第5話 窓からの眺め
中島は屋上で電子タバコ片手にグラウンドを眺めていた。
学校の敷地内は本来全て禁煙だが、この場所は周囲からも死角になっていて中島の憩いの場だった。
少し身を乗り出す。サッカー部と陸上部が練習をしているのが見える。
窓の下を気にする生徒に気が付いたのは、自分がそうだったからだ。
窓から、屋上から、中島はいつも眺めている。
中島が担任をしている、四階にある二年八組の教室から、別棟の三階にある生徒会室の窓が見下ろせる。
五月半ば、副会長の武田が窓際の補強柱にもたれて下を眺めているのに気づいた。
他のメンバーは何か会議中のように見えて、そこにあからさまに参加していない武田を、中島は豪胆な奴だと思った。
何を見ているんだろう。
中島も、下の方を見た。
男女剣道部員が数名、部室から道場へ向かって歩いているのが見えた。
生徒からの提出物の整理などを、中島は教室で捌く。職員室だと他の書類にまぎれて書類を失う恐れがあるからだ。
懇談の参加届や、教材の申し込みなど。パソコンに情報を入力しながら、今どき紙で提出させるって何なんだと思う。整理が大変じゃん。
紙で提出されて中島が楽しめるのは、押されている印鑑ぐらいだった。
百円で売ってそうな三文判から、シャチハタ、字が読めないような難しい字体のもの、インクが薄すぎるもの、ふちが欠けすぎているもの。一年間担任をしていると、ずっと同じ印鑑だったのに、ある時印鑑が違うものになっていたりする。もっと面白いところでは、印鑑何種類あるんだと思うような家庭もある。
密かに楽しみを見つけながらも、面倒な書類整理をする。
生徒会室の窓に、いつも武田が見えた。
一年五組の武田は、入学するなり生徒会役員に立候補したニューヒーローだった。
この学校は生徒会の仕事が結構多くて、生徒は役員を敬遠する。
現在の会長である水原が、中学の後輩が入ってきた、と言ってスカウトしてきた。半ば騙して立候補させたようだ。
身長が百八十五センチある。全校集会でも抜きんでて目立つ。髪の色が明るい茶色で、本人に訊いたら染めていると言っていた。制服は全生徒統一のものを着ているが、武田は着こなしが野暮ったくなく、おそらく制服に手を加えているのだろうと思う。生徒会の会議に参加していなかったり、結構自由な奴だと中島は思っている。
それでも武田の職員室での評判は悪くない。留学組でもないのに英語の成績が上位で、高校に入学するまでに英検準一級を取得していたという。行事ごとへの参加も、積極的ではないものの、最終的には全部関わっている。こうしたことから、真面目で責任感も強いというのが大方の見方だ。
中島も、そうなんだろうなとは思う。
そういう、少し不思議な生徒である武田が、窓から何を見ているのか。
大抵剣道部の移動時間と被った。
男女が歩いていく時も、男子のみの時もあった。
普段から、自分が常識と思っていることなど常識では無いのだと自分に言い聞かせている中島だったが、固定観念に引っ張られ、本質を見抜くのに一か月以上かかってしまった。
武田が眺めていたのは、自分の担当するクラスの男子生徒だった。
「坂本」
朝、中島はその生徒を呼んだ。呼ばれた坂本は、右手を『頂戴』の形にして近づいてきた。
「辞退届、ください」
中島は、用意していた辞退届を渡した。
「なあ、ちょっといいか」
渡したうえで、坂本を教室の外へ連れ出した。
廊下に出て、それから渡り廊下のところまで行くと、人がいなくなった。
「坂本、武田を助けてやってくれないか」
中島はずばりそう言った。
「え?」
坂本が眼鏡の奥の目を丸くする。
その表情の時は結構かわいいなと中島は思っていた。
「助けるって、どういう」
「あいつ、生徒会長やりたくないんだよ」
そう言うと、坂本は「ええッ!?」と、かなり大きな声で反応した。
「噓でしょ。昨日も俺の立候補を取り下げさせようとしていたし。ついてきて、ずっと見張ってたんですよ。ありえない」
「付いてきたのは、多分単純にお前のことが心配だったからだ。取り下げさせようと見えたのは、坂本がやりたくないと知って助け船を出したつもりだと思う」
「嘘…」
坂本なりに、昨日のことを思い出そうとしているようで、目が彷徨った。
「だって、だって、なんかこっちのこと色々調べてて、クラスとか成績とかまで知ってて」
坂本は笑いそうになった。
武田は坂本本人に何を言ったんだ。
馬鹿だなあ。
かわいい奴だ。
馬鹿すぎて愛らしい。
しかも坂本には警戒され、敵とみなされている。
あいつ、馬鹿だな。
「武田が副会長になったのも、水原に頭下げられて仕方なくなんだ。それが一年生で会長なんてとんでもない、立候補しないと言っている。でも、他に候補がいなかったら、やっぱり武田にやってもらうしかない。あいつ、ちょっとチャラく見えるけど、めちゃくちゃ真面目で責任感の強い子だから、他にいないと言われたら逃げ出せないだろう」
坂本の様子から、気持ちが動いているのが見て取れる。
武田は馬鹿だが、誤解されてくれたおかげで、今坂本が揺れている。
敵と思っていた奴が、実はいい奴だった、味方だったと知らされて、坂本の判断能力がややおかしくなっている。
どうなるかな。
どうなっても、俺はどうでもいい。誰か決まれば。
でもできるだけ面白いほうがいい。
中島はそんなことを思った。
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