第28話 最初の記憶

 別に愛の告白をするわけでもないのに緊張していた。みぞおちがざわめくのを紛らわせようと、目の前に生えている草をぶちぶちとちぎる。


「俺はお前と違って生まれも育ちもこの星だよ。魔力云々は遺伝子の突然変異かもって言われたこともあるけど、結局のところは謎らしい」


 そう母親に聞かされているし、公式にもそういうことになっている。向かいの二人は目を丸くした。


「ほほう、なるほど。そもそも人がなぜ魔力を持って生まれてくるかは、いまだに解明されておらぬ。わかっているのは発現するのは女性のみ、遺伝的要素が強いということだけだ。よって性染色体になんらかの仕掛けがあるのではないかとも言われておるが、そもそも魔術は科学では実現できない事象すら起こせるもの。科学の力で暴くのは無理な話なのかもしれんの」


 一切の淀みなくすらすらと述べる透子。一方で、森戸さんは目を逸らし、指をソワソワと動かしている。何か気になることでもあるのだろうか。


「ねえ。遺伝って、おばあちゃんやお母さんがそうじゃないと、そうならないってこと? 私、身近にこういう人は誰もいなくて……」


「ああ、遺伝云々は絶対ではないぞ。そう数は多くないが、から君のような飛び抜けて力の強いものが出てくることもある」


「よかった」


 力が強いと聞いて、てっきり『そういうお家』の生まれだと思っていた俺も、少し驚いていた。能力は遺伝するなんてことを言われたら、ご両親との繋がりを疑ってしまうよな……森戸さんはホッと息をつき、不安そうな表情はすっかり緩んでいる。


 しかし、やはり女子と男子では意味が変わってしまう。本来ありえないはずの存在である俺は当然、小さい頃に身体を徹底的に調べられている。


 それは衝撃的な出来事だったので、割とはっきりと覚えている。そして、それ以前のことは思い出せないので、これが俺の最初の記憶といってもいいと思う。



 ◆



 俺がまだ保育園に通っていて年長のクラスにいた頃の話。だから六歳になるかならないかくらいの頃か。


 たぶん土曜か日曜の朝。よく晴れた空の下、母親が趣味の庭いじりをしているのを広縁に座って見ていた。空っぽのプランターの横に、色とりどりの花の苗が並ぶ。


「他には何を植えようかしらね、環」


「たべられるやつがいいな。やさいでも、くだものでも」


「うん、いいわね。また探しに行きましょ」


 母親は笑って頷いた後、土をすくってプランターにガサガサと詰めていく。まだ小さい俺はといえば、イチゴが、トマトが、なんてことを考えていたと思う。


「ごめんください」


 礼儀正しい挨拶の後に女性が数人、庭に入ってきた。全員が黒いスーツを身にまとっていて、まるで青い空を黒く塗りつぶすかのようだった。対峙した母親はゆっくりと立ち上がり、頭を下げた。


「環。お母さん、この人たちとお話があるから、家の中に入ってなさい」


 そう言った母親は、見たことのない目の色をしていた。心配しながらも家に入って、湧き上がる不安を打ち消したくて、居間のテレビをつけた。そこからどのくらい経っただろう。ちょうどはやりのアニメの再放送が始まったところで、背後の引き戸が開いたので、振り返った。


「おかあさん、おかえりなさい。さっきのひと、だあれ?」


 しかし、そこに立っていたのは先程のスーツ姿の……黒のスーツに黒のケープ、要するに魔術師のいでたちをした女性。呆然とした俺の横に膝をつくと、優しく話しかけてきた。


「お母さんね、明日からお仕事で忙しいの。だからお姉さんたちと一緒に来てほしいんだ。しばらく保育園もお休みしてくれるかな?」


「え、やだよ。おうちにいる。ほいくえんもいく」


「……ごめんね」


 その人はつぶやくように言うと、そのまま俺を抱き上げた。相手はその時初めて会った人。当然、嫌がって大暴れしたが、男といってもしょせんは幼児。大人の女性の腕力に敵うはずない。


 家の外に出ると、黒くて大きな車がすぐ前に横付けされているのが見えた。その後部座席に取り付けられたチャイルドシートに、俺は数人がかりで縛り付けられる。必死でベルトのバックルを外そうとしたがびくともしない。


「ごめんね、それ、外れないようにしてるの」


 隣に座った女性は、歯ぎしりする俺を見て微笑んだ。これが魔術でやったことというのは、母親もそういうことをたまにやるのですぐに分かった。どうやら逃がしてはもらえないらしい……幼心に悟ってようやく観念した。


「環くん、ジュース好きかなあ?」


「え! すき!」


 ……しょぼくれているとストローが刺さった缶のオレンジジュースが目の前に。家では虫歯になるからと、滅多に飲ませてもらえないものだった。一瞬で気持ちが切り替わってしまい、中身を一気に飲み干すとすぐに眠気が……もしかすると、一服盛られていたのかもしれないな。


 そうして連れて行かれた先で数日間にわたり、様々な検査をされた。訳のわからない機械に放り込まれたり、採血を何回もされたり。抵抗しても無駄なのはすでに分かっていたので、じっと従った。


 おそらく痛みは取ってもらえていたし、終始優しく接してもらえていたが、なにより母親が迎えに来てくれないのが不安でたまらなかった。白くて静かな施設だったので病院かなと思うが、それにしては黒い服を着た人がやたら多かった気がする。


 帰りも眠らされてしまい、気がついたら家にいたという……なんともきな臭い幕引き。しばらくは片時も母親と離れられなくなり、保育園は何日も休むことになってしまった。その間はきっと仕事にならなかったはずで、申し訳なかったなと思う。


 しかし、アレはいったいどこにある何の施設だったのやら。俺が本当に男なのかとか、父親が誰なのかを調べるためだったんだと、今ならなんとなく分かりはするけれども。



 ◆



 ……森戸さんと透子には、いま振り返ったことをかなり短くして話した。


「そういうわけだ。俺のことは好きなように思ってくれていいぞ。それこそ珍獣でも宇宙人でも異世界人でも」


 笑ってみせると、ふたりはきょとんとこちらを見つめ、笑い合う。


「わたしはたまきくんが何者でも気にはしないがの。初めて出来た友人だからな」


「そうね、私も別に気にしないわ。私も男の子の友達ができたのは香坂くんが初めてね」


 美女と美少女……二人から花のような笑顔を向けられると、友達だと言われても純粋に照れるしかない。


「ああ、ど、どうもありがとう。光栄だな」


 のぼせ上がりそうになったその時、かすかだが背後で物音が。子供の頃からの山遊びでつちかった野生の勘が、何かが来たことを教えてくれる。


 平静を取り戻して立ち上がり、透子と森戸さんの前に出た。しかし左右を、さらに前後を見るも姿は見えない。動物か?


「やっぱり一年生ね!?」


 予想に反しこちらに来たのは、人間。いや、見覚えのある先生……この学校の先生は女性がほとんどなので、どうにもみんな似たような感じに見えてしまうが。


「一ノ瀬先生!」


 森戸さんがあっと声を上げる。そうだ、そんな名前で、確か学年主任の先生だ。入学式でちゃんと紹介されているし、オリエンテーションの時にも壇上で話をしていた。


 一ノ瀬先生は、肩ほどの長さの黒髪を後ろでまとめ、えんじ色のケープを羽織っている。指輪や耳飾りはしていないが、首からぶら下がった大振りのペンダントが、意志の強そうな瞳と一緒に輝いている。


「森戸さんと四宮さんも一緒にいたのね……あっそうだ! 誰が魔術使ったの? かなり強い反応があったんだけど」


「えっ、えっと」


 森戸さんはうろたえ、透子は涼しい顔。俺は……背筋が冷え切っていた。何度も言うが、学校に入ったばかりの一年生は、魔力を使って何もできないのが普通だ。


「……やっぱり香坂くん?」


「……すみません、また俺です」


 一ノ瀬先生は黙って俺の前に立った。そのままこちらの目を真っ直ぐ射って、眉間にはっきりと皺を寄せている。これは怒っているのだ、きっと。


「……どうして、高所実習棟にいた学生に目撃されるようなことになってるのかな?」


「あっ、あの、その、森戸さんがそこの崖から落ちちゃったんですけど、助けようとしたら二人で飛んじゃって」


「えっ、あの高さまで二人で飛んだ!? 一人でじゃなくて!?」


 先生は目を剥いて大声を出す。てっきり怒鳴られたかと思い肩が跳ね上がったが、あれ? 違ったな。


「え、は、はい。彼女を抱えたままで」


 空を見上げた先生は、頭を抱え大きくため息をつく。今度こそ叱られるかと身構えたが、なんだか呆れたような顔だ。


「……まあいい。は大丈夫みたいね。三人とも怪我はない?」


 俺と森戸さんが揃ってうなずき、透子も遅れてうなずくと、先生は林の出口の方を指す。


「早く授業に戻りなさい。あと、ここには無断で立ち入らないように。今から専科生が実習に来るから、邪魔にならないように急いで出なさい」


「あ! はい! すみません!!」


「ごめんなさい」


「申し訳ありません」


 早足で去った一ノ瀬先生に続き、俺たちも歩き出す。相変わらず止まない鳩の声に、じゃりじゃりと三人分の足音が重なる。


 なぜ俺たちはこんなところにいたんだっけか? 考えながら林を抜け、道に出る。校舎の方に向きを変えたところで、透子が首を傾げた。


「……そういえば、五時間目はなんの授業だったかね?」


「何を寝ぼけたことを。見てわからないか、体育だよ体育」


 透子に、自分が着ている体操着を示したところでハッとした。


 そう、今は体育の授業中。俺は自ら名乗りをあげ、姿が見えなくなった森戸さんと透子を探しに行ったんだ。空を飛んだせいなのか、記憶も飛びかけていた。


「ねえ、私たち、授業をサボったことになってるんじゃない?」


「…………やっぱり、そうなるかな?」


 わざとではなかったとはいえ、授業をサボってしまうなんて。これから起こることを想像すると、足取りは自然と重たくなってくる。ようやく広場に戻ると、授業終了まであと数分を残すのみだった。


 本城さんだけは心配そうな顔をしてくれているが、クラスメイトのけげんな視線が容赦なく刺さってくる。そして目の前に仁王立ちする体育の先生……伊鈴先生はなぜか満面の笑顔だ。


「委員長。あたしの授業をサボっておしゃべりタイムとは。いい度胸してるなあ」


 たぶん一ノ瀬先生から報告を受けたのだろう。二人を探すのに時間がかかったことにしようと思っていたのに、俺のちゃちな悪だくみは握り潰されてしまったようだ。


 伊鈴先生はこちらに歩み寄ってくると、俺と森戸さんの肩を片方ずつ掴んでくる。指が食い込んできたが、俺は肩こり持ちなわけでもないので、ただ嫌な意味で刺激的なだけだ。


「さぁて。香坂、森戸、あと四宮。放課後ちょーっと付き合ってもらおうかな」


「はい。すみませんでした……うっっ」


 さっき背中を叩かれた時にも思ったが、体育教師ともなると女性でも力が強いのかもしれない。先生の指はさらにめり込み続け……呻き声を上げるしかなかった。

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