第11話 決心

 直人は道場の勝手口から坂本の姿を盗み見た。防具を着けて頭まで隠れると誰が誰だか分からなくなりそうだと思ったが、直人には、坂本だけが見分けられた。


 ただ、稽古の間それぞれの居場所が次々と変わり、所々で坂本は見えなくなった。

 その場合は直人は音を聞くだけになった。


 音だけ。

 大勢が声を出している。

 どれが坂本の声か、分かるはずもない。

 声。

 板の間を踏み込む音。

 竹刀の音。

 初めてこんなに近づいた。

 この音の中で坂本は存在しているんだと直人は思った。


 目を閉じて、自分の置かれている状況について、直人は改めて考えてみた。


 多分自分は近付き過ぎている。中島の策略により。

 生徒会室の窓から、見下ろしているだけの方が幸せだったのでは、と。


 見ているだけの状況で、坂本に対してできることは何も無いが、話せるようになっても、やっぱりしてあげられることが何も無い。

 遠くから見ているだけの時は、それだけで幸せだった。

 でも話をしてしまうと、もっと他の人よりも関わりたい、できれば役に立ちたいという気持ちが強くなる。

 


 道場の外壁にもたれて、直人はため息をついた。



 おそらく、坂本はまだ辞退届を出していない。

 あの日、辞退したいと言って生徒会室を訪ねてきた。

 なのに、何故。


『お前さ…会長、やりたくないの?』

 さっき、そんなふうに訊いてくれた。

 中島が状況を言ってしまったのだろう。

 中島のせいで坂本が心配していることに腹が立つ。

 しかし、中島のおかげで、坂本が自分を気遣ってくれている事実もある。

 それは、少し嬉しかった。


 でも、迷惑をかけるわけにはいかない。

 この、坂本と関われた数日間を中島からのプレゼントと好意的に受け止めて、自分は会長になろう。


「うん」


 一人で頷いた声は、道場からの音に埋もれた。

 自分が会長に立候補するので、坂本さんは辞退届を出してくださいと、言おう。


 辺りが暗くなってきた。

 もう一度道場の中を覗いてみた。

 ちょうど、坂本と誰かが稽古をしているのが見えた。

 嬉しくて、しばらく見ていた。

 激しくぶつかり合っては、位置が入れ替わる。

 坂本の後ろ姿に無駄が無い。

 防具を結ぶ紺色の太紐が背中でクロスしている。そのクロス部分に身体が触れていない。華奢で、姿勢が良いからか。袴の腰が引き絞るように細い。正面から見た時は胴で隠れている。制服を着ている時も、こんなに痩せているとは気付けない。激しい動きの中、袴の揺れ方が他の人と違う気がする。


 一つ一つが美しい。


 あの見た目が好きだ、と直人は思い直した。

 見た目が好きなんだ。

 中身まで知る必要は無い。

 自分は、あの人の性格や置かれた状況を知る必要は無い。

 ただ見た目を愛すればいい。


 その場を去った。





 翌日放課後、直人が生徒会室へ行くと会長の水原がもう来ていた。いつもの会長席に座っている。

「直人、昨日剣道部行った?」

 部屋に入るなり訊かれて「え?」と聞き返す。

「剣道部の道場。行ったの?」

「はい」

「坂本の偵察?」

「いえ」

 水原の言っているのは『会長に立候補している坂本の偵察』のことだ。『直人にとって見た目が美しい坂本の偵察』を言っているわけではない。

「ちょっと興味があって」

「今さら剣道部に入らないだろ」

「もちろん」

「妹?」

 妹目当てか?という質問だ。

「いえ。妹は同じクラスで、わざわざ見に行く必要はないです。仲は悪くないですけど、興味もないし」

 そう返事をすると、水原は『ふーん』と頷いて、そこで質問攻めを一旦ストップした。

 直人にとって、水原は中学の先輩というよりは『近所のお兄さん』だ。中学校どころか小学校も、なんなら保育所も、ずっと同じ出身だった。

 水原は体育会系な男で、中学校からバスケ部に所属している。中学一年生の時に既に身長が百八十センチ近くになり、その頃は見上げていた。

 今では直人の方が背が高いが、水原はがっしりした体型なので、トータルとしては水原の方が大きく見える。年齢も、実年齢よりも年嵩に見える。頼れる人ではある。


 直人はいつもの場所、窓際の柱のところにもたれかかった。

 ふと振り返ると、水原が、直人をじろじろと見ていた。

「なんですか」

 少し居心地悪く感じて直人は声をかけた。

「一年で会長やっても、別にいいんだぞ」

 水原の声が真剣だった。それ聞いて、直人は居住まいを正した。身体ごと、水原に向き直る。

「はい」

 ちゃんと返事をした。

「まあ、やらなくても良い」

 水原も、椅子を回転させて、直人にしっかりと向き直る。

「…はい」



 お互いの目をじっと見た。

 直人は、水原がこれから何を話そうとしているのか分からず、その目を見つめて探ろうとした。

 同時に、水原にとっても直人の考えは想像しづらく、本心を探ろうとしていた。

 もう、近所の小さい男の子では無いという事だけ、頭に叩き込んだ。



「いきなり生徒会に引きずり込んで悪かったよ」

「いえ」

 短く返事をしながら、直人は水原が生徒会の件で初めて謝罪してきたことに驚いていた。

「直人が部活に入らないのは分かっていたから」

「…はい」

 性格や癖を知り尽くされているのだ。兄弟のようなものだ。

「高校って、なんか仲間がいて、なんかイベントがあって、この「なんか」って感じ、もしかしたら最後かなって思って。大学にも行くんだろうけど、いろんな地域の人が今以上に混ざり合うから、また違う場になるだろう。高校で、直人が同級生とだけ連んでるのが勿体無いと、勝手に思ったんだ。勝手だけど」

「……」

 水原が、そんなふうに思ってくれていたとは知らなかった。大袈裟なように感じたり、ありがたく思ったり、複雑さに気持ちが揺れる。


「僕は…」

 なんと返事をしよう。

 直人は迷った。

 礼を言うべきか。

 それは水原の勝手だと言い返すべきか。


 想いをめぐらしていた時、急に水原が椅子から立ち上がった。

「あと、単純に」

 そこで水原は言葉を切って、息を整えた。


「…直人と生徒会をやったら面白いだろうと思ってた」

 水原のその言葉で、二人きりの室内に微妙な緊張が走った。



 言葉は普通だった。

 でも、水原の話し方に、空気を変える何かがあった。



 なんだ、これ。

 直人は全身の皮膚がピリピリするのを感じた。

 言った水原の耳が赤い。

 もしかして、遠回しの告白だろうか。普段ならそんなことは感じないのに、この、2人の間に流れたことのない奇妙な空気感はなんだろう。

 少々臭いセリフにただ照れているだけだろうか。


 どちらか分からない。


 水原は、どうして立ち上がった?

 万が一水原に飛び掛かりでもされたら、直人に勝ち目は無い。相手の体格が良すぎる。


 今、水原と直人の距離は2メートル程度ある。

 出口は水原の方が近い。直人の逃げ道は無い。

 またはこの窓…。

 でも、3階だ。


 窓から下をチラリと見る。

 そこそこの高さに、直人は我に帰る。

 バカバカしい。

 なんてことを考えているんだ。あり得ない。

 水原が自分を。

 それは、無い。妄想が酷い。

「ふふっ」

 直人は笑った。

 最近、自分はどうかしている。



「どうした?」

 水原が、直人に一歩近付いた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る