第68話

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 蝉の無く声が一段と高くなり、鼓膜奥に響く。私と刑事は二人蝉に交じる言葉を懸命に聞き分けようとしている。それは雑居物に交じる純物を取り除くように。

「それからどれくらいたった頃でしょうか。いやもう年月という物が既に自分の中で風化し、何も感じられなくなった程の時間でしゃった。想像してくらっしゃい。子が突然消えた夫婦の苦悩、いやむしろ旦那様よりこの場合、わっちの気持ちです。どこにいるのか、生きているんか、それも分からない日々を此処に一人居て過ごす侘しさ。ええ、勿論、一度ならずともねぇしゃんの居る雲竜寺には行きましたが、そこには私の子はおらず、ねぇしゃんの子が居るだけでしたから。この子等は会うたびに大きくなってゆく…私の心の燻りはねぇしゃんへの嫌疑と嫉妬なんぞが混じり、やがてねぇしゃんのとこにも行くことは無くなり、捻じ曲がる様な年月でした。そして次に覚えているのが、ええ、東京オリンピックが一年後に控えた頃でしゃった。突然ねぇしゃんが此処に来たのです。ねぇしゃんは臨月を迎えていました」

 雑居物に反響して響く声に何かが含まれている。それが純物だとしたら、これから聞いたことは余りにも余りある純であり、真実であろう。

「ねぇしゃんは私に腹を撫でながら言いなしゃった。――お前の子は父の目の届くとこに居る。それも一人は祖父の孫として『東夜楼蘭』、そして息子は『火野屋』の跡取りとして居てそこで何不自由なく暮らしている。息子の龍平は特に体に優れているようで、東京オリンピックの候補生でもあると。それを聞くや私はねぇしゃんに叫びました。「なぜ、このような仕打ちをしなしゃったとです!!」と問い詰めたんです。するとねぇしゃんは毅然としてわっちに言いなさったんです。――動眼へ罪を背負わせるためだ、と」


 ――動眼へ罪を背負わせる。


 私も刑事も眉を上げた。


 ここにおいて動眼がまるで蜃気楼のように浮かび上がった。

 

 動眼、通称根来動眼。

 そしてここに居る龍巳老婦と戸川瀧子の父である。この男こそが、全ての始まりなのだったのか。私は自然と背負っていた鞄から手帳を取り出した。メモを捲ればそこに猪子部銀造とやり取りした言葉がある。その言葉の隣に私は書き込んだ。

 根来動眼、と。

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