第12話 その扉を開く

 選挙管理委員会に、坂本からの辞退届が出ていない。中島は状況を面白がっていた。

 自分が画策し始めたことだが、想定外の動きが生じている。

 一年の武田が想像していた以上に礼儀正しく奥手だったこと、剣道部部長の坂本が意外に慎重派だったことなど、不確定要素が全て思わぬ方向へ向かった結果が、このモヤモヤした現在地だった。

 中島にとっては何がどっちに転がっても痛くも痒くもない。


 しかし少し、気になる。


 選管委員に、坂本の辞退届が出されていないことを確認すると、中島は生徒会室へ向かった。



 生徒会室のドアに手をかけた。

「なあ、坂本の辞退届、こっちに来てないか」

 そう言いながらドアを開ける。

 そして中島は、ほんの一瞬、違和感を感じた。



 ん?



 らしからぬ雰囲気を感じたのだ。



 しかし、その違和感が何か考える前に、目の前で水原と武田が掴み合いのような状況になっているのを見て慌て、感じた違和感のことは忘れてしまった。


 例の如く窓際に陣取っている武田に水原が詰め寄っている。水原が、武田に会長になるように圧をかけているのだと中島は思い、慌てて仲裁に入った。


「おいおい水原、無理強いは良くないぞ」

 中島の言葉に、水原がバッと身体を離す。

「無理強いなんてしてません」

「ほんとか、武田」

 中島がそちらへ顔を向けると、武田は恐ろしく無表情で頷いた。

 本当かどうかはさておき、双方意見が一致している以上、中島にはそれ以上追求する権限が無い。

「……」

 2人の顔を代わる代わる見て、ため息をつく。

「水原が心配するのも分かるけど、なるようにしかならないから」

 そう言うと、水原の視線が少し泳いだ。中島は続けて言った。

「坂本が辞退届を選管に提出してないんだ。こっちにも来てないよな」

 問いかける。水原が武田をチラリと見たが、武田は目も合わせない。

「来てません」

 水原が返事をした。武田は目が死んだままだ。

「このまま武田が立候補しなければ坂本の無投票当選になるが」

 言いながら、中島はそれでも別に構わないと思った。

 ただ、最終確認のつもりで、2人の目を覗き込む。

 しばらく待っていると、感情のない目をしていた武田の瞳にゆっくり光が差し始めた。

「…次期会長は、僕がやります」

 突然言い切った武田を、水原が驚いた表情で見た。

「直人」

「元々、副会長が会長になるのが順当だから。あと一期だけ、在籍します」

 武田は何もかも振り払うようにそう言って、部屋を出ていった。



「水原、武田に何って言ってプレッシャーかけたんだ」

 武田の居なくなった部屋で、中島は訊いた。

「プレッシャーなんか、かけてません。なっても良いし、ならなくても良いって言いました」

 水原が、そう答える。

「でも、さっきのあれは」

 一体何だったんだ。

 質問しようとした中島を、水原は遮った。

「直人が会長をやるっていうのは、多分今日ここに来る前から決めていたんだと思います。俺との会話で何か影響があったとは思えないから」

「でも、さっきの」

「先生は生徒会、関係ないでしょ。選管なんだから。出てってください」

「……」

 あからさまに追い払われてしまった。


 生徒会室を出る時、中島は水原の唇の端に、ほんの少し血が滲んでるのに気付いた。

 …いつからだろう。

 部屋に入った時には気付かなかった。


 唇、切れてるぞ。


 言おうと思ったが、大したことでも無いと思い、言わなかった。



 しかし、生徒会室を出た中島は、最初に感じた違和感を思い出した。

 抵抗していた武田。

 そしてさっき血が滲んでいるように見えた水原の唇。


「まさか」


 思いついたことがあったが、それはあまりに突拍子がなく、中島は自分の想像力の暴走に笑った。



「さてと」

 坂本を探しに行くか。

 それとも、いつもの場所に戻るか。


 ……。


 坂本のことは、武田に任せておこうと中島は結論付けた。

 少し様子がおかしかったが、武田は問題を起こすような人間では無い。何より坂本に片想い中だ。そしてさっき、『会長になる』と自分たちに宣言したのだ。

 もう迷わないだろう。

 出ていった武田の行き先は、選管か、剣道場か。


 うん。

 任せよう。


 ではまあ、自分は定位置に。


 教室に戻るべく、中島は渡り廊下を渡った。 

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