第12話
(12)
録音アプリにノイズが残っている。
誰も居なくなった夜のオフィス。佐竹はそのノイズの向こうに僅かに残っているかもしれぬ人間の感触を鼓膜奥で感じ取ろうとしている。
それは、人の息遣い。それが乱れているのか、それとも整っているのか。ノイズの向こうに聞こえる僅かな感触の中に佐竹は意識をダイブさせる。
誰もいない夜のオフィス。
佐竹の仕事はまだ終わらない。そのノイズの向こうに残る『何か』を感じ取るまでは。
「アカシノタツ…」
彼女はく潜る声で続ける。
「…良くも今までその姿をくらませることができたものだと、彼は私に言ったのです」
「彼?」
「…ええ、彼。そう彼が居なければ私達の長きにわたる苦悶というか、呪いともいうのか…それは、長い時間の『謎』は明らかにされなかったのです。珠子さんもそして祖母から私まで三代に渡る人々に横たわる『謎』が…」
彼女はそこで咳払いをする。それから大きく息を吐いた。息が机を這う様にスマホのマイクに吸い込まれていく。それは酷く冷静な輪郭を保ち、佐竹の鼓膜に響く。
「アカシノタツ…私がその名を知ったのはごく最近の事…、亡くなった祖母の遺品整理をしていた時、或る手記を見つけたのです。その手記は私の祖父林武夫の自殺に関わる手記でした…」
――手記…
――祖父の自殺…
ノイズの奥で僅かな乱れがある。何かそれらは彼女の感情を揺さぶるのだろう。佐竹はより深く意識を潜り込ませる。何故なら彼女の口から自分が老人から聞いた人物の名が出て来たからだ。
――珠子、
それは恐らく東珠子の事であろう
佐竹はその人物の名と経歴を既に知り得ている。検索エンジンに掛ければその人物の略歴は直ぐに見て取れた。検索エンジンでは東珠子当人についてこう書かれている。
――東珠子。芸能プロダクション『アズマエンタープライズ』会長。大阪中之島にあるFホールをはじめとして多くの劇場を所有。大阪の大劇場主であり、また配下の劇団から才能ある若手演者のみならず脚本家等多数輩出させる敏腕プロデューサーとしての手腕を持つ。またその他出身地である大阪南部に多くの不動産を所有する資産家でもある。
つまりだ、
佐竹は僅かに意識を捻らせる。
彼女は大阪では知らぬ演劇会のボスと言ってもいいだろう。だがボスとは言え、当人は大女優とかではない。興行主、劇場主だ。それに検索エンジンには書かれてはいないが彼女の人脈は映画界やテレビ業界だけではなく、古典芸能も含め幅広いはずだ。だからこそ配下の劇団出身の多くの若手演者達がメディアで活躍できているのだ。それはそうした彼女の隠れた分野における手腕によるところであると分かる。
そして、佐竹は捻らせた意識をゆっくりと解く様に息を吐く。
――いま売り出し中の彼女、西条未希もまた彼女の手によるところなのだ。
つまり西条未希は東珠子が特に力を入れているⅩ劇団からの生え抜き女優なのだ。だが彼女は言わなかっただろうか?
――『謎』は明らかにされなかったのです。珠子さんもそして祖母から私まで三代に渡る人々に横たわる『謎』が…
これはいったいどういう事だろう。彼女の言葉はまるでそこに関係する人物たちが一つのサークルを作り出していることを暗示させている。
それはつまり、珠子、祖母、母そして彼女の三人が一つのサークルだとでも言う様に。
「…『謎』ですか…」
呟く自分の声がノイズに交じった。
「知りませんか?佐竹さん」
唐突な彼女の問いかけに、佐竹が顔を上げる。
「東京オリンピックが開催された前年に神戸元町で起きた警察官ピストル強奪事件」
「強奪事件?」
佐竹が口を小さく開く。
「…いえ、それは」
彼女は首を縦に振った。佐竹の意図を察した頷きだった。
「では、それに連なる様に起きた連続…」
一瞬彼女は躊躇い、首を振ったがやがて吐き捨てる様に言った。
「婦女暴行事件のことは勿論知らないでしょうね…」
彼女が言った思わぬ内容に佐竹は眉間に険しい皺を寄せた。
(連続婦女暴行事件だって…?)
彼女の声が低い床を這う様に伸びてきて佐竹の眉間の皺に触れた。
「そしてその事件に使われたのが強奪された警察官のピストル…」
「ピストル?…」
ノイズ向うで息が乱れている。それは自分かはたまた彼女か。
「そのピストルが盗まれた警察官こそ、私の祖父、林武夫なのです。あろうことか、その盗んだ犯人は長い間捕まらなかったのです。しかも犯行の容疑者として当時の神戸界隈のごろつきは皆名が出ていたのです。その中にこのアカシノタツはあった。しかしながら彼はアリバイがあった。そうそう、山口の萩で祭りがあり、仕事で居ないと言うアリバイが同僚の証言であった。それから事件は闇の中にはいりこんだのですが、しかし…しかしやっと、やっと…私達はその盗んだ犯人を突き止めることができたのです。そう、自殺した祖父の無念をやっと晴らすことができた、それは彼のおかげで」
「彼のおかげ」
彼女は頷いて言った。
「その犯人こそが、アカシノタツ」
「アカシノタツ」
反芻する佐竹。
頷くと彼女は素早くスマホを取り出すと文字を打ち込む。打ち込み終えると佐竹の面前に差し出す。画面に打ちこまれた文字が見えた。
それは…
アカシノタツではなく『明石の辰』
「…明石の辰」
文字をなぞるように呟く。
「ええ、私達は最初聞いた時、そう理解していました。あの猪子部銀造はテキヤ仲間では「明石生まれの辰」ことアカシノタツと言われていましたから。だけど本当は違っていたんです。あのアカシノタツという意味はもうひとつあったんです」
「もう一つ?」
彼女は素早くスマホを手元に引くと文字を打ち込んだ。
佐竹には見えた。彼女の指先が僅かに震えているのが。それは興奮の為か、それともそれ以上の謂れも無き感動の為か。
彼女は差し出す。佐竹の面前に。
佐竹は画面を覗き込んだ。
覗き込むと画面にはこう書かれていた。
――『証の竜(アカシノタツ)』と
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます