第17話 初めての朝・2
「ありがとうございます。それなら上着はパーカーにとかにしようかな」
スラックスを履いてベルトを締め、ハンガーにかかったままの制服を見る。普通のジャケットではなく、肘を隠す長さのケープが取り付けられたもので、いかにも魔術師の着る服といったデザイン。布の量が多く、ゆえに重い……というのは昨日半日着ただけで実感した。
どうしてなのかはわからないが、魔術師というものは暑かろうが重かろうがケープやマントやローブを羽織るものなのである。よく考えたら母親も仕事の時はそうしている。
この学校に入学して、これを着られることは誇りとはいえ……ちょっと重苦しいな。物入れを開き、パーカーを取り出した。
「ていうか、寮の食堂にお邪魔していいんでしょうか。昨日のことがあるんでちょっと」
パーカーのファスナーを閉めながら、先生に尋ねた。昨日の大騒ぎの引き金を引いたのは自分、招かれざる客なのでは、と。
「あれは君のせいではないし、誰が悪いわけでもない。ちょっとおおごとにはなってしまったけど、生理現象のようなものだから。君は人助けこそすれ悪いことはしていない。堂々としていたらいいんじゃないかな」
「そ、そうですね……」
「そういうことだよ」
着替えを終え、ポケットに寮生カードを忘れずに突っ込んだ。これで俺の身支度は出来上がり。玄関のところで待っていると、先生も身支度を終えて出てきた。
髪は昨日と同じように綺麗に整えられて、シャツとスラックス、そして少しゆとりのあるニットのカーディガンといった出で立ち。仕事に出るときには俺と同じようにネクタイを締め、上着を替えるのだろう。
「さて、行こうか……朝食をきちんと食べるだなんて旅行に行ったのでないなら何年ぶりかな」
先生は未だ眠そうな表情のままで、あくびをひとつ。俺も目は覚めてはいるが、空腹のせいでややぼんやりする。
「先生、もしかして朝はずっとあのコーヒーだけで済ませてたとか。しかも、冬でも冷蔵庫から出したての冷えてるやつ」
「大正解。なんとなく冷たい方が目が覚める気がしてね。お恥ずかしながら、僕は朝食を食べる時間があるなら、その分寝ていたいと思ってしまうタイプなんだ」
やっぱりそうか。俺は玄関に置いたままだった学校指定の革の靴を履く。私服でもいいなら、靴だってなんでも良かったのかもしれないことに、玄関を出てから気がついた。
「そういう人でも旅先ではちゃんと起きて、しっかり朝飯食べるって言いますよね」
「君は物知りだね。もちろん、朝風呂にも入るよ」
紺野先生は頷くと笑った。玄関ドアに鍵をかけ、先生に続き外階段を降りる。
四月の上旬の朝。朝の日差しはしっかりと眩しく、既に名実ともに春。とはいえまだまだ肌寒く感じる。先生と並んで歩き、雪寮に向かう。
俺と先生が住む男子寮はその他の寮生が住む学生寮ではなく、教職員宿舎の一室のことをそう呼んでいるに過ぎない。これはたったひとりの男子学生である俺のために準備されたものである。
教職員宿舎として三棟ある建物には大小のタイプの部屋が用意されている。俺と先生は学生寮を模して家具をセッテイングした2DKのタイプの部屋をそれぞれ一部屋づつ使い、ダイニングキッチンと水回りを二人の共有スペースとしている、といった具合だ。
ちなみにこの男子寮では先生の仕事の都合がない限りは、ふた部屋を仕切るふすまは開け放しておく、というルール。これは、三年生までの寮生は仕切りのない二人部屋に住む、という学生寮の決まりに合わせたものだ。
「そういえば、朝飯って、和洋どっちなんでしょう?」
「あー、どうなんだろうね? 実は朝食事情には詳しくないんだ。ここで仕事をするようになってからずっと今の宿舎に住んでるものから、昼とか夜には学内の食堂のお世話になることもあったけどね」
先生の口ぶり、今まで寮の食堂には入ったことがなかったのだろうか? それだと昨日『ここの食事は美味しい』と言っていたことと、話が合わない気がする。
学内にある食堂の運営は、三寮ある学生寮の食堂と教職員用の食堂も含めて全て同じ業者に委託されているため、味も、提供されるメニューも基本的には同じものになるらしい。なるほど。
朝食のことはわからないと言うのは、毎日冷たいコーヒーだけで済ませ、ろくに食べる習慣がなかったならば納得だな……などと思っているうちに雪寮の玄関に着いた。
昨夜の騒ぎであちこち割れたらしいガラスの部分には雨風を凌ぐためのブルーシートが貼られていて、しかも一箇所や二箇所ではない。紺野先生は何度も違うといってくれたが、やはり自分があの騒ぎの発端であることには違いない。改めてその光景を目の当たりにすると少しの罪悪感を抱いてしまう。
それでも背筋を伸ばし、自分の下駄箱に置いていたスリッパに履き替え中に入った。朝食の開始時間になっているからなのか、廊下を歩いていても他の学生の姿はまばらだ。
昨夜の騒ぎを物語るものは、もはや窓のブルーシートくらいで、その他のものは跡形もなく片付けられていた。見上げると、ステンドグラスは無事だったよう。
昨日は気づかなかったが、食堂へ続く廊下の小窓には色違いで同じデザインのものがいくつかはめられている。色付きガラスを通って色づいた朝日が差し込み、廊下に鮮やかな陽だまりを作り出していた。点々と続く陽だまりを踏みながら歩く。灰色のスリッパが一歩踏み出すごとに色を変えるのを、小さい子供のように楽しんだ。
「さあ、入ろうか」
「は、はい!」
「おっ、威勢がいいね」
……声が大きくなってしまったのは、たぶん緊張しているせいだ。そっと食堂のドアを押して開ける。中からは賑やかな声が響き、パンが焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。
数歩進めば、視界が一気に開ける。初めて立ち入ったそこは、やはり一度に百人近い寮生を受け入れるらしい場所なだけあって、かなりの広さがあった。天井近くまである大きな窓が、朝日をたっぷりと取り込んでいるのでとても明るい。
多くの学生が制服姿で談笑し、朝食をとっている光景なんて見慣れているわけもなく、まるで修学旅行にでも来たような気持ちになる。でもこれからは、これが日常になるんだよな。
いわゆるセルフサービスの食堂だというのは、ひと目見るだけでなんとなくわかった。端にあるトレイを取ってカウンターを進み、食事を順に載せてもらい、好きな席で食べるようだ。時間が時間なだけにほとんどの席が埋まっていた。
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