第7話 新しい暮らし・1
「うーん、どんなふうに写ったのか不安だな」
「私も。出来上がってからのお楽しみだね」
隣の席で、本城さんがにこりと微笑む。
「そうだ、さっきはありがとう。助かった」
「えへへ、どういたしまして」
証明写真の撮影を終え、教室に戻った。これで本日の日程は終わりだ。
先ほど四宮さん改め透子に、見るも無残にぐちゃぐちゃにされた髪は、本城さんに手鏡を貸してもらえたのでなんとか見られる形まで整えることができた。
急に呼び出しがあり、鏡を見に行く暇もなかったので本当に助かった。これからは俺も鏡やくしを持ち歩くことにしようと決めた。だって周りには女子しかいないんだから、周りの目を気にする必要もない。たぶん。
「そういえば香坂くんって寮生だよね?」
「ああ、寮に入ることになってるけど」
全国に六校ある魔術学校の全てには実家が遠方にある学生のために学生寮が完備されている。
学校の敷地内、もしくは近くに手頃な寮費で住める。栄養バランスが考えられた食事も平日は朝晩、休日も希望すれば三食出るとのこと。
通学時間もかからず、勉学に集中するにはうってつけの環境。自宅が近くても、わざわざ寮に住むことを選択する学生もいるほどらしい。
そしてまさに俺は実家が超遠方の学生なので、在学中は寮に住むようにと母親から言われている。先ほどそのための手続きも母親がしていたし、すでに荷物も預けている。
しかしここではたと気がついた。そうここは校名に『女子』を冠してこそいないが、実質は女子校。ちょっと待て。
俺の脳内にある可能性が頭に浮かび、どきりとした。
血の気が引いて冷たくなったり、そのくせすぐに熱くなったりと体内がにわかに忙しくなった。
まさか、そんなバカな。ありえないだろう。いやでもやはりそうなるのか? そんな、まさか。
ふと手のひらを見ると、ベタベタに汗をかいている。動揺しているのを悟られるわけにはいかないと、ポケットからハンカチを取り出して拭いとる。
「もしかして、一緒に住むことになるのかな」
目を丸くしている本城さんの一言は、俺の今の心の中を言い当てたものだった。しまいそこねたハンカチをぎゅっと握り込み、ごくりと唾を飲み込んだ。
そう。俺はこの学校の歴史百余年の歴史で初、かつ唯一の男子学生。そして魔術学校は男子学生が入学してくることを全く想定していない場所。男子トイレや更衣室自体は、男性教職員のためにあったらしいが、俺のために増設もされたらしい。
しかし、学生寮はどうなっているのだろう。この口ぶりは本城さんも寮生ということ。本城さんと同室だったりしたら……いやいや、ありえてはいけないぞそんなことは。相手が誰でもだめだ。
万が一そんなことになっても俺は絶対に紳士でいるんだ。しかし、いらぬ妄想が頭の中をじわじわ支配しはじめる。首をブンブンと横に振った。
「ど、どうしたの?」
「……なんでもないよ。ちょっと首がこって」
首は平気だが、なんだか頭痛がする。
食堂は男女関係ないとして、部屋はどうなる? そして風呂やトイレは? 考えるべき事があまりにも多すぎるのでは。
「香坂くん、寮の担当の先生が来てるわ」
「あ、はい!」
担任の浅野先生からの呼び出し。廊下に出ると、俺に向かって手を振る人物がひとり。
ライトグレーのスーツに身を包んだ長身の男性。そう、ついさっき出会った人物だ。
「改めまして。今回、君の寮担当になった、
……紺野先生は俺よりもさらに背が高く、整えられた少し明るい色で長めの髪。細身のスーツを着こなす姿はまるでファッションモデルのようで、その顔は同性の俺でも『綺麗』という感想を抱く造形の良さである。
「え、あの人、先生?」
「え? ちょっと若すぎない? 教育実習の人とか?」
「かっこいい……」
気がつけば、先生は廊下にいた新入生たちからの熱くて輝く眼差しをその一身に受けていた。それらは俺を見る目とは全然違った。パッとしない己の容姿をほんの少しだけ恨んだ。
「君がこれから住む寮に案内するよ。えっと、写真撮影は済んだかな?」
「はい、終わってます。荷物もまとめてます」
「よしよし。じゃあ、さっそく向かおう」
いよいよその時が来たことに、背筋が伸びる。わざわざ俺を指名してきたところから察するに、ちゃんと別の場所が用意されているということだろう。
女子寮じゃなくて残念じゃない、ひと安心した。あとはそこがウサギ小屋とか体育倉庫の片隅でないことを祈るのみ。
いったん教室に戻って荷物を持ち、本城さんに挨拶をしてから教室を出る。透子にも挨拶をしたかったが、姿はすでに見当たらなかった。
「それじゃ本城さん。また明日」
「うん、また明日ね」
あ。本城さんは寮生だから、また今日のうちにどこかで会うかもしれない。教室でなんて言って別れるべきなんだろう?
「これから家族で入学祝いのご飯なんだー!」
「うちもうちも」
そんな話が耳に入り、楽しそうに笑う同級生を少しだけ羨ましく思った。母親は明日の朝早くから仕事が入っていたので、入学式の後すぐに帰途についている。
実家までは色々と乗り継いで半日近くかかるので、仕方がないことだとわかっている。でも、昼くらいはどこかで一緒に食べたかったかもな。
紺野先生の背中を追っていると、いよいよ親元を離れたのだという実感がこみ上げてくる。そのことに寂しさを感じている自分に驚いた。
正直、一緒にいる時は鬱陶しく思うことすらあったのに、これが『なくして初めて気がつく』というやつだろうか。夏休みまでたった三ヶ月間とはいえ、別れには違いない。
「じゃあ、昇降口で靴を履き替えて、出たところで待っていてくれるかな。僕は向こうだから」
「わかりました」
先生とはいったん別れ、急いで靴を履き替える。人をあまり待たせてはいけないと母親によく言われていた。おそらく上級生と思われる生徒に、けげんな目を向けられていることに気がついたが、気づいていないふりをして外に出た。
相変わらず空は綺麗に晴れ渡っていたが、心の中は不安で薄曇りといったところだった。
鞄の肩紐が一段ときつく食い込んでくる気がしたが、早く慣れなければ、そう思った。
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