第2章・

第16話 初めての朝

 俺は、同じ時間に鳴り出した二つの目覚まし時計のアラーム音で目覚めて起き上がり、自分の枕元にある方を止めて、あたりを見回した。


 うーん、どこだここ? 見覚えのない部屋、違う、昨日からここが俺の部屋になったんだった。あくびをしながら頭を掻いて、伸びをする。ここは俺が昨日から通う学校の『男子寮』の一室である。


 この学校は国立東都魔術高等専門学校。全国に六校ある魔術学校のうちの一校で、魔術師の国家資格を取得するための学校だ。


 魔術師になるためにはここで五年間、通常の高校のカリキュラムと共に、この世の中には欠かせない特殊技能である魔術の基礎から応用までを学ぶ必要がある。


 俺は魔術師になることを夢見て、遠く離れた田舎町からここにやってきた。ある一点を除けば、おそらくどこにでもいるであろう……今ひとつパッとしない男子高校生である。


「先生! 紺野先生! 朝です! 朝ですってば!」


 目覚ましを止めるために手を伸ばしていたのを最後に、その後はいくら声をかけても、布団から全然出てこないのは……俺のルームメイト兼男子寮の寮監だ。そして、この学校で四年生と五年生の授業を受け持つ先生でもある。


 ちなみにこの学校の男子寮の住人はこの俺、香坂 環こうさか たまきと、布団の中の紺野 燈こんの ともし先生の二人だけ。他の寮生は全員、ここから道を挟んで向こうにある三つの学生寮のいずれかで生活をしている。


「紺野先生っ! 早く起きないと朝飯の時間になっちゃいますって!」


 俺は、先生の部屋におそるおそる入り……先生を起こすべく叫んだ。しかし、生きているのかどうかも怪しいとすら思うほどに反応がない。


 申し訳ないなと思いながら、布団の上から強めに揺すってみるが、布団の塊は微動だにしない。俺はそれをじっと見下ろし……もしかしてこの先生は、ものすごく朝に弱い人なのでは? と言う疑念を抱いた。


 しかし昨夜はちょっとした事件に見舞われたため、そのせいで二人して就寝時間が遅くなってしまった。だからそのせいかもしれないし、そのせいであって欲しかった。


 これから三年間一緒に住むのに、これが毎朝のイベントになったらたまらないと、俺は腕を組んで時計を睨んだ。朝食は道を挟んだ向かいの寮の食堂で午前七時から。そして、現在時刻は午前六時半。


 とりあえず着替えて顔を洗って歯を磨き、髪を軽く整えさえすればなんとかなる俺はともかく。このイケメン先生の身繕いには時間がかかるかもと思うと、あまり余裕があるとも言えないだろう。


 俺は最後の手段に打って出ることにした。


「せーんーせーいー!!!」


 勢いよく窓のカーテンを開け放ち、そのまま振り返って渾身の力で布団をひっぺがすと、ダンゴムシのように丸まっている先生が登場する。朝日が作ったひだまりの中で、すやすやと寝息を立てており全く動く様子がない。うーん、これは嫌な予感が的中したかもしれないな。


「先生、朝です。六時半です。起きないと朝飯食べられないかもしれないですよ」


 直接その背中を揺すり刺激を加えると、ダンゴムシはその丸い形を維持したままころりと横に転がる。あらわになった形のいい唇からううん、と声が漏れてまぶたが微かに動き出し、ふわり、と開いた。


「あれぇ? だれだっけ……ん?」


 シーツとパジャマが擦れる音を立てながら、ゆっくりと起き上がった紺野先生。少し長めの前髪をかきあげながら、俺の方にその造形の整った顔を向けてきた。まだ半開きの、潤んだ夕焼け色の瞳がじいっと俺を見つめてくる。


 その姿を見た俺はなぜか、なぜかドキドキしながら、いわゆるイケメンという生物は、たとえ仕込みなしの起き抜けでも割と絵になる……要するに俺なんかとは性別が同じだけで、別次元の存在なのだ、と言う知見を得た。


「ああ、香坂くんか……そうだったね。おはよう」


 俺の内心など知るよしもない先生は、むにゃむにゃといった調子で言うと、のっそりとベッドから降りる。


 背筋が伸びきらないままで俺の目の前を通り過ぎ、台所に向かった。四角いペットボトルのコーヒーを持って戻ってくると、黙ってキャップを開け、直接飲み始める。喉仏が上下するのをぼんやり見つめた。


 普通は中身をコップに注いで飲むサイズのもの。これをラッパ飲みする人は生まれて初めて見て……昨夜はちょっとした衝撃だった。もちろん今朝も、なんだか突っ込めない雰囲気だけれども。


 一分ほどかけて中身の四分の一ほどを飲んで、ボトルを机の上に置いて再びこちらを見た先生の目は、ようやく全開少し手前かと言ったところだった。


「いやあ、ごめんね。僕、昔から朝にすっごく弱くて」


「でしょうね」


 もはや先生の告白には特に何の驚きも感じなかった。あれだけ叫んでも揺すっても、全く動じなかったわけだしな。


 こちらも時間があまりないので、着替えに取り掛かる。パジャマを脱ぎ、肌着を着て、シャツを着て、ボタンを止め、靴下を履いて、そこではたと思いついた。


「あ、先生、朝食の食堂は、制服なんでしたっけ?」


「ああ、いや、寝衣でなければ私服でも構わなかったと思うよ。着替えが面倒だから、制服の子が多いように思うけども。スカートと、ブラウスを着て……リボンとジャケットは後で、という感じで」


「わかりました」


 さて、この学校、東都魔術高等専門学校は校名に「女子」と冠してこそいないが、通うのは全員が女子学生、ようするにその実態は女子校だ。そしてそれは他の魔術学校でも同じである。


 なぜなら魔術を使うために必要な魔力というものは、不思議なことに女性にしか備わらないとされる力。魔術師を養成するための教育機関、魔術学校に通うのは女子学生のみなのは当然のこと。


 そこに男子学生など一人もいるはずがない……というのは昨日までの話である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る