第8話 友だち

 朝、和志が教室に着くと、同じクラスの大石が話しかけてきた。

「昨日のあれ、何?」

 クラスメイトの大石は、剣道部の副部長でもある。昨日の武田の一件について訊いてきたのだ。

「…さあ」

 説明が面倒で、和志は肩をすくめた。

「武田だろ、あいつ。お前の妹と付き合ってんの?」

「…さあ」

 それは本当に知らない。

「何も聞いてないのか」

「うん。クラスが一緒ってことしか」

 言いながら、鞄を机の横に引っ掛けて自席に座る。その鞄の中に例の辞退届が入っている。教室に来る前に提出しようとして、やめて、そしてここに来たのだ。

「あのさ…」

 和志は小さな声で話しかけた。

「ん?」

 大石が気付いて顔を寄せる。

「俺、中島と美希のせいで今、生徒会長に立候補したことになってる」

「え?なにそれ」

 大石がびっくりした。

「うん」

 俺もびっくりしたよ、と和志は思った。

「それって副会長が、武田がやるんじゃないの?」

「俺も今の副会長が次の会長をやるんだろうって思ってたんだけど、本人が…やりたくないみたいで」

「ああ…」

 二人でしばし押し黙る。


「和志、お前は部長になったばっかりだし、無理だろ」

「無理かどうかはさておき、俺だってやりたくないからさ、辞退届は書いたんだけど」

「うん」

「なんか、…出せなくて」

 昨日の夜は、出そうと思ってサインを書いたのだが、いざ提出するとなるとちょっと考えてしまった。

 大石が和志の顔を覗き込んだ。

「出せないっていうのは、どうして」

「多分、中島のせいなんだ。俺がならなかったら武田に押し付けるみたいなことを言ってて」

「それは中島と武田がやりあえばいいだけの話で、和志は関係ないだろ」

「うん」

 それは和志も分かっているのだが。

「…でも」

「でも?」

「武田は確かにまだ一年生だしさ。それにどうやら、こっちを庇っているらしいんだ。嫌がっている俺が無理にやるくらいなら自分がならないとって思っているみたいで」

 大石にそう言って、やっと和志は気持ちの整理ができた気がした。自分でも、やっぱりそこが引っかかっているのだと、言葉にしてみて分かった感じがする。

「なんか、複雑になってきてるな。何があったんだ」

 大石が訊くので、和志はこれまでのことを簡単に説明した。大石が『それは二人とも、中島にいいように操作されているだけだ』と言った。

「うん…。それも、それも分かってるんだけど」

「だから昨日武田はお前に会いにきたのか」

「いや、違うみたい」

 めちゃくちゃ『関係ない』って言われたし。

「この前会った時に部活を見たいって言うから適当に返事したら本当に来たんだ。真由と付き合ってる感じは無さそうだけど、来たってことは、まあ狙ってるのかも知れない」

「なるほどね。じゃあ昨日の件はさておき、仲良く組んで中島の思惑を潰せばいい」

「うーん、それがさ」

 和志は武田の無愛想な様子を思い出しながら言った。

「なんか、二人で組んで中島と対抗するって感じにもならないんだよな」

「なんで?」

「あいつ、なんか感じが悪くて」

 言った瞬間、大石が笑った。

「なにそれ。そんなにハッキリ言うなんて、珍しいな。お前にしては」

「いや、マジで感じ悪いんだよ。俺もちょっとは歩み寄ろうと思ってみたんだけど、噛み合わないし」

 大石が『妹を取られそうで、そんなふうに見てしまうんじゃないか』と言うので、違う違うと否定する。

「…感じ悪いの、俺にだけみたい」

「お前にだけ?」

「うん」

 和志にとってはそこも引っ掛かっている部分なのだが。

 大石が、不思議そうな表情で言った。

「そうかなあ。昨日は飼い犬みたいに素直に、お前の後ろをついていってたけどな」

 道場の裏手へ行った時のことだろう。自分からは見えなかったが、他人からはそんなふうに見えていたのか。

「飼い犬にしてはデカすぎるよ」

 和志は鼻で笑った。

「まあ、そうだな。あいつ、今うちの学校中で一番デカいんじゃない?」

「それは…知らないけど」

 和志はため息をつく。武田と真由が並んで歩いていた光景を思い出した。かなり身長差があった。でもまあ、似合っていなくは無かったな。

 真由に、彼氏か。

 割と素直でかわいい妹だ。この件に話が及ぶと、和志は少し複雑な心境になる。

 まあでも、真由はそんなに悪い奴は選ばないだろう。

 信頼もしている。


 ぼんやりと考え事をしている和志の顔を、大石は黙って見つめていたが、やがてそっとその肩に手を置いて言った。

「ま、和志がどうしたいか、それだけ考えれば良いんじゃないの?」

 言われて、和志は我に返った。

「武田のことも、そんなに感じが悪いんだったら庇ってくれてるとか思わずにさ、中島の策略に乗って会長になってもらえばいいじゃん。元々副会長が会長になるのはうちの暗黙のルールなわけだし」

「…そうだな」

 大石がニッコリ笑った。

「俺がついていってやろうか。迷ったら引き戻してやる」

「…うん。もしかしたら、頼むかも」

「断るんだったら早めがいいんだからな」

 それはそうだ。

 和志は小さく頷いた。

 大石は物事を複雑にしない。頼れる男だ。


 チャイムが鳴って、担任の中島が教室に入ってきた。

 『席に戻るよ』と、大石が離れる。和志は小さく頷いて、自分も態勢を整えた。すべての現況、と思いながら中島を見上げた。


 辞退届を出していないことは、おそらく知っているだろう。中島は今何を思っているのだろうか。


 …ダメだな。人の感情に振り回されてはいけない。

 チラッと振り返る。隣の列の、二席後ろの大石も、こちらを見ていた。目が合うと、ニヤッと笑った。

 大石に話して良かった。


 そう、物事は単純に…。


 和志は大石に笑顔を返し、身体を正面に戻した。

 

 

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