第17話 無表情


 和志は自分で思っている以上にショックを受けていた。

 努力していると思っていた自分。

 もっと前に出ろと思っている周囲の期待。


 武田が『立候補する』と言った時に、どうして『自分たちは』無理に前に出ないといけないんだろうという反発の気持ちが強く出て、思わず彼の腕を掴んでしまっていた。



「なんで?」



 和志はしばらくの間、武田と睨み合っていた。

 相変わらず武田の表情は読めない。


 やがて背の高い後輩が口を開いた。

「…坂本さんは、剣道部の部長の立場があるでしょう。それを全うしてください」

 和志は目を見開いた。

「俺にはできないって、お前は思っているってこと?」

「そうじゃないです」

 そう言った時、武田の顔が悔しそうに歪んだ。その表情は人間らしく見えた。

「やりたくないんだったら、やらないほうが良いってことです」

 ああ、そうか。

 武田は本当にそう思っている。

 本気でそう思ってくれているんだ。

 

 和志にとって武田は表情が読めず本心が分からないが、これまでの彼の発言こそが割とストレートに本心だとすると、自分の方がよっぽどひねていて恥ずかしいんじゃないかという気がしてきた

 

「お前ね」

 急に武田が可愛らしく見えてきた。

「我儘でいいんじゃないの?」

 和志がそう言うと、武田はびっくりした表情をした。

「え?」

 ほら。

「まだ一年生なんだしさ」

 そうだ、自分よりずいぶん大きくて、落ち着いて見えるけどまだ一年生だ。和志は掴んでいた手を離した。

「会長、空席になったら中島と生徒会顧問が慌てるだけだろ。俺が辞退届出して、お前も立候補の届を出さなかったら、あいつら泡噴くぞ」


 二人でその様子を想像し、互いに表情を緩めた。


「ほら、面白いだろ。それで、いいじゃん」


 お互いに、無理をする必要は無い。


 …違う?


「今回のことって中島の策略じゃん。あいつらは誰が会長でも困らないだろ。俺もお前もうまいこと操作されそうになってるから、二人で組んで中島を困らせるのが一番面白そうだって、早い段階で気付いてはいたんだけど」


 武田に、伝わるだろうか。


「気付いてはいたんだけどさ」

 言ったら、気を悪くしないだろうか。

「ごめん、お前と話が合うかどうかが分からなかったから様子見だった」

「え?」

「敵か味方か、仲間にしていいのかどうか」

「じゃあ」

 武田が口を開いた。

「こういうふうに話してくれるということは、味方と判定されたんですか」

「ん~」

 そういうふうに訊かれると、少し違う気もした。

 味方。

 というより、大人に対する怒りか。

「どうかな。味方って判定したというよりは…まあ俺の今考えていることが中島にバレてもいいと思ったってことかな」

 もしも武田が、より中島側の人間だったとしても、自分は手の内を明かして素直に怒りを表現してもいいんじゃないか。

 そして、武田も、もっと本心を前に出していいんじゃないか。

 

 和志は十センチほども背の高い後輩の頭に手を置いた。


「俺はお前のことはよく知らない」

 和志は武田をじっと見上げた。

「でも、俺とお前が味方になれないとしても」

 そう言ってから、少し緊張しているのに気付いた。乾いた唇を湿らせて言葉を選ぶ。偉そうなことを言うつもりは無い。先輩ぶるつもりも無い。でも、目の前の後輩に、これだけは伝えておきたい。


「お前が嫌なことは、やらなくて良いってことだけはアドバイスしておく」

 お前だって俺にそう言ってくれただろ?

 お前だって、やりたくないんだったら、やらないほうが良い。

 つい、頭に置いた手に、力が入ってしまう。

 武田が小さく頷いた気がした。


 分かる?


 手を離した。


「俺への遠慮はいらない」

 俺に気を遣うな。

「先生とか先輩とかに従う必要も全くない」

 自分の気持ちを大事にして欲しい。


 お前は何を隠しているんだ。

 

 じっと目の奥を探る。

 自分は武田の気持ちを掴めているのか。

 …無理か。

 武田も和志をじっと見つめている。


「坂本さん」

「ん?」

「あの」



 武田も言葉を選んでいるように見えた。

 自分の想いは伝わっているのか。

 自分たちには選ぶ自由がある、そういう気持ちは。




「とにかく、坂本さんは気にせず、辞退してください」




 和志は俯いた。

 伝わらない。

 武田は自由になれない。

 自由になるつもりが無い。そういう人間に、何を言っても伝わらない。



「武田は真面目だね」

 そう言うと、目の前の後輩がムッとしているのが分かった。

「いえ。真面目じゃないです」

 真面目じゃん。


 もう一度、もう一度だけ確認しておこう。

「武田、立候補する?」

 見上げた。

 少しでも伝われ。

 お前は嫌なことはやらなくていい。もちろん俺も。

 周囲の希望を無視していい。

 違うのかな。



 和志は答えを待った。



 武田が、首を横に振った。

「分からない」



  

 …少しは、伝わったのかな。


 


 道場から稽古の声が聞こえてきた。

 和志は武田に竹刀を持ち上げてみせた。

 俺、行くわ。


「呼び止めて、すみませんでした」

 武田が言った。

「いや、なんかちょっとだけ武田のこと分かってホッとした」

 和志はもう一度武田の頭に手を置いた。

「僕の…ことですか?」

 頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。

「自己犠牲心高め。もうちょっと緩めた方が楽になると思う。けど、まあそれもお前の選択だから何とも言えないけど」

 結局まだよく分からない。

 もう少し話したい。

 話し足りない。

 




「もし何か言いたいことがあったら」

 最後に和志は武田に言った。

「またここに来れば会える」


 周囲からプレッシャーをかけられたら。

 それが自分の本意じゃなかったら。

 生徒会の件だけじゃなくて、なんでも。

 なあ、お前はどう思って、どう判断をする?

 


 武田は和志の言葉に立ち止まった。


 

 至極冷静な顔つきで『はい』と言った。



 お前ってよく分からないね、と和志は思った。








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