第2話 新たな出会い

「環、ちゃんと来られたのね。お待たせ!」


 先に出発していた母親と落ち合うことができたので、並んで校内に足を踏み入れた。石畳の道を桜並木に沿って進む。


 桜の花びらが一枚、鼻先をかすめていった。ここは少し標高が高いので、ふもとの街では半分以上散っていた桜がまだ綺麗に咲いていて、視界に入る青い空を半分ほど覆っている。


 力強く伸びた枝の隙間から柔らかい日差しが注ぐ。まるで絵に描いたようにどこまでも澄んでいて眩しい、はじまりの日にふさわしい日和だった。


「ここは馴染みの人ばかりよ。みんなすごくいい先生だから、きっとしっかり導いてくれるわ」


 横を歩く母親は、百年余りの歴史を持つこの伝統校の卒業生でもある。史上初の男子学生の受け入れを英断してくれた学校側に改めて挨拶をするついでに、学生時代の恩師や、ここで先生をしている仲の良かった友達に会いに行っていたらしい。


 勉強が大変と散々聞いたことも不安の一端ではあったが、いい先生ばかりと聞くと少しだけ肩の力が抜けた。


 しばらく石畳の道を進むと目の前がひらけ、芝生の広場が見える。それを抱くように左右に道が伸び、それに沿うように大きさや形が様々な建物が立ち並ぶ。


 合格通知と共に届いた構内図はなんとなく頭に入れてきていた。


 広場の向こうにある、とんがり屋根の時計台がくっついた建物がおそらく『本部棟』。入学式の会場はたしかその裏にある『講堂』だ。


 本部棟の前には長机がいくつか並んでいる。ここが『新入生受付』。さすがに職員の間には話が回っているらしく、男子が現れても特に驚いた様子は見せられない。


 一応名前を言うと、入学式次第とピンのついた白い花――新入生の証を渡される。胸につけると母親が満足そうに微笑んだのが少し照れくさかった。その場でクラスは一年四組だと伝えられた。


 この学校はひとクラス二十人で、一学年は四クラス。新入生は女子が七十九人に男子がひとり、計八十人。やっぱり男子はたったひとり。今までは男女半々ずつの学校にしか通ったことがないので、全員が教室に収まった時に見えるのがどんな景色なのかはまだ想像できない。


 そのまま隣にある『入寮受付』の列へ。当たり前だが、並んでいるのは全員女子。いや、父親に付き添われている子もいるので、男性も少し混ざっている。


 母親に促され、鞄の中から必要な書類を取り出した。受付を終えた人は、このまま指定された寮に荷物を置きに行くらしい。


 たしか学生寮は三つに分かれており、右手の道に進んだ奥にあるはず。でも、ここでひとつの疑問が浮かぶ。


「どうも初めまして、香坂くん。君の荷物はここで預かるからね」


 順番が来て、全ての書類を出し終わったところで、角の取れた心地のいい低音が降ってきた。


 そうか、ここにも男の人はいるのか! 砂漠でオアシスでも見つけたみたいに顔を上げると、目の前には予想に反して女性かと見紛うほどに綺麗な人が立っていた。


 卵型の輪郭につるりとなめらかそうな肌。そこに高い鼻と大きな瞳、色艶のいい唇が絶妙に配置されている。


 これだけを取れば女性のようだが、どう考えても声変わりを経ている声に女性の平均身長よりも頭ひとつ大きい俺をもしのぐ長身だ。そのうえ着ているのも灰色の男物のスーツである。


 まあ、つまるところ男性なのだが、そうは言い切らせないようななんとも不思議な雰囲気をまとっている。そんなどこか現実離れした容姿はまるで画面越しに見る俳優かモデルのように思えた。


 しかし、この人は現実にいて俺ににっこりと微笑みかけている。もしや、都会の人はみんなこんな芸能人のような容姿を持っているのか? 固まった田舎者を押し退けるようにして、母親が前に立った。


「わざわざここまで来てくださったんですね。これから息子がお世話になります。ほら、環も黙ってないでご挨拶して」


「は、初めましてっ。よ、よろしくお願いします」


 俺は訳もわからぬまま頭を下げた。母親はすでにこの人物とも顔見知りらしい。学友だった……わけはない。年齢性別ともに合わない。


「どうも。僕は『男子寮』の担当の紺野こんのと言います。この度は入学おめでとう。困ったことや、わからないことがあったら、僕に遠慮なく言ってね」


 目の前にあるのは、まるでうららかな春の日差しのような柔らかな笑顔だった。俺をまっすぐに見つめる澄んだ飴色の瞳は、やがてやってくる夕焼けの空を思わせる。


「ひゃ、は、はい」


 思った以上に舌がうまく回らない。おそらく歳上の男性を前にして、俺の身体はジリジリと体温を上げていた。なぜか早まる鼓動……なんだこれ? 緊張?


 その割には、再び桜の花びらが鼻先をかすめたように心の中がくすぐったい。訳がわからなかった。呆然としている俺に大きな手が伸びてくる。


「環、荷物」


「ああっ、はい!」


 母親の声で我にかえり、慌てて引いていたキャリーバッグを引き渡した。思わず手元に注目する。爪は丸く綺麗に整えられているものの、それは紛れもなく男性の手であることに妙な安心感を抱く。


「じゃあ、預かったよ。また後で会おう」


 紺野……さんはもう一度笑顔で会釈すると、時計を気にしながら急ぎ足で立ち去ってしまった。その背中を見送って大きく息を吐くと、母親が俺を見てくすくすと笑っている。


「やっぱり緊張してるのね」


「いや、確かにそうだけど、男の人もいてちょっと安心したというか」


「あら、先生やスタッフさんには男の人もいるわよ。もしかして本当に女の人だけだと思ってたの?」


 目を丸くした母親に向かって、俺は何度も頷いた。

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