の本屋にあるのは、一般の方に魔術とはなんたるかを解説するためのもので、魔術学生や魔術師が勉強に使うような専門書ではない。


 は悪用を防ぐために国に管理されており、しかるべきところを経由しないと手にとれないようになっているからだ。


 レジの行列に並びながら、次の目的地をスマホで確認する。新しいメモ帳を買うために文房具屋に行く。ここの通り沿いにあるようなので、ここを出てまっすぐ歩くだけで良さそうだ。しかしまたあの人混みを歩くのかと思うと、自然とため息が漏れる。


 自動ドアを出ると、やはり目の前には大きな流れ。しかも先ほどより明らかに人出が増えているので、つい弱気になってしまう。しかし、どんな荒波にも、強い意志で立ち向かわなれば。



 ◆



 ……はあ、つかれたなあ。その一言に尽きた。


 ここは昼時を少し過ぎたファストフード店の二階、窓際の一人用の席だ。駅前にひしめく店の中から、なんとか勝手がわかる店にたどり着くことができた。オレンジジュースを一口飲むと、甘味と酸味が疲れ切った身に染みて、ホッと息をついた。


 本屋の後、店を数件回って買い物を済ませ、紺野先生に頼まれたものも、ちゃんと手に入れることができた。


 俺は全く知らなかったのだが、『激辛! 究極南極麺』は有名店とコラボした人気商品らしく、三つ集めるのにコンビニを二軒はしごした。コンビニをはしごするのも初めての経験……なぜならコンビニ自体が生活圏に一軒しかなかったからである。


 目の前の窓からは駅前の人の行き来がよく見える。本当にたくさんの人がいて賑やかで、なんでもあってワクワクした。ほんの数日前までトンボやカエルだらけの田舎にいた俺にとっては、あまりにも刺激的だ。


 人混みに揉まれるのはやっぱり慣れなくて、ただ歩いて買い物をしただけで、結構な距離を走った後のような疲労感があった。昨日、体育でランニングしてから魔術を使って飛んで、体育倉庫の掃除をした時よりもはるかに疲れている。


 提出した外出届には夕方に帰ると書いたが、そこまで気力体力が持ちそうにない。バスの時間を確認すると、三十分後に一本。次はその一時間後になってしまう。


 欲しかったものはちゃんと買えたし、街の散策や開拓はもう少し慣れてからにして、今日のところはこれを食べたら帰ろう。


 そうと決めたら急いで腹を満たさなければ……ハンバーガーとポテトを交互にかじりながら再び窓の外に目をやると、なんとそこに本城さんの姿を見つけた。


 服装は朝に見かけた可愛い服、背中には小ぶりなリュックを背負い、足元はスニーカー。歩きやすそうだ。誰かと待ち合わせているのか、何かを探しているのか。辺りをキョロキョロと見回している。


 本城さんも今日ここに用事あったんだ。昨日俺が『駅前に行く』と言っても、何も言ってこなかったのにな。


 ……やっぱり、デートってことなのかな。俺はなぜか強いショックを受けていた。理由ははっきりとはわからないが、胸の中にモヤモヤとしたものが込み上げてくる。窓の外を見ないようにして、残っていたジュースを一気に飲み干した。


 乗っているのは紙ゴミのみになったトレーを持って立ち上がる。もう一度窓の外に視線を移したが、すでに彼女の姿はどこにも見えない。なんとも形容できない感情を抱いたままファストフード店を後にし、まっすぐバスターミナルに向かった。

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