第1回 プリュドム 「壊れた花瓶」

 1901年に栄えある第一回ノーベル文学賞を受賞したのは、フランスの詩人シュリ・プリュドムでした。


 シュリ・プリュドム? 誰それ?


 ですよね。わたしもでした。

 でもね、それも無理からぬことかもしれません。だってシュリ・プリュドムの本を検索しても日本語訳されたものは全然見つからないですし、それでもどうにかプリュドムの詩が載っている本を発見したのですが、それは今回私が読んだ『ノーベル賞文学全集』ともうひとつ『フランス詩大系』という二冊だけでした。つまり、現在の日本では日本語訳されたプリュドム単独の詩集は手に入らないのです。


 そんなプリュドムさんについて簡単に。

 プリュドムは1839年にパリで生まれました。工場の事務員などをして働いていましたが目の病を得てしまい、詩作に専念するようになります。1865年26歳の時、最初の詩集『スタンス・エ・ポエーム』を出版します。その後も何冊か詩集を世に送り出し、1881年42歳のときにアカデミー・フランセーズの会員になります。そして1901年62歳でノーベル文学賞を受賞しました。

 彼の詩の特徴について、今回わたしが読んだ『ノーベル賞文学全集』の中の「人と作品」という受賞者の人物像と作品を解説する章では「じつに人間性にみちていて、こまかな深い切実な抒情の点で当時比類のない詩だった」と述べています。

 

 ちょっと待って。アカデミー・フランセーズってなに?

 

 はい、調べました。

 アカデミー・フランセーズとはフランスの国立学術団体だそうで。

 いったいどんな団体なのかというと、この団体の目的は“フランス語を守ること”。

 40人ほどの知識人、作家などの会員がフランス語の質の維持、辞書の編纂、文学賞の授与といった仕事をしているんだとか。

 発足は1635年。日本は江戸時代、徳川幕府三代将軍家光の時代。古いですね。

 そんな歴史あるアカデミー・フランセーズの会員に選ばれたってことはプリュドムさんフランスではなかなか地位のある詩人さんだったってことですよね。ノーベル文学賞をもらったっておかしくないはず。


 ノーベル文学賞の選考はスウェーデン・アカデミーというスウェーデンの学会が行っています。


 あら、こっちもアカデミーですかい、なんて思ったり。ちなみにスウェーデン・アカデミー発足は1786年。「アカデミー・フランセーズをモデルとして作られた」そうで。

 

 スウェーデンアカデミーは各国の著名な文学者、大学教授などにそれぞれの国の候補者を推薦してもらいます。この候補者をスウェーデン・アカデミー内の選考委員が絞り込んでいって、受賞者を決定します。


 プリュドム受賞の発表をきいて、ノーベル賞のお膝元であるスウェーデンの作家、音楽家など43名が共同でロシアのトルストイに対してあなたが選ばれるべきでした! 残念です! といった声明を出しました。

 またスウェーデンの日刊紙は選考結果について、ノーベル文学賞選考委員会は当時有名だったロシアのトルストイやフランスのゾラやノルウェーのイプセンではなくプリュドムを選んだ、といった感想を述べました。

 

 少なからず驚きをもって受け止められたプリュドム受賞ですが、ほかならぬプリュドム氏自身も「ただただびっくりして驚いている」と新聞のインタビューに対し語ったとのこと。


 プリュドムはこのあと1907年68歳で亡くなりました。


 だいぶ前置きが長くなってしまいました。


 わたしとしてはノーベル文学賞についてよりよく理解したいという思いは当然ある。

 一方でこのよく知らないプリュドムという詩人の作品を、先入観を持たずに詩そのもので味わいたいという気持ちもあるのです。

 歴史的背景を知らなくても、プリュドムの経歴や人柄を知らなくても、フランス語における詩のルールを知らなくても、何かを訴えかける力を秘めている詩ならば、わたしはきっと魅了され、思わず口ずさんでしまうことでしょう。

 そんな出会いも期待しているのです。


 ですので作品を取り巻く外野の説明はこのくらいにして、いよいよプリュドムの詩の世界に入っていきたいと思います。

 

 ただもう一つだけ。

 外国語の作品は、翻訳によって風味がだいぶ変わってきますよね。詩の場合は特に。

 プリュドムの詩もできればいくつか違う翻訳で読み比べしてみたかったのですが、残念ながらわたしはこの『ノーベル賞文学全集』に載っている川崎竹一氏訳のものにしか触れることができませんでした。

 もちろん残念なのは一つの翻訳しか読めなかったってことですよ。川崎竹一氏の訳は柔らかくて温かみのある素晴らしいものです。


 で、何が言いたいかというと、次のとおり。

 この『ノーベル賞文学全集』にも載っている、プリュドムの詩で最も有名なもの、一番最初に出版された詩集『スタンス・エ・ポエーム』の中の「壊れた花瓶(Le vase brisé)」を、大学で第二外国語としてフランス語を勉強したのわたしが無謀にも翻訳に挑戦します!


 ご興味の無い方、すみません。ここから二十行ほど読み飛ばしてください。



  壊れた花瓶


  花瓶 そこにこのバーベナの花が死んでいるが

  扇の一撃でひび割れたのだ

  一撃といってもほんのわずかかすっただけだったはずだ

  何の音もしなかった


  だが軽い傷は

  日々このクリスタルの花瓶を噛みしめ

  目には見えない、それでいて確かな歩みで

  花瓶の周りをゆっくりと一周した


  新鮮な水は一滴、また一滴とこぼれ

  花の中の液も尽きた

  誰もまだそれに気づいていない

  触れないでください、壊れているのです


  しばしば同じように愛するひとの手も

  そっと心に触れ、傷つける

  そして心はみずから裂けて

  愛の花は命を落とす


  いつも通り無傷に映っているのだ 人びとの目には

  感じる 低い声で泣いているのを

  細く深い傷が広がっていくのを

  壊れているのですよ、触れないでください

 


 プリュドムの美しく繊細な詩の世界観が少しでも伝わったならば幸いです。

 

 この「壊れた花瓶」、最も有名になったのも頷けます。

 とてもシンプルで分かりやすいですよね。起承転結、はっきりしているし。

 ほかの詩はもうちょっと表現が哲学的というか。

 たとえば「懐疑」という詩の冒頭「真理は純白にして大きな井戸の底に眠る」のように、わたしには難解に感じるものも少なくなかったです。


 先に申し上げたとおり、わたしには初級程度のフランス語知識しかないので、わたしの訳には間違っている箇所があるかもしれません。

 もっと正確に、深くプリュドムの詩を味わってみたい方は是非川崎竹一氏訳を読んでみてくださいね。


【今回読んだ本】

『ノーベル賞文学全集』第23巻 主婦の友社1971年

※本文中の「」内はすべてこの本からの引用です。

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