第15話 緊張


 両腕を掴まれたとき、直人は身体が硬直して動けなくなってしまった。


 少し警戒して、警戒した自分を少し笑って、そんなことないだろうと雑念を振り払っているうちに距離は詰められて、気が付いたら自由を失っていた。

「たけくん…?」

 直人は無意識に古い呼び方で水原を呼んだ。中学生になってからは一度も読んだことのない、小さい時の呼び方だった。それに対し水原は『懐かしいな』と呟いて、笑顔を見せた。






 坂本に両腕を掴まれた時、直人は先ほどと似たシチュエーションに驚いた。

 先ほどとは違って、自分より十センチほども身長の低い坂本が自分の両腕を掴んでこちらを見上げている状況は、意外なほど直人をドキドキさせた。

「なんで?」

 坂本が直人を見つめて言う。

「なんで立候補するんだ?」

 その目が真剣そのもので、直人の決心以上に強いと感じられる質問だった。

「なんでって…」

 直人の心の中で、様々な感情が巡った。



 好きだと思う。


 まず見た目が。


 直人は心の中で坂本に話しかけた。


 坂本さんのクラスの担任、中島に自分の想いがばれてしまいました。

 おそらくそのせいであなたが生徒会人事に巻き込まれてしまったと思います。

 僕のせいです。

 本意ではないんです。坂本さんが嫌なのに生徒会に来てもらっても困るし、自分が生徒会を出て、坂本さんが代わりになるなんて、今後ずっと引きずる案件になると思います。

 僕は…。

 僕はあなたのことはやっぱり、遠くから見ているのが幸せだったんです。ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 なんとかします。

 自分が結論を出せば、解決すると思うから。



 直人は今になって軽い気持ちで生徒会に入ってしまったことを、後悔まではしていないが反省していた。

 何にも属さない高校生活もあったはずだ。

 何にも属さずに坂本を遠くから見つめるだけの高校生活があったはずだ。


 その甘い判断の責任は自分で取ろう。




「…坂本さんは、剣道部の部長の立場があるでしょう。それを全うしてください」

 直人は言った。坂本が目を見開いた。その表情が結構好きで、直人はドキドキする。

「俺にはできないって、お前は思っているってこと?」

 直人の想いも知らず、坂本は訴えかけるように言う。

「そうじゃないです」

 うまく伝わらない。

「やりたくないんだったら、やらないほうが良いってことです」

「それはお前もだろ?中島が言ってた。会長をやりたくないって言ってるって。でも武田は責任感が強いから他にいなければ引き受けるだろうって。…その状況知ってて、やっぱ辞退届、すんなり出せないよ」

 優しい。直人は気持ちが暖かくなった。

「いえ、僕が最初に中島先生に言ったことはただの我儘なので、坂本さんは気にしないで辞退してください」

 色んな気持ちを飲み込んで、静かにそう伝える。直人にはそれが精一杯だった。

 坂本が掴んでいる両腕が暖かくて嬉しい。


 直人は水原のことを思い出した。本来水原の手も暖かく優しいものであるべきだった。先ほどのことを思い出すと不安な気持ちが湧き上がる。

 最後まで冗談か本気か分からなかった。

 それとも、中島が入ってこなければ、水原の本心は確認できたのだろうか。

 何びびってんの、冗談だろ、と言ってくれただろうか。


 

「お前ね」

 直人が色々なことを考えてしまいぼんやりしていると、坂本が口を開いた。

「我儘でいいんじゃないの?」

「え?」

「まだ一年生なんだしさ」

 坂本の、掴んでいた両手が離れた。

「会長、空席になったら中島と生徒会顧問が慌てるだけだろ」

 坂本がニヤリと笑う。

「俺が辞退届出して、お前も立候補の届を出さなかったら、あいつら泡噴くぞ」


 直人は、先生たちのそんな様子を想像してみた。

 ちょっと笑えた。


「ほら、面白いだろ。それで、いいじゃん」

 坂本が嬉しそうに笑っている。


 意外だった。

 坂本のことは、ひたすら真面目一辺倒の人間だと思っていた。中島も坂本のことを『引き受けたことは投げ出さない』などと言っていたし、成績が良い事も知っている。おまけに直人からすれば堅苦しくみえる『剣道部』の部長にもなっている。

 しかし今、坂本の少しふざけた部分が見えてきた。先生たちを振り回しても構わない、それどころかこの際振り回してやれと思っている様子で、それがいたずらっ子のようで可愛らしい。


「今回のことって中島の策略じゃん。あいつらは誰が会長でも困らないだろ。俺もお前もうまいこと操作されそうになってるから、二人で組んで中島を困らせるのが一番面白そうだって、早い段階で気付いてはいたんだけど」

 目の前で坂本が楽しそうに話す。

「気付いてはいたんだけどさ」

 坂本が、ニヤッと笑った。

「ごめん、お前と話が合うかどうかが分からなかったから様子見だった」

「え?」

「敵か味方か、仲間にしていいのかどうか」


 自分はそんなふうに観察されていたのか。

 自分が坂本から何かしらの判断をされていることを聞かされて、直人は妙に緊張してきた。


「じゃあ」

 直人は言った。

「こういうふうに話してくれるということは、味方と判定されたんですか」

「ん~」

 坂本が直人を見上げて考えてみせる。

「どうかな。味方って判定したというよりは…まあ俺の今考えていることが中島にバレてもいいと思ったってことかな」

 そう言って坂本は、十センチほども背の高い直人の頭に手を置いた。





 

 




 

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