第3話 対面
生徒会室のドアがノックされた時、直人は一人だった。
「どうぞ」
声をかけると『失礼します』の声とともに、剣道着姿の坂本が現れた。
紺の道着、袴に胴と垂れを着ている。日焼けしていない腕や首元の白さが眩しい。いつも遠くから眺めている姿で、しかし今、目の前にいるのだった。
直人は驚き、こんなことあるのだろうかと次元を疑い、膝をつねった。
痛い。
本物だ。
そんなふうに夢と現実の確認を取っていると、目の前の坂本が口を開いた。
「すみません、友だちが勝手に立候補の届を出したと言っているので確かめに来ました」
一度聞いただけでは、それは直人の脳に届かなった。ゆっくりと反芻する。
生徒会に何の縁もない坂本が、生徒会立候補届を出したことは知っていた。どうして、と思っていた。
しかし、それは友だちが出したと。
坂本の表情からして、喜ばしいことではないようだ。
「ああ、そういうことか」
直人の口から思わず声が漏れた。
直人も、元々生徒会は頼まれて入った。入った時は、副会長の次は会長をやるという風習があるのを知らなかった。
最近になって上級生からその事実を知らされ、血の気が引いた。入学するなり生徒会役員に立候補したことで生意気だと思われ、無用の敵を作ってしまっていた。そのうえ一年生の秋から会長になるなんて、とんでもないことだと思う。
僕は会長はやりません。
今の会長である、水原にそう告げた。
その直後、坂本が立候補したという情報が入ってきた。
一方的に憧れていた。
高校に入ってすぐの頃に、職員室がどこか分からなくなった直人を、坂本は親切に案内してくれた。
顔に見惚れた。明らかに男性と分かったが、彼が切れ長の目でスッとこちらを見上げた時、直人は心臓を射抜かれてしまっていたのだ。
それからしばらくして、『親切な彼』が剣道の大会で入賞し、全校集会で表彰された。
全生徒の前に、あの時直人に声をかけてくれた人が現れたのだった。
あ、あの人。
舞台上で、坂本は涼しげな顔をして立っていた。慣れているのだろう。賞状の受け取り方なども様になっていた。生徒の顔を見渡して、一度だけ表情を緩めた。誰かと目があって微笑んだのか、何かを思い出して笑ったのか直人には分からなかった。
ただ、一瞬見せたその表情をもっと見たいと思った。
直人は地道に情報収集をした。クラスメイトの坂本真由の兄である事はすぐに分かった。彼女との雑談から、身長体重等の基本情報をいつの間にか掴んでしまっていた。
そうするうちに坂本のクラスの時間割を入手して、移動教室の際に通る廊下を突き止める所まで進んだ。
向かいの建物からなど遠くから見ているのが幸せな時間だった。自分でもちょろいとは思ったが、もうこれは『好き』以外の何物でもなかった。困っているときに助けてくれたことが原因では無い。見た目が好きなのだ。
ただ、見た目が好きなだけ。
顔が、ずっと見ていたくなる感じの顔だっただけ。
立居振る舞いが綺麗で、ずっと見ていたくなるだけ。
よく知らない人。
直人はそう思っていた。
坂本が立候補したのをキッカケに、武田のもとに坂本情報がより一層集まっていった。彼が会長になるんだったら、自分はもう一期副会長をしたい。そんなことまで考えるようになった。あんなに見た目が好きなら、近づいて、傍でサポートができるのは幸せなことだろう。近づきすぎるといろいろとおかしくなってしまう可能性はあるが。
しかし今、直人の目の前に坂本が現れ、立候補届を取り下げたいと言っている。
そりゃそうだ。勝手に出されたんだったら。
直人にとっては残念なことだが、気の毒に思って取り下げる場所を説明した。一緒に行こうか尋ねたら断られたが、気が付いたら勝手に付いて歩きはじめていた。
剣道着姿の坂本と並んで歩いていた。
何を話していいか分からない。無言になるのが嫌で思いつく限り世間話をしたものの、緊張しすぎて表情のない声になっているのに直人は気付いていなかった。
ちらちらと隣を見る。凛としていて隙が無い。横顔の顎のラインがくっきりとしていて、やっぱり良いなと思った。銀の眼鏡の細縁が坂本の肌の白さを際立たせている。
生徒会室の窓から、部室を出て道場へと向かう坂本の姿を、直人は毎日眺めていた。
でも今はこんなに近くにいる。
首筋など、つい見過ぎてはいけないような部分に目がいく。
見ないようにしなければ。
失礼じゃないか。
でもこんなに近くでいられるなんて、もう二度とないかも知れない。
坂本が色白なのは室内スポーツだからだろうか。紺色の道着とのコントラストが美しい。
綺麗だな。
浮かれて歩いていたが、やがて付いてくるなと宣言された。
諦めてその場は離れたものの、坂本が選挙管理委員会で何を言われるか心配で階段室の陰で隠れて待っていた。しばらくすると、坂本と選挙管理委員会顧問の中島が二人で部屋から出てくるのが見えた。
もしかして、坂本の立候補は中島が仕組んだのだろうか。直人はそんなことを考えた。自分が、この高校の慣例に逆らって『次期会長にならない』と先輩たちに言ったのが中島に伝わって、それで中島が坂本に白羽の矢を…。
だとしたら、自分のわがままのせいで坂本に迷惑をかけたことになる。
なんとかしなければ。
気持ちは焦るが、直人にはどうしようもない。先ほど坂本に、部室に戻れと叱られたばかりなのだ。
ああ…、坂本さん…!
直人は祈った。
祈りが通じたのか、しばらくして中島が「武田!」と彼を呼んだ。
「坂本は辞退したいそうだ」
中島の言葉に直人は頷いた。
「嫌がっているんだったら、その方が良いです」
だって、無理やりなんて申し訳なさすぎる。
直人の言葉に、坂本が続いた。
「現役副会長もこう言っていることですし、辞退届の用紙ください」
しかし、中島は坂本の言葉を無視して直人に話しかけた。
「武田。それでいいか」
やはり、中島は直人が会長をやりたくないことを知っているのだ。
けれども、だからと言って目の前の坂本を犠牲にすることはできない。直人は中島の目をじっと見て言った。
「はい。嫌々引き受けたことに責任感は出ない。生徒会はそういうものじゃないので」
「坂本は引き受けたことは投げ出さないけどな」
「でも、やりたくないんでしょ。くださいと言っている辞退届を渡さないのも横暴ですよ」
直人は、ちらりと坂本を見た。あまりじろじろ見てはいけないと思うが、好きな顔で、とても目が離せない。
坂本もこちらを見据えている。
しばらくお互いを凝視していたが、直人には坂本の気持ちはよく分からなかった。
切長の目に吸い込まれそうになる。
吸い込まれたい。
「じゃあ明日の朝、教室で渡すから」
中島の声が、二人の間に割って入った。
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