第67話

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「瀧子さんが?」

 私が聞くと龍巳さんは首を縦に振られ、そこで着物の皺を伸ばして再び私に背筋を伸ばして向きなおられた。縁淵のどこかに

 蝉が止まったのか勢いよく鳴き始めた。その鳴き声に交じるように老婦の声が私に響いた。

「ええ、そうです。それは私が二十歳を過ぎた頃でしゃった。そう、二人が生まれて三日も立ってない頃で、姉は突然現れなさったんです。私はお産が終わり病院のベッドに横たわっていたんです」

 ここに重要な言葉が出て来た。

 つまり


 ――二人が生まれて三日も立ってない頃


 それはどういう意味か、いや既に私はその意味をロダン君の手稿から答えを聞いている。だから驚くことなく言った。

「つまり、龍平と珠子ですね」

 老婦は頷いた。

「そうです。二人の名を父…つまり旦那さんが役場に届けに行った直後の事でした。ほんに今思えば、いや悪魔来る時、逢魔が時とでもいいなっしゃるんでしょうか、ねぇしゃんが現れた時と言うのは。それでねぇしゃんはいかように私の場所を知っていたのかなんぞ語らず、側までついとやって来ると言いなしゃったとです。

 ――あの二人にいい暮らしをさせる為に私が預かる、それだけじゃなく、それは父動眼の意思でもあると。それに私は雲竜寺に近く輿入れする。ずっと目の届くところにわっちの子はいるのだ、安心しろと言います。しかし、信用できるでしょうか?わっちを捨てる様に明石に向かったねぇしゃんを…私は首を振りました。こんな山深い奥地でありますが、此処の土地は裾広く、また朝夕には遠く瀬戸内の輝く海が見える。遠く奉天の奥から来た私にすれば、此処はもう天国でした。しかしです。断りを受けたねぇしゃんが帰ったその日から三月後、二人の子が突然姿を消したのです」


 ――二人の子が突然消えた。つまりそれは失踪。


 それが何を意味するのか。


「ええ、当初はこの近辺の神隠しとか、熊とかに攫われたとか言われましたが、私は次第にもしかしたらねぇしゃんの仕業ではないかと思いました。ねぇしゃんはその頃明石の雲竜寺に輿入れしており、私も何度か文通を送りました。えぇ、そうです。二人の子を抱いた写真は私です。そしてそれは私がねぇしゃんに子が元気に育っている証に送ったのです。その写真は、二、三枚あってそれは一枚、此処に息子の弔問に来た人に渡したんです。ここに自分を派遣した方にみせてやらねばとかおしゃってたんで」

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