第9話 教室
剣道部の道場の裏側にある勝手口に、学校一の『のっぽ』が招待された日に遡る。
直人はほぼ毎日生徒会室に顔を出しているが、その日は違った。調子の悪くなったエアコンの点検があり、生徒は入らないように言われたためだった。
『坂本さんを見られないのが残念だけど、真っ直ぐ帰ろう』
そう思いながら教科書を鞄に入れる。
と、突然声を掛けられた。
「ねえ、最近お兄ちゃんと会ったりした?」
「え?」
驚いて顔を上げると、立っていたのはクラスメイトの坂本真由だった。『坂本さん』の妹で、兄と同じ剣道部に在籍している。あの坂本と、帰る家も一緒、部活も一緒という、直人にとっては異様に羨ましい存在だった。
「坂本さんと?」
直人が返すと、真由はふふっと笑った。
「この前、お兄ちゃんが『武田ってどんな奴?』って訊いてきたよ。なんか関わりあった?って思って」
それを聞いて『坂本さんの口から自分が話題にされているなんて、どうしよう!』と直人は思ったが、顔には出さなかった。
「まあ、ちょっと」
生徒会長立候補にまつわる話を、兄妹とはいえ第三者にしていいかどうか分からず、言葉を濁す。
「ふーん。内緒?」
真由が少しつまらなそうにしている。
「そういうわけじゃないけど」
直人はサラッと流した。すると真由は、「ま、いいや。お兄ちゃんには『武田くんは方向音痴』って言っておいたよ」
などと言い出した。
「え!」
直人はびっくりした。自分が方向音痴である自覚は無い。
「どうして」
「特徴を訊かれたから」
「僕の特徴って、方向音痴じゃないだろ?」
「え?武田くんは方向音痴だよ」
「うそ!」
直人は手で自分の口を覆った。方向音痴と思われていること、それを坂本に特徴として紹介されたことの二種類の衝撃が直人を襲った。周りを見渡したが、教室内に残っている数名のクラスメイトは、皆優しい笑顔で真由の発言を肯定している。
「マジか」
直人が頭を抱えていると、
「ちょっと抜けてるよね、武田」
などと、何人かが声をかけつつ教室を出て行った。
ちょっと抜けてるっていうのはたまに言われる。考え事を始めると、誰かといても何も聞いていないのでそういうふうに見えるらしい。
それにしても、あの人にそんなふうに伝えられるなんて。
はあ。
ダメージ。
でもまあ、いいか。どう思われても。
どうせ大して近づくことなどできない人だ。
…帰ろう。
直人はちょっと悲しい気持ちになって立ち上がった。
「じゃあ」
バイバイ、と小さく手を振って真由に別れを告げる。
「バイバイ」
真由がニッコリした。
坂本兄妹を似ているという人は結構いる。
目鼻立ちがスッキリしていたり、色白だったり、特徴的な部分が確かに似ているのでそのように見えるのかも知れない。けれども直人は全然似ていないと思っていた。直人はとにかく坂本の見た目がすごく好きでいつでも見ていたいが、真由については何も感じないのだ。
悪いけど、かわいいって思ったことない。
が、その日真由が『バイバイ』と言った時、確かに二人がどことなく似ているような気がした。そして、その似ているという感覚と同時に思い出したことがあった。
それは、坂本が生徒会室に初めてきたあの日、直人に『道着姿が見たかったら道場に来れば良い』と言ったことだった。
正確には『道着姿が見たかったら、道場へ行け』という追い払い文句だったのだが、直人の中では聞いた瞬間から、自分に都合良く、『来い』と言われたように変換されていた。
「坂本さん」
直人は真由を呼び止めた。
「何?」
「今から、部活?」
「そう」
「一緒に行ってもいい?」
「え?」
真由は少し驚いて目を丸くしたが、次の直人の言葉に笑った。
「ほら…方向音痴だから、連れて行ってもらわないと」
真由と並んで歩く。
「お兄ちゃん、見たいって言ったら来てもいいって言ったの?ほんとに?」
「うん」
真由が直人を見上げる。30センチ近く身長差がある。
「でも、急に武田くんが道場にいたら、正直変だよ」
直人はやっぱり、と思ったがニコニコして言った。
「それはね。でもまあ、とにかくちょっと行ってみたい」
真由と一緒に道場の近くまで行って、たまたまでもいいから遠目にでも坂本を見ることができたら、直人にとっては合格ラインだった。
「剣道部、入部する?」
真由が直人に訊いてきた。
「ううん、今から部活に入ったりしないよ」
「背が高いと有利だよ」
「そうなの?」
「うん。私、もうちょっと背が高いと良かったなって思う時がある」
真由は羨ましそうに直人を見上げた。
「へえ…」
「…で、剣道部入る?」
「いや」
二人でふふふふと笑い合う。
「なんでそんなに入部させたがるんだよ」
「剣道人口増やさないと。ね?」
「ね、じゃないだろ」
「いつからでもできるよ」
「いや、いいよ」
坂本兄弟が小学校入学前から近所の道場に通っていて、地域でも知らないものはいない状態であることはリサーチ済みだ。
「坂本さん、強いんでしょ?」
「え?私?お兄ちゃん?」
「二人とも」
真由はふふふと笑ってはぐらかす。何故はぐらかされたのかは、直人には分からなかった。
ふと道場の方へ目をやると、入り口近くに、坂本がいるのが見えた。
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