僕の思うところは

 さて、昼食のためにダイニングテーブルに向かい合わせに座ったのはいいものの。僕と彼の間には、春にしてはやや冷たい空気が流れていた。


 これから共に暮らすことになる彼は無言のまま、豪勢な弁当の上で視線と箸をさまよわせている。確かに、どれから食べようか迷う中身ではあるけれど。


 僕も少しだけ考えて、大好物のエビフライからいただくことにした。


 エビフライを一口噛んで目をやると、彼もモゴモゴと口を動かし始めていた。ただし、こちらを見もせずに、とても気まずそうにしている。


 まあ、せんせいと同居すると聞かされていなかったのなら、当然の反応か。ここは大人の方から、僕から話しかけなければな、と思った。




 ◆



「よしっと。これで全部だ」


 彼から預かった荷物を、『男子寮』の部屋の片隅に並べて置いた。キャリーバッグ、リュックにバッグ。そのどれもが真新しくて、それなりに重い。


 おそらく生まれて初めて親元を離れるのであろう彼は、ここに来るのに一体どんなものを選んで持ってきたのだろう。それなりの量があるから、後で荷解きを手伝ってやらなければ、と思う。


 寮だと上級生がついてサポートするけど、ここでは僕がその役割も果たさなければならない。


 彼のお母さんは、お仕事の都合で入学式が終わればすぐに帰途に着かなければならないらしい。夏休みまで離れ離れなのに、我が子と別れを惜しむ暇もないとは。


 お住まいは他に魔術師のいないところで、相当に忙しくされているという噂を聞いたことがあるけれど、どうやら本当のようだ。


 後で、そのお母さんから差し入れていただいたお弁当が届くことになっている。僕の分まで用意してくださったらしく、恐縮したけれど。


 せっかくなので、彼と話せるきっかけになればいいと思う。


 式が終わったら一度受け取りに戻ってこないといけないな。そんなことを思いながら、上着のポケットを探った。


 中からこの部屋の合鍵と、先ほど雪寮の担当から預かった寮生カードを取り出し、彼の机の上に置く。


香坂 環こうさか たまき』これが彼の名前。


 男性ながら魔力を持ち、本物の魔術師になれる、この世界でたったひとりの少年の名前。子供の頃から魔術師になりたかった僕の、憧れそのものだ。


 思い返せば自分も、学校に入るために親元を離れたのは同じ歳の頃だった。そのうえ、魔術を学ぶために女子ばかりの学び舎に通ったのも同じ。


 彼と違うのは、僕が通ったのは、男子を受け入れる学科がある海外の学校であるということ。だからだったわけではない。そして僕は本物ではないし、決して本物にはなれないと言うことだろう。


 本物。そう、彼はおそらく世界で唯一の存在。


 だから実際に会ってみれば、もっとこう、神々しかったり、特別な感じがしたりするのかなと思っていた。でも、初めて会った彼は、あまりにも普通で。


 ここに来られたということは、それなりに学力や素質には優れてはいるということではある。でも、頭ひとつ背の低いお母さんの後ろに半分隠れるようにしている姿は普通どころか気弱そうにすら見えた。勝手に期待していた僕が悪いんだけど、ちょっとだけがっかりしてしまったんだ。


 しかし彼は、歴代の卒業生で五本の指に入るとも言われているらしい魔術師の血を引いているからか、仮に女子だとしても十年に一度現れるか現れないかのレベルの逸材ではあるらしい。


 ……まあ、男子である時点で彼は唯一無二の存在なんだけれども。


 彼はこれから五年間、もしくは七年間、ここで学んでどう育っていくのだろう。彼の最初の三年間を寝食を共にしながら身近で見届けられるのはとても楽しみで、実はちょっと複雑だ。


 とりあえず、一緒に食事をしながら、もしくはこの荷物の荷ほどきを手伝いながら。どうして魔術師を目指そうと思ったのか、ぜひ聞いてみたい。


「あっ、そうだ。時間」


 確認した腕時計が指す時刻は、既に入学式の開式一五分前。慌てて洗面所の鏡を覗き、ネクタイと髪型を整えると、入学式に出席するべく『男子寮』を後にした。



 ◆



 ちょうど口の中が空になったタイミングで、彼と視線がかち合った。よし、話すなら今だと頭の中でまとめていた言葉を紡ぐ。


「僕ね、魔術師になりたかったんだ。男だからなれるはずないのに」


 彼は僕が急に話して驚いたのか、目をまん丸くした。


 そう、まずは自分から。僕がなぜここにいるのかを知ってもらうとしよう。それから、彼の話を聞かせてもらおうかな。


 これから、どうぞよろしくの意味も込めて。

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