第32話 休日の朝・2
部屋に帰ったとたん、ベッドに転がり目を閉じてしまった先生を横目に、机の上に置いていたスマホの画面をタップした。
『今日は、休みですね。何をして過ごしますか?』
母親からのメッセージだ。未だにスマホのキー操作に慣れていないので、様子伺いのメッセージにはただ一言『元気です』としか返信できていない。
しばし考えた。伝えたいことは山ほどあるが、全て打ち込む前にここを卒業してしまいそうな気がする。手っ取り早く打ち込んでしまう方法はないものか。
森戸さんみたいに、実家が近ければ週末のたびに直接話ができるのにな……話をと言えば、
『これから街に買い物に行きます。夕方に電話しますが、いいですか?』
自分からすると、かなりの長文を頑張って入力し送信すると、すぐに既読状態になった。
『わかりました。お待ちしてます』
続けてピースサインのスタンプが送られてきた。母親はスマホを離さないタイプではないはずなのに、異様に返信が早い。
ずっと俺からの返事を待っていたんだろうなと思うと、なんだか照れくさい。俺も、実家で一人に過ごしている母親のことを片時だって忘れることはない。
……マザコンだと言われても、認めざるをえないな。何を言われても母親はたったひとりの家族、大事なものは大事だ。
早くスマホに慣れて、返事を返せるようにならなければ。ついでに目的の場所の確認も終え、そのまま上着のポケットの中に入れた。森戸さんにあらかじめ色々と教えてもらえたので、操作に慣れていなくてもリサーチが簡単だったのがありがたい。
続けて、『男子寮』の掃除当番の役割を果たす。紺野先生と毎日、交代で行っているが、今日は時間に余裕もあるので風呂とトイレを念入りに掃除して……これは実家でもお小遣い目当てに引き受けていたので得意中の得意だ。あとは、ゴミ箱のゴミを指定ゴミ袋にまとめる。
「よし、これで終わりだな」
ここで時計を見ると、時刻は午前九時二十分。そろそろバス停に向かわなければと、リュックを背負って、玄関に向かい靴を履いた。ついでにゴミ捨て場に寄るので、片手にゴミ袋も持つ。
「ああ、香坂くん、当番お疲れさま。そろそろ出かけるんだね」
呼びかけに振り向く。眠っていたらしい先生が、いつのまにか後ろに立っていた。外出届は提出しているし、俺は声をかけずに行くつもりだったが、見送りに出てきてくれたらしい。
「じゃあ、先生。行ってきます」
「気をつけてね。ちゃんと届けた時間までに戻ってくるんだよ」
「わかりました。あ、先生は今日はなにするんですか?」
「僕はねえ。今日は完全にオフにして、『別宅』で映画でも見ながらゴロゴロするよ。まだ寝足りないから昼寝もしたいね」
そこまで言うと、先生はほわっとあくびをする。
ちなみに『別宅』と言うのは、先生がもともと住んでいた教職員宿舎の隣の棟の部屋のことだ。間取りはワンルームで、中には趣味の物がたくさん置いてあるらしい。先生は『男子寮』に移ってからも学校に許可をもらってそのままにしているとのことだ。
『いつでもご招待するよ、散らかってるから恥ずかしいけどね』
話を聞いて興味を抱いた俺に、先生はそう言った。いつかお邪魔させてもらえる日が来るのを、楽しみにしている。
「あ、そうだ。なんか買ってきて欲しいものとかあれば、頼まれますけども」
「ああ、そうだねえ。そうだ。もしコンビニに寄ることがあれば、これを買ってきてもらえないかな。とりあえず三つほど」
先生がポケットからスマホを取り出し、少し操作をする。差し出された画面に映っていたのは……その色だけで、とんでもなく辛そうと判断できるカップ麺だった。
商品名は『激辛! 究極南極麺』……と。
おお、ものすごく強そう。まるでバトル漫画に出てくる必殺技の名前みたいだ。辛いものなのに赤道とかでなくて、『南極』というのがまた斬新なネーミングである。
一応メモ帳を取り出してはいたが、その商品名のインパクトから、メモをするまでもなく記憶できた。
でも、先生ってカップ麺を食べるんだな。なんというか、端正な上に育ちが良さそうな先生がカップ麺をすする姿はあまり想像できない……いや、まあ、大きいボトルのコーヒーを、面倒だからって直飲みしてるし、食べるか。
紺野先生は確かにラッパ飲みはするが、基本的には所作が美しいというか。気遣いがさりげなくて丁寧なのに、自分のことはどうでも良さそうと言うか……まあ、一言では語れないとにかく不思議な人である。
「辛いの、好きなんですか?」
「大好きなんだよ。これ、新発売のものでね。このメーカーの激辛系にはハズレなしだから、きっと美味しいだろうな。あ、香坂くんもよかったら一緒に食べないかい?」
先生はニコニコと嬉しそうに語っていたが、どっちにしろ辛いものが苦手な俺は、その字面だけでお断り。カレーはできたら甘口がいいと思っているくらいの俺が、こんなものを口にしてしまうことがあったら、昨日よりも空高くふっ飛びそうな気がする。
「俺はこういうのはちょっと苦手で……でもわかりました。探してみます」
「そうなのかい? 確かに好き嫌いは分かれそうだね。だからなのかな、こういう刺激的なものは売店には入らないんだよ。来週、外に出る時に買おうと思ってたから、ありがたいねえ」
満面の笑顔の紺野先生に見送られ、俺は寮を出発した。
途中、ゴミ捨て場にゴミを捨ててから、正門前のバス停に現れたバスに乗り込んだ。ここからは、駅のほうに向かうバスしか出ない。公共の交通機関には慣れていない田舎者にも、わかりやすくて、とても優しい。
俺と同じように、街に向かうのであろう学生で席はほぼ埋まっている。乗客は、全員女性。運転手さんも女性で、ここに来てもやっぱり男は俺ひとりだ。エンジン音と楽しそうな話し声が混ざる中、一人掛けの座席が空いているのを見つけ、そこに座った。
魔術学校前のバス停からバスに乗り込んだ俺は、いくら私服姿と言ってもやはり妙に映るらしい。なんとなく視線を感じる気もしたが、慣れてしまったのか初日ほどは気にならなくなっていた。
もしかしたらこのバスの中に本城さんはいないかと探してみたが、姿は見えない。残念なような、ホッとしたような複雑な気持ちだった。
やがて定刻通りに発車したバスは、長い坂を下り平坦な道を進む。最初は緑一色だった車窓の景色に、だんだんと色が増えていく。それをぼんやり眺めながら、揺られること約一五分。
俺は、入学式の日の朝ぶりに学校最寄りの駅にたどり着いた。
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