第9話 新しい暮らし・3
さて、そもそもどうしてこんなことになったのか。紺野先生が順を追って話してくれた。
俺がこの学校を志願して以来、何回か開かれていたらしい対策会議。その日の議題は『学生寮について』だったらしい。
なんと、本来は男子の入寮はできないのに、担当が俺のところにも女子学生と同じ書類を送付してしまったとのことだった。その理由には、実は心当たりがあるのだが。
「もしかして、俺の名前が『
「正解……完全にこちら側の手落ちだ」
受け入れを決めた以上は、俺をできるだけ他の学生と同じように扱おうと考えてくれていたらしいが、こればかりは寮生を代表する役員会とのすり合わせも当然うまくいかなかったらしく。
やはり学生寮は女子寮。設備もないし男子を入れるわけにはいかない。間違えて書類を送ってしまったことを母親に謝罪し、『入寮を断る』ということで話がまとまろうとしたとき、紺野先生はピンと閃いたんだそうだ。
「あの、私からひとつご提案したいのですが」
自分が住む宿舎の空き部屋を『男子寮』として運用するのはどうか、それならば風呂やトイレも個別に付いているので、もっとも大きかった問題も見事に解決すると。
しかし、俺はまだ十五歳の少年、生活を監督するものも必要だという意見が出た。それもまた当然だろう。
というわけで、三年生までは紺野先生とルームシェア、四年になったら教職員宿舎の一番小さいタイプの部屋で一人暮らし、ということになった。
「というわけで、先月の半ばにはお母様にもちゃんと連絡して、僕も電話で少しだけお話しさせていただいたよ。あと、先ほどもご丁寧にね」
「すみません。何も聞いてなくて……」
自分の住むところに関してきちんと確認していなかった俺が、一番間抜けかもしれないと肩が落ちた。女子の中に男子がひとり、本当にそのことで頭がいっぱいだったのだ。
「まあ、入学準備が大変だっただろうから、うっかり忘れてしまっていたのかもね。さあ、中へどうぞ」
玄関を入るとすぐにダイニングキッチン。真四角のテーブルには薄紫色の包みがふたつ置かれている。キッチンの横には、食器棚と背の低い冷蔵庫、テレビのコマーシャルでよく見る飲み水が出る機械が並ぶ。キッチンと冷蔵庫の間には、棚がぴったり差し込まれていて、一番下の段がペットボトルのコーヒーですでに埋まっていた。
そのままトイレと洗面所、風呂場も見せてもらう。新しい建物というわけではないが、どこも綺麗に整っていた。
「香坂くんの部屋は右の部屋だよ。さっき預かった荷物を置いてるから、確認してね」
「あ、ありがとうございます」
滑り込むように部屋に入り、ドアを閉めると肩に食い込んでいた荷物を下ろした。預けた荷物が揃っていることと、ようやく先生の目から隠れられたことに安堵した。
実家の自室と雰囲気は大差なく、ベッド、腰の高さほどの本棚、洋服などをしまうための物入れが置いてある。大きな押し入れもあり、掃き出し窓からはベランダに出られるようだ。机の上にはおそらくこの部屋の鍵、そして雪の模様と俺の名前が入ったカードが並べられている。
『寮生カード』か。確か先生が、俺は雪寮の所属になると話していたな……机上のカードを手に取り、表面に施されたホログラムが虹色に色を変えるのをぼうっと眺めていると、押し入れがひとりでに開いた。
心臓が飛び跳ねる。俺の身体も飛び上がる。
そうだ、学校には怪談がつきもの。まさかこの男子寮にもお化けがいるのか!? それとも押し入れの中に侵入者が住んでいたとか、そういう事件的な!?
「さて。オリエンテーションの続きをしてもいいかな? ってどうしたの。大丈夫かい?」
「だっ、大丈夫です……お願いします」
「はは。びっくりさせてしまったかな、申し訳ない」
中から出てきたのは紺野先生。床に伏せてしまっていた俺を見て、笑いながら手を差し出してくれる。別に腰が抜けたわけでもないし、恥ずかしいので自力で起き上がった。
開け放されたふすまの向こうは、押し入れなどではなく隣室だった。中にはこの部屋と同じ家具が似たような雰囲気にレイアウトされているが、あちらの本棚はすでに本で埋まり、机の上にはノートパソコンが置いてある。
このふすまは、学生寮の『三年生までは原則的に相部屋』というルールにあわせ、普段は開けっぱなしにしておくと説明された。ここだけは安住の地かと思われたが、違ったようだ。またひとつ、ため息をつく。
「さて、これが寮生活のしおり。女子寮のものそのままだけど、基本的なところは同じということで。で、これが男子寮の寮則。作り込む時間がなかったからちょっと粗いけど、ここに
は僕と君の二人だけだからね。あとはこれから詰めていけばいいかなと」
冊子とプリントを受け取った。先生の説明を受けながら、まずは冊子を一ページずつめくっていく。
起床時刻は定められていないそうだが、朝七時からの朝食は必ず摂ることがルール。消灯は夜十一時。学習時間も決められていないようで、自由時間内に各自計画し学習すること、とある。
携帯電話の使用が許可されているのは、夜の十時まで。自室で使用してもいいが、時間外は職員預かりとする……ここでは先生が預かり、鍵付きの引き出しに保管することになった。
そのあたりはきっちりと学生寮の学生と同じ待遇になるようだ。
「時間的なことはこんなところかな。あとはお風呂と洗濯のことが書いてあるけど、ここでは洗濯は自分でやってもらうことになる。お風呂は自由時間内に譲り合って、ということで。掃除やゴミ捨て当番も決めなきゃねえ。まあそれは後でいいとして、あとは食事のことかな」
洗濯はもともと自分でやることもあったので問題ない。次はプリントを見るように言われ、持ち替えた。
朝晩の食事は学生寮の食堂でとること。ただし本来は男性の立ち入りはできない場所なので、入れるのは食事の前後の時間、食堂とその手前の談話スペースのみ。必ず職員の付き添いが必要と記してあった。
「ああ、ちなみに今日の昼食はダイニングにあったお弁当ね。実は君のお母様に差し入れてもらったんだよ。僕の分まで用意してくださってね。またよろしく言っておいてくれるかな」
紺野先生はそう言って笑った。テーブルの上の謎の包みは弁当だったらしい。いかにも高級店のといった見た目な気がする。おそらく入学祝いにと奮発してくれたのだろう。
俺はやっぱり何も聞いていないが、これはいわゆるサプライズというやつか。
「で、夕食からは雪寮の食堂に行くよ。机の上に置いておいたカードが必要だから忘れないように。ここと違って、あっちは色々ハイテクなんだ……さて、説明はこんなところかな。では、お昼を頂こう」
「あ、はい、いただきます!」
持っていたものを机の上に置き、慌てて先生の向かいに座った。二人して包みをほどき、ほぼ同時に蓋を開ける。中身はびっくりするくらい豪華で、肉も魚もなんでもござれと言った感じだが、なによりも大好物、巨大なエビフライが二尾も横たわっている。
「いただきます」
「い、いただきます」
手を合わせて食べ始めたが俺たちは無言で、外の鳥のさえずりがはっきりと聞こえるほどに静かだった。
もしこれが同級生なら会話をしようと試みるだろうが、年上の先生を相手にどうしたらいいかもわからず、無言で箸を動かすしかない。向かい合う先生も俺と弁当の間で視線を往復させているだけだ。
「僕ね、魔術師になりたかったんだ。男だからなれるはずないのに」
そうして何度目かに視線がかち合った時、とうとう先生が口を開いた。正直、やっぱりそんな感じなのか、という印象だった。
『魔術を使ってみたい』『魔術学校に行ってみたい』とは地元の友達にもよく言われていたこと。きっとこの先生も、その延長線で普通の科目の先生になって、ここにいるのだろう。
「でも諦められなくてねえ。海外に行って勉強して、魔術の先生になったんだ。この国にはまだ僕一人なものだから、男性魔術師だなんて言われて……ちょっと自慢だったり」
「え、魔術の先生だったんですか!?」
「うん、そうだよ。簡単に言うと、術式の読み解き方と組み立て方を教えてるって感じかな」
こんな人がいるのかという驚きで固まってしまった俺をよそに、先生は唐揚げをつまんで目を嬉しそうに細めると、大きく開けた口に放り込んだ。
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