第27話 ふたつの魔術

 謝罪の応酬が止んでも、俺と森戸さんは地面に向かい合って座り込んだまま。林の中には鳩の声だけが響いている。


「そうだ、香坂くん」


 おもむろにそう切り出してきた森戸さん。身を乗り出し、こちらをじいっと見つめてくる。俺に対し遠慮も何もない透子ほどではないが……距離が、近い。


 想定外のことに心臓が早鐘を打ち始める。ようやく見つめ返したその瞳は、まるで月夜を映したような深い色だ。


「ねえ。おととい、寮で助けてくれたのって香坂くんよね?」


「…………は?」


「……今わかった。あの時、私を止めてくれたのはあなただって」


「ええっ!?」


 いったい何を言われているのかさっぱりわからなかった。あの時、俺は森戸さんには何もしていない。そもそもそばにもいなかったのだから。


 一昨日のアレは、あくまでも本城さんの上にガラス片が落ちないように『止まれ』と念じただけだ。


 ここで、あることに気がついて空を見上げた。木々の隙間から、青い空が見える。俺はさっきまであそこにいた……そう。しばらくの間、宙に浮いていた。


 今、森戸さんとふたりで、あの高さまで飛んでしばらく滞空して、降りてきたのに……実はなんともない。眠くないし全く疲れてもいない。浮かんでいた時間は、ガラス片を浮かせた時よりも遥かに長かったのに。


 あの時と、今の違いって何だ? 紺野先生は『技術がないので全力で押し通すしかなかった』と言ってはいたが、他にも何かあるのでは?


 しばらく考え……閃いた。もしかして、昨日の俺が『うっかり編んでしまった不完全な魔術』というのは、ガラス片を浮かせる魔術と、森戸さんの暴走を止める魔術の二つだったのでは。


 これも先生に教えてもらって知ったのだが、魔力の暴走を起こすと相当苦しいらしく、内側から身を焼かれるような錯覚すら覚えるたのこと。持っている魔力が強ければ強いほど、その程度は強いものになるという。


 そう、おそらくあの時の森戸さんも……廊下で苦しそうにうずくまって震える彼女を見て、『なんとかできないか』と、そう思っていた。


 森戸さんと、落ちてくるガラス。あの時の俺からするとどちらも『止まって欲しいこと』であったわけで。


『ガラスの破片よ――止まれ』


『彼女の暴走よ――止まれ』


 ……こんな感じか。あの時は自分が何をしているのかもよくわからなかったので、二つ同時に魔術を使っていた可能性は確かにある。そのせいで、魔力切れを起こして倒れてしまったのでは。しかし、実際にそんなことができるのだろうか? 俺は腕を組んで唸った。


「私を押さえてくれた力は、確かにあなたのものだった。他の音も声も何も聞こえなかったのに、『止まれ』って声だけはちゃんと聞こえたの」


 森戸さんは俺だと確信しているようだが、全く自覚が湧いてこない。なんと返そうか。頭をかく。


「……森戸さんがそう言うならそうなのかな? ごめん、よくわからない」


「わからないの?」


 目を丸くした森戸さんをまっすぐに見つめ、続けた。


「単に森戸さんが苦しそうにしてたから、なんとかしたいとは思った。でも、本城さんの頭の上に落ちてきそうなものを止めたかったから『止まれ』と言っただけで」


「えっ、珠希さん!?」


 森戸さんが血相を変え、口を手で覆った。きっと本城さんも先生も、彼女に罪の意識を抱かせまいと何も知らせなかったのだろう。運良く止められたからよかったものの、大ケガしをさせてしまっていたかもしれないのだから。


「とにかく、だから本当に俺のやった事なんだとしたら、一応どっちも『止まれ』ではあるから、結果的にそうなっただけなのかもしれない」


 口を滑らせたことを反省しながら弁明する。森戸さんははっきりと目を潤ませた。


「本当にあなたには頭が上がらないわ……ところで、私にはよくわからないんだけど、二つ同時に魔術が使えることなんて、あるの?」


「さあ……俺にもよくわからない」


「まあ、そうよね」


 互いに入学したばかりの一年生で、なんの知識もないわけだし。静かに見つめ合う。鳩が相変わらず独特のリズムで鳴いていて、辛うじて妙な沈黙を埋めてくれている。


「ほほーん。系統の違う二種類の魔術を同時にとは、熟練の魔術師にも難しい凄技であるようだぞ、たまきくん」


 曲者か!? あたりを見回すと、木の陰から綿菓子が生えている……呆気に取られる俺を見てケケッと笑うと、ガサガサと音を立て歩いてくる。


 茂みの中から完全に姿を表した透子は、なぜか制服姿。よく考えれば、昼休みの時点ですでに行方知れずだったし、授業が始まる前に特に点呼などはしていない。こいつ、さては体育の授業をサボっていたのか。


 透子は俺の隣に腰を下ろしたので、図らずも女子二人に挟まれた。いわゆる両手に花というやつだ。男なら誰しもが焦がれるかもしれない状況であるが、右手のはともかくとして左手のはちょっと違う気もする……言いたいことを改めて頭で練りながら、ため息をついた。


「おい、授業サボって何してるんだよ。それに、そこで盗み聞きしてただろ……趣味が悪いぞ」


「なぁんのことかね?」


 ……とぼけやがって。もしかすると、ここの鍵を開けたのも透子なのではないか? 天才というなら針金とかでこう、ちょちょいっとだな。盗み聞きにピッキングか。目の前にいるのはただの悪い子じゃなくて、極悪人だ。悪の組織のボスだ。


 じろっと睨んでみても、透子はその綺麗な顔に不敵な笑みをたたえたまま。やっぱり犯人なんじゃないのか? この悪事の数々、新入生総代が聞いて呆れるぞ。


「ねえ、四宮さん。さっきの話って、どういうことなの?」


 しばらく静かだった森戸さんが、ようやく口を開いた。


「ん? ああ。魔術を同時に使うことかね? うむ、相当な手練れならまだしも、魔術学生レベルではまず無理であろうな」


「え!?」


「しかもたまきくん。さっき彼女を抱いたまま飛んでおっただろう。いやあ、すごいものを拝ませてもらった。本当に魔術が使えると言うだけで驚きであるのに、空まで飛ぶとは」


 彼女を抱いたまま……改めて突きつけられると、心臓が再び大暴れを始める。せっかく冷えた身体が焼け石のように温度を上げていき、しだいに頭が煮えてくる。横で黙って俯く森戸さんも、いつのまにか耳が真っ赤だ。


「あの、私と彼は別に何も……」


「そうだよ、アレは単なる事故で」


 何か妙な疑いをかけられているかもしれない。だいいち、俺と森戸さんでは釣り合うわけがない。月とすっぽん、美女と野獣。

 髪を混ぜるがどうにもならない。


「ん? どうしたのかね? 二人とも様子がおかしいようだが……」


 なぜか話が噛み合わないことで、ふと、昨日のことを思い出す。そうだ、こいつはこういう事に関しての知識がまるっと抜けているんだった……もしかするとこの星の常識が通じないのかもしれないな。


「透子、いったいどこの星から来たんだよ。生態が全体的に不思議すぎるだろ」


「はて? どこの星からとは、それを聞きたいのはわたしの方だよ、たまきくん」


「……はあ?」


 突然何を言うんだろう? そりゃお前の故郷はこの宇宙のどこかにある遠い星かもしれないが、俺は正真正銘この星生まれだ。


「なあ、たまきくん。君は一体どこから来なさったんだ?」


 また、細められたラムネ瓶の色の目がすぐそばに。よく見ると複雑な色をしていて、とても綺麗だ。今にも鼻と鼻が触れてしまいそうな距離に美少女がいるわけだが、たった三日で慣れてしまって何の感情も湧かない。


「ここから片道半日以上かかるど田舎だよ」


 ……何度も言ってるじゃないか。呆れながら、透子の両肩を掴んで押し戻す。そんな俺たちを見て森戸さんがさらに真っ赤になっているが、いったい何を想像したのか。


「そうではないぞ。君はおそらくこの世界にたった一人しかいない魔術を使える男性。この学校には男性の魔術教官がいるが、やはり魔術師ではない。そして、君の後に続くものもいない」


 男性の魔術教官というのはたぶん紺野先生のこと。確かに魔術は使えないと本人も言っていた。そして……これも透子の言うとおり、自分と同じような人間が他にいるというのも聞いたことがない。


「この星には何十億人と人間が住んでいるのに、君はおそらくたったひとり。摩訶不思議だな。だからわたしは、君が実は宇宙人だとか、異世界人だとか言われても全く驚きはしないでござるよ」


 あまりにも奇想天外な発言に、返答に詰まってしまう。宇宙だの異世界だの……何を言ってるんだこの綿菓子は。


 そりゃ俺の生まれ育ったど田舎は、都会の子から見れば異世界とか言われても仕方がない場所かもしれない。でも、帰省するのに宇宙船もいらないし、フィクションの世界にあるような魔法もいらない。確かに時間はかかってしまうが、ちゃんと普通の交通機関で行けるぞ。


「あのなあ、訳のわからないことを言うなよ」


 自分でも低い声だと思ったが、透子は相変わらず何を言われてもお構いなし。今度は地べたに生えている植物を観察しはじめた。


「おお、これにはなかなか強い毒があるぞ」


「ええっ!? こんなに可愛いお花なのに。見た目によらないのね……」


 今は女の子ふたりで足元の毒草に夢中だ。ほんと、俺なんかよりも透子の方がよっぽどそれっぽいのに。頭がいい奴の考えることはよくわからない。


 とはいえ、俺がどうしてなのかは誰しもの疑問ではあることはなんとなくわかっている。少しだが親しくなったし、話しておいてもいいかもしれない……野花を愛でる二人の背中に視線を戻した。

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