第11話

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 彼女が佐竹に語ったことは十分、佐竹自身を面食らわせた。言うまでもなく情報に身を寄せている自分が老人の死を知らなかったと言うことは職業人としての失格を烙印されたようなものである。

 それも恐らくではあるが面前に座る女優の西条未希に。

 彼女は佐竹にこう言った。

「――猪子部銀造は、昨日夕方近鉄難波駅に繋がる通路側の立ち飲みどこから出てきたところを後から追ってきた男と口論になり、その場で男が手にした鋭利な錐体物で首を刺され搬送先の病院で死亡。刺した男は現在逃走中、府警は行きづれの犯行として、目下男を捜索中…」

 それからスマホを佐竹の面前に差し出す。

 画面に佐竹の眼差しが映る。視線を下げれば、提供した記事元が見え、言わずもがなそれは当社だった。それもパーテンション隣の社会部二課。

 何ともはや…である。

 面食らうと同時に面目を失うという事だった。

 彼女がスマホを手元に戻すが、しかしながら眉間に皺を寄せている。眉間の皺が何を語るのか。佐竹に対する失望か、はたまた違う懸念なのか。佐竹は腕を組み次第に顎を引く彼女の眼差しを追う。追う先に彼女が見つめているものがある。それが彼女から語りだせるのか、それとも閉じこもったままになるのか。昼下がりに時間にどんな解決策が訪れるのか、今は未だそれが分からないが佐竹はテーブルに置いた自分のスマホを手に取って画面を見ながら、ポツリと言った。

「別れ際に猪子部さん僕に言ったんです。――連れに会うと、小指を立てて…」

 彼女がピクリと反応する。

 その反応が激しい。まるで何かに怯えるような…

 嫌、違う。佐竹は思った。

 やがて彼女が顔を上げて佐竹を見た表情は何かを唾棄するかのような、そんな眼差しだった。

 何か、そう、虫でも見るような、それもなんか粘液を出して這いずる虫を見つけて、面前に出されてそれを軽蔑する人間の本性をさらけ出した目だ。

 それが佐竹を見ている。いや違う、彼女が見つめているのは佐竹が吐き出した言葉を見つめているのだ。


 ――連れに会うと、小指を立てて


「外道。穢らしい奴、良くもそんなことが言える」

 まるで何か劇中に於いて、正義の主人公が敵に向けて発する辛辣さが含まれた刃の様な言葉が、佐竹の言葉を寸断した。

 あまりの切れ味鋭い言葉に佐竹は心中深く思うより他なった。

(一体…何があったと言うのか。彼女とあの老人との間に)

 佐竹はまじりとする。まじりとするとやがて生来の職業的野心が鎌首を擡げて来た。つまり興味がふつふつと湧いて来たのだ。昨日、猪子部銀造は語るべきことを全て語る事なく去った。去って、そして今日、自分の中で死んだ。死んで過去の昨日から自分の未来に向かって思いがけない使者を使わせた。それらが意味するところは、つまり語るべきものが唯変わっただけなのだ。自分がどうすればいいのか?簡単明白だ。自分は聞き、そして記事にする。それだけだろう?違うか?

 佐竹はスマホのアプリを起動させる。それは相手の声を録音するためだ。佐竹の中で失われた自信が戻り、やがて彼は記者として彼女に向き直った。

「…それで、伺いますが?そのアカシノタツこと猪子部銀造とあなたはどのような関係で?」

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