第8話 新しい暮らし・2

 外に出ると、すでに紺野先生が待っていて、こちらに向かって手を振っている。


「すみません、お待たせしました」


「大丈夫。教科書が多いから重いよねえ。一般科目と、魔術系科目。勉強することが多くて、けっこうハードな学校生活になるよ」


 紺野先生は笑顔だが、さらに鞄が肩に食い込んでくる。確かにここを卒業した母親も、魔術師になるための勉強はとにかく大変だと言っていた。頑張るしかない。


の住む寮はね、この校舎の裏手にあるんだよ」


「はい」


 再び構内図を頭に浮かべながら、先生の後ろについて進む。学校の敷地内とはいえ、車がすれ違えそうなくらいの道幅はあり、端の植え込みにはところどころに雑草の花が揺れている。


 地元では見たことのない草もあり、遠くまで来たことを実感した。すでに先生は少し先で、俺が追いついてくるのを待っていた。


「大丈夫かい?」


「は、はい。すみません。やっぱり広いんですね。それに、木とか、多いですね」


「そうだねえ、魔術の学校というものはどうしても幅を取る施設が多いし……今でこそ下の方に街もできたけど、それまではこの周辺は本当に何もなかったらしいよね」


 山を切り開いて建てられたらしい学校は、バスに乗ればターミナル駅まで十五分ほどで出られる場所にありながらも、四方を緑の森に囲まれている。


 風が吹けば木々がざわめき、鳥の鳴き声が響く。街の喧騒というものとは無縁といった感じで、都会と聞いて想像していたところとは全然違っていた。


 前を歩いていた先生が立ち止まったので、後ろを歩く俺も止まる。左右を見ると、右手に煉瓦色をした寮らしき建物が三棟、道を挟んで左手に少し入ったところにも薄黄色をしたアパートのような建物が少なくとも二棟見える。


「えっとね、右手が学生寮ね。雪、月、花の三寮があって、どこに入るかはランダムで決まる。ちなみに一年から三年が原則相部屋で、それ以上の学年は個室。で、君は一応、雪寮の所属にはなるんだけど問題があって」


 問題というのがなんなのか予想はできていた。いや、それ以外に何があるのだ。


「男性用の設備がないってことですよね」


「正解。それに君が品行方正、清廉潔白だとしても、年頃の男子を女子寮に放り込んで寝食を共にさせるのはいかがなものか……という話にはなってしまうよね、どうしても」


「ですよね」


「うん……信用していないわけじゃないけれどね」


 先生は苦笑いだが、俺はしっかり頷いた。配慮のない振る舞いをして周りに必要以上に恐れられてしまえば、自らの学生生活に支障をきたすだろう。それなりに異性への興味は持っているとはいえ、そこの分別はきちんとしているつもりだ。


『それは余計な心配です』とカッコいい顔で言いたいところではあったが、俺はまさにそういう年頃……いや、偉そうなことを言いつつ、少しだけその手の妄想はしてしまっている。ごめんなさい。


 襟とネクタイを正す。


「えっと。じゃあ俺はどこに住むことになるんですか?」


「ああ、左手奥が教職員用の宿舎なんだけど、その一室を『男子寮』にしたんだ」


「あ、なるほど」


 先生について、分かれ道を左へ。


 目の前にはアパートが三棟建っている。色は全て同じだが、形が微妙に違うのでおそらく間取りが違うのだろう。


「教職員用ってことは、住んでいるのはみんな先生なんですか?」


「教師以外にも寮のスタッフさんと事務の方が何人か。今は半分くらいしか埋まってないけどね」


 何かあっても近くの部屋に大人が住んでいるのなら安心できそうだ。一番奥にある棟の外階段の前には、くすんだ銀色のポストが部屋の数だけ並んでいる。


「ここが集合ポストだね。君宛の荷物や郵便物は雪寮に送ってもらうことになるから、ここに届くのはのものだけになるけどね。部屋は二階の二〇一号室だよ。足元に気をつけて」


 コンクリート造りの階段を上がり、一番奥にある部屋への前に。『二〇一』と書かれたプレートの下に、『東都高魔・男子寮』と印字されたシールが貼られている。


 ……ってあれ?


 さっき紺野先生はなんて言った?


「あの、そういえば、俺はここで一人なんでしょうか?」


 ようやくモヤモヤとしていた疑問が言語化できた。


「ああ。香坂くんにはここで、四年生になるまで僕と一緒に暮らすんだよ。僕は君のルームメイト兼、男子寮の寮監って事で」


 ああ、なるほどそうきたか。へぇー? うん?


 ……ということは、俺はこのイケメン先生と三年間、二人暮らしをするの?


 まさかそんな。斜め上の回答をまともに喰らい、二の句を継げなくなった俺に

 目の前の紺野先生は笑みを崩すことなく、こちらへ一歩。


 そして俺と目線の高さを合わせるように少し腰を折った。


「というわけで、これからどうぞよろしくね、香坂くん」


「よ、よろしくお願い……します」


 びっくりするくらい綺麗な目に捕らえられ、心臓が大きく打った。透子とは別の種類の色の薄さ……まるで夕焼けのような色。声も意図せずひっくり返ってしまい、先生は不思議そうな顔をして首を傾げた。


「ん? どうしたのかな?」


「な、なんでもないです」


 でも、これはさっき会った時とははっきりと別の意味をもった動揺だ。ときめきとはまったく逆のものだ。


 寮生活は他人との共同生活で、部屋だって今日初めて会う他人と同じとはわかっていた。しかし、学生同士ならともかく、先生と相部屋となると少し話が違ってしまう。


 ここは魔術学校で、学生は自分以外全員女子、それはちゃんとわかってこの学校に来た。でも、逆に言うとそのことで頭がいっぱいで、正直、細かいところまで気が回っていなかった。


 そりゃ、男子学生が他にいないなら、先生と同室というのも必然なんだけれども。


 紺野先生はとても優しそうだ。歳も若そうなので学校の先輩っぽくて、十五歳の俺から見ても十分に親近感が持てる。


 でも、よろしくねなんて言われても、本当によろしくしていいものかどうかわからない。


 だって、相手は先生だぞ!


 これから三年間は、ずっとこの先生に近くで監視されて暮らす。授業が終わっても一切気を抜くことができず、心が全く休まることなんかないだろう。


 今の心の中は、まるで雨が降る前の空のよう。


 大変なことになってしまったと、俺は頭を抱えた。

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