第13話

(13)



 佐竹は指を動かし、画面を停止させる。停止させ、少し戻す。そして再生する。再生すれば、聞こえる彼女の言葉。

 ――『証の竜(アカシノタツ)』


「証の竜」

 自分の声が聞こえる。

「ええ、そうです。私達、母も珠子さんも間違っていたんです。――アカシノタツは『明石の辰』もさることながら、本当は『証の竜(アカシノタツ)』という意味を現している隠語

 だったということを」

 彼女の声はやや息が上がっているように聞こえた。対面して聞いていた時には感じられない感情の熱量と言うのが声の調子の中に感じられる。

 彼女にとってそのことは余程の驚きだったのだろうと、佐竹は過去の時間を振り返り、顎を撫でる。微かに伸びた無精ひげをつまむと引き抜いた。痛みの中に交じる余韻がノイズに飲み込まれ、やがて鼓膜奥で彼女の声が響いた。

「全ては彼が居なければできなかったこと…」

(…彼?)

 何度目だろうか彼女の口からできてた言葉、『彼』。重要な意味を持つのか否か、今それは分からないが、彼女が『彼』というとき、僅かに声が湿り気を帯びて、不思議な感情が押し込まれている様に感じる。

 佐竹は手帳を取り出すと彼女が繰り出した言葉群を書き込んでゆく。


 ――林武夫、祖父、自殺。元町で起きた警察官ピストル強奪事件、連続婦女暴行事件、事件に使われたのが強奪された警察官のピストル、アカシノタツではなく『明石の辰』、『証の竜(アカシノタツ)』、そして

『彼』


 そこで再び彼女の声が響く。

「東京から関西空港に着いた私は正午にあいつと待ち合わせて南海の泉佐野駅で待ち合わせたんです。連絡先は『彼』から聞いていましたので…それから難波へ向かう車両に一緒に乗り込んだ。ええ、それは…過去のある事件についてあいつに語り、そしていわれなき被害を受けた祖父、そしてそれに苦悶しながら生きた祖母や母へ謝罪させるために」

(待ち合わせた…あの老人と)

 佐竹は眉間に皺を寄せる様に老人の言葉を引き寄せた。

 ――「今日は、南海側に用事があったんや、それでいいがな。細かいことは」

(…それか、あの言葉が意味したところは)

 だが、と佐竹は思った。

 もしそれがそうであるなら、老人は彼女に嘘をついたと言える。何故ならまだ自分は老人に会っていない。つまりブンヤである自分はまだ何も聞いていないのだ。

 となれば、老人が彼女に言った『――あの『事件』の事は聞屋(ぶんや)に話したで』と言ったのは老人自身が成した彼女に対する一種の張ったりだと解すべきだった。

 張ったりはお手の物ということか、佐竹は頷く。

 テキヤであれば尚である。

 ノイズ向うの彼女は老人のはったりで心の中に潜ませた勢いをいきなり張られたのかもしれない。老人は気付い居ていたのだろう、だから彼女の物言わぬ心の内に秘めたものというのを感じて即座に、彼女の勢いを張ったりで払った。

 相手の心の動揺を誘い風見鶏の様にくるくると回転させてしまい、その場にすくませる。それだけで老人には十分だったのかもしれない。もしかすれば様子見という意味もあったかもしれない。様子を見て、次の手を探す。それは相手の意を虚に外して、虚が生じた隙間に次の取引を有利にする為の策術。

 佐竹は不意に昨日話の内容を切られた瞬間を思い出した。自分は虚を突かれた思い出はなかったか?

 良い所は一度に出さない、大事に出し惜しみすることの邪さこそ、もしかすれば佐竹から『銭』をより多くひきだそうとする老人自身の一種の交渉術だったのかもしれなかったかと考えた。それならばそれで、アカシノタツこと猪子部銀造は中々の練磨された人物であると言えた。

「だけどあいつ…」

 火が着火したような言葉に佐竹は振り返る。

「『――知らんでぇ、そんなことは、それらは全てあんたらの想像やがな』と言ってへらへら笑いやがったのです。そしてこういいました。『――ブンヤに話した内容は『東夜楼蘭』の謂れや『根来動眼』のことあとは田中竜二、火野龍平、そうそうあんたの育ての親である東珠子の事を話しただけや、あんたの言うピストル事件や婦女何とやら事件何て俺は全く知らし、かかわりのないことや』と」

  ノイズが響く。沈黙が有った。

「それから、あいつはそれ以後車内で黙り、難波駅に着くと足早に私の側を離れて人混みの中に消えた、謝罪もなく、何事も無かった平和裏に生きた市井のひとりの老人として…」

 彼女は唇を噛みしめる。

「だけどあいつは絶対にそうなんです。もうそれは此処に彼が調べてしたためてくれたものしかない。でも、それだけも十分、十分事件の成り立ちも背景も分かるんです!!」

 彼女は言うやスマホを佐竹の眼前に見せる。佐竹はそれを見る。見ればスマホの小さな画面にそれはPDFが映っている。

 それを彼女が見ろと言わんばかりの勢いで差し出している。差し出された指に薄くピンクに塗られたマニュキアが見えた。

 佐竹は瞼をぱちぱちとさせる。それから差し出されたマニュキアに向かってすまなさそうに佐竹は言った。

「すいません、このスマホではあまりにも小さくて見えません。ですので後で僕のメールに送っていただけますか?」

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