第12話 強く願い、そして
「えっ、先生!?」
「……魔力の暴走か。たぶん力が相当に強いんだろう。僕らは引いたほうがいいね」
「は、はい!?」
先生はなぜか落ち着き払っている。焦る俺を制す腕は、細いようで意外と力が強く、引かれるがままに廊下を戻っていく。
「いいから、外に行くよ」
「どういうことですか!?」
「危ないから上級生と、他の魔術教官に任せたほうがいい。ああ、めったにあることじゃないけど、魔力を御する技術がまだ未熟なときに、感情が大きく触れることでまれにこうなってしまうんだ」
「じゃあ、やっぱり俺のせいなんじゃ!? 先生どうにか!」
たとえそのつもりはなくても、彼女の感情を大きく触れさせたのは俺だ。なにか自分にできることはないのか。
とにかくそばにと思い、力任せに先生の手を振り払おうとしたが、さらに力が込められる。
「いいや、これは君のせいじゃないし、君にはまだ何もできない。自分を防御する技術もまだ教わっていないのだから」
「でも!」
真剣な顔をした先生のすぐそばで、花瓶が大きな音を立て弾けるように割れた。
空いている腕で顔を庇ったので無事だったが、細かな破片が床に散り、警告灯の赤い光を反射して冷たく光っている。
流血を思わせる光景を目の当たりにして、頭が急激に冷えていった。
「下手に手出しして君に何かあれば、逆に彼女を傷つけることになるよ。今、香坂くんが彼女のためにできることは、この場を離れることだ」
「わかりました」
先生についていくしかなかった。先輩たちの足は引っ張れないし、彼女にケガをさせられるわけにもいかない。
冷静になったとたん急に身体の痺れに襲われて、足が不自然なまでに重い。頭痛がどんどんひどくなり、そのうえ気分まで悪くなってきた。
「香坂くん、大丈夫かい? やっぱり魔力に当てられてしまっているようだね」
「……先生は平気なんですか?」
「僕は魔術の素質を持っていないからね。効力を付与されていない純粋な魔力には、そもそも反応する部分がないんだ」
ガンガンと何かを打ち付けられているように痛む頭ではきちんと理解できなかったが、おそらく魔力を持たない人には影響がないということなのだろう。
なんとか玄関スペースに着く。開けたままのドアから、十数人の学生が不安そうに身を寄せ合っているのが見える。
しゃがみ込んでいる子も多く、どうやら俺と同じように調子を崩しているようだ。
そんなとき、玄関にいた集団の中に本城さんの姿を見つけた。
「あれ、香坂くんだ!? やっぱり調子悪いのかな、大丈夫?」
「ああ、本城さん……そっちこそつらくないか」
「あ、私は……大したことないかな」
彼女の笑顔に安堵したとたんに、強いめまいがした。紺野先生に支えられ姿勢を立て直す。
そうか、彼女も雪寮に入ることになったのか。毎日同じ場所で食事ができるなんて嬉しいな。勇気を出して一緒に食べようかと誘ったら、向かいに座ることもできるだろうか。
肩で息をしなければならないほど苦しいのに、のんきにそんなことを考えてしまう。
「香坂くん!? 大丈夫かい? 早く外に出よう」
言葉を出すより前に、びしりという嫌な音が耳に届く。
鉛のように重くなった頭を持ち上げる。本城さんの頭上にあるガラス窓に、大きな亀裂が走っているのが見える。
ガラスにひびが入れば、いずれガラスは割れる。そうすると破片が落ちてくる。その真下には、本城さんが。
紺野先生を振り払い一歩前に出た。
「香坂くん!?」
視界が大きく揺らいだが、なんとか足を踏ん張った。
『魔力はなあ、願いの力なんだよな』
刺すような頭痛の後、頭の中で声がした。その主が誰なのかはわからないのに、なぜかひどく懐かしく感じる。
ああ、そうだ。ずっと昔に、俺のそばにいた人の声。
『魔術は願いを叶えるための術なんだ。確かに技術とか理論とか、ああ、いろいろと難しい勉強をすることは絶対に必要だ、けど一番大切なのは何かというとな』
「別に男の子がいてもおかしくないかなって」
俺にこう言ってくれて、笑いかけてくれた本城さんに、最初にクラスに居場所を作ってくれた本城さんに、絶対に怪我させたくない。
ガラスの破片が刺さったりしたら、すごく痛いし、身体に傷だって残ってしまうだろう。だめだ。絶対にだめだ。
ガラスが割れる大きな音がした。
無数の破片が、今まさに本城さんに降り注ごうとしている。上に目を向けた本城さんが、目を丸くし、身を縮めた。
『純粋に、強く願うこと、だ』
導かれるように、右手を割れてしまった窓の方に向けると、そこからは全てがスローモーションのように見えた。
頭の中はひどい頭痛のせいでグチャグチャなのに、妙に凪いでいる部分もあって、本当に気分が悪い。
でも今、自分が何をしたらいいのか、わからないのに、わかる。
『お前には、力がある。だからできるぞ、
そう、ただ、願うだけ。
「止まれ!」
強く願ったことを叫んだ。手足の痺れがいっそう強くなる。まるで自分のものではなくなったかのような、そんな錯覚すら覚えた。
感覚など消え去ったと思ったのに、足元から震動が一気に駆け上がり、それを受け止めた頭が砕け散りそうになる。
全身に強烈な風を受け、目を開けていられない。身体がめちゃくちゃになったような感覚に、ひたすら耐えた。
彼女を守りたいという願いを叶えるために。
風はすぐに止んだ。それとともに、耐えがたかった苦痛からも解き放たれる。右手を上に掲げ下を向いたまま、俺はきっと石像のように固まっていた。
静かだ、そう思った。
けたたましかった警報音も今は止んでいる。
悲鳴も聞こえない。
まるで耳が遠くなったようだ。もしかして、鼓膜が破れたのだろうか。
おそるおそる目を開く。ガラス片が床に散らばっていない。
何が起こっているのか理解し切らぬまま、目線を徐々に上げていく。
正面にいた本城さんが上を向いたまま、丸い栗色の目をさらに丸くしている。その後ろにいた数名の学生も同じく上を向き、ぽかんと口を開けていた。
枠だけになってしまった頭上のガラス窓の下、ひとつ残らず宙に縫いとめられて、星屑のようにきらめくのは。
「これを、香坂くんが?」
紺野先生の震え声が背後から。なにより俺自身、その光景には驚いた。ほんとうに、願いが叶ってしまったということだ。
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