第11話 衝突

 紺野先生の後ろについていくだけで、明らかに見える景色が変わった気がした。じっと立ち止まってステンドグラスに見惚れていたって、先生がそばにいさえすれば誰にも怪しまれないのだ。


 先生が挨拶をすれば普通に返事が返ってくる。誰も俺たちを見てコソコソと話をすることもないし、指を差してくることもない。紺野先生は魔術の先生として、この学校に完全に溶け込んでいるのだ。


「紺野先生、すみません。少し質問があって」


「何かな? あ、香坂くんちょっとごめんね」


 背後から声をかけてきたのは、おそらく上級生の二人組。片方は分厚い本を抱えている。交わされているのはやはり魔術の話のようで、後ろで聞いていても何のことなのかさっぱりわからない。


「……というわけだ。少し先で扱う内容になるから、今はわからなくても問題ないよ」


「ありがとうございました」


 丁寧に頭を下げて立ち去った先輩二人組を、先生は小さく手を振って見送る。俺も目でその背中を追ってから、ふたたび視線を戻した。


「先生ってやっぱり信用されてるんですね。すごいな」


「ありがたいことにね。やっぱり難しいことはそれなりにあったよ。君もひとつずつ越えていくしかないかな」


 なるほど、俺も自然にこんなふうに振る舞えるようになれば、信用されるようになるかもしれない。先輩のありがたいお言葉をしっかりと胸に刻み込む。


 今はただの黒一点、この学校の違和感でしかないが、いつかここに溶けこめる日がくるように、ひとつずつ越えていきたい。そのために先駆者たる先生から、学べることは何でも学んでおかなければ。


「さて、あそこがこれから毎日お世話になる食堂だよ」


 先生が指し示す先に食堂の入口があった。中からは美味しそうな匂いが漂ってくるし、賑やかな声が聞こえてくる。


 もうすっかり空腹だったので、思わず前のめりになった俺を見て先生が笑う。


「あはは、楽しみだね。じゃあ、食堂の利用方法だけど……」


「なんでここにあなたが!」


 聞き覚えのある声が先生の言葉を遮ると、身体が勝手にそっちへ向いてしまった。


 そこにいたのはやはり、この学校に入学して数時間で言葉を交わした数少ない人物のうちのひとり。


 同じクラスの、名前はまだ知らない黒髪の子。


 俺を突き刺すように睨みつけると、ドカドカと足音を立てて歩み寄ってくる。


「なんで!? 女子寮なのに! まさかここに入るっていうんじゃ」


 彼女には変わらず強く敵視されているようだ。俺は別に何もしていないのに理不尽な話だが、わざわざ刺激をすることもないので、


「ここには食事に来ただけ。俺は別の建物に部屋を用意してもらってるから、終わったらすぐにそこに帰る」


 これ以上は誤解されないように、言葉には気をつけたつもりだった。しかし、残念ながら彼女の釣り上がった目は下がらない。


「男のくせに、不正して入ってきて。ぬけぬけと寮にまで現れるって、何が目的なの。男が魔術使えるわけなんてないのに、気持ち悪い」


 どうやら黒髪の子の目には、俺の姿は極悪人として写っているらしい。しかし、彼女の言うことで事実なのは、俺が男であるということだけ。


 たぶん最初の時点で拒絶されていたんだろうが、ここまでこじれたのは、昼間に俺が何も考えずに『特例』だなんて言ったせいかもしれない。だとしたら身から出た錆か、でも。


 紺野先生が俺と彼女の間に割って入るが、彼女はそれを避けるように後ずさる。


 睨みつけられた先生の眉根はわずかに動いたが、相変わらず柔和な表情を浮かべたままだ。


「言いたいことは分からなくもないけど、今はいったん収めてくれないか。彼は別に何もしていないだろう」


「来ないでください!」


 その時、びりっと頬を何かがかすめた。


 まるで、寒い日にドアノブを握った時、静電気に触れて思わず手を引っ込めてしまった時のような。


 でも何にも触れてはいないし、それに似てはいるが、まったく別の種類の物だとはっきりとわかる。なぜか手足の先にまで同じ感覚がまとわりついてくる。


 なんだ、これは?


「紺野先生! 彼女から離れてください!」


 その場にいた誰かが叫んだ。


 おそらく叫んだのとは別の誰かが動き、壁にある赤いケースを開けて中のボタンを押す。一帯に、けたたましい警報音が鳴り響いた。


 それを合図にしたように食堂内から、または俺たちの背後から、横から、バタバタと学生が数名駆けつけてきて、あたりは騒然となる。俺はそのうちの誰かに強く引っ張られて、後ろによろけながら下がってしまった。


「えっ、これ、あの力が強いって言う一年生!?」


「居残ってる魔術教官がいたら全員来てもらって!」


「近寄れる人はいない? やっぱり無理か」


「誰か! 防護幕持ってきて!」


「全員自室に退避って全館放送! 一階の子はとりあえず急いで外に! 紺野先生も危ないので早く!」


 警報音の中で、複数の学生が指示を飛ばすべく叫んでいる。


「君、一年生くんでしょ、早く外に!」


 大人びて見える彼女たちは専科生だろうか。俺を一年生くんと呼んだ学生の手によってさらに強く後ろに押され、黒髪の彼女とは数メートル距離が空く。


 なぜか全身の肌がびりびりとしていて、耳や頭も割れるように痛い。押さえずにはいられないほどだ。どこかでガラスが割れる音もする。辺りを見回したが音の出所がわからない。


 正面に戻した視線の先、上級生と思しき学生の垣根があっという間にできていて、その足の隙間から黒髪の彼女が廊下に蹲っている。


 下級生をぐるりと取り囲んでいる光景はまるで、寄ってたかって虐めようとでもしているみたいだ。


「ちょ、先輩たち、何を」


 彼女からは嫌われているが、さすがに見過ごすことはできない。そばに駆け寄ろうとしたが、紺野先生に強く腕を引かれ、それ以上進めなかった。

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