EP10 呪縛 - Curse

『蝕み、蝕め、この身を燃やせ。それが私の呪い』



 暑い。

 ジメジメした空気と嫌な暑さが続く日々。

 最近は庭もいじるのが大変で事務作業ばっかりしてたせいで疲れてるな……。

「晩酌でもするか……」

 ご丁寧な隠し扉をくぐりながらバーカウンターに向かう。

 すると先客が居た。上司。

「珍しいですねシオン君が来るだなんて」

「最近事務作業だらけなので息抜きに……飲みすぎないでくださいね」

 あはは、あんな冗談じみた事を。とカリンは言いながら。

「ちょうど取り出したばかりの冷酒があります、一緒にどうですか?」

「それくらいなら付き合いますよ、程々にしてくれるなら」

 私だって毎晩あんなに飲みませんよと笑いながらカリンは手招きをする。

 一度カウンターの中に入りグラスと葉巻を取り出し隣に座る。

「それでは頂きます」

「どうぞどうぞ」

 カリンから丁寧に注がれる冷酒を見つめながら。

 キレイに透き通ったお酒を見ていると。

「はぁ……」

 何故かため息が出てしまう。

「ご不満ですか?日本には酒の瓶で頭をぶん殴るという文化が」

「そんな物騒なものこの屋敷に持ち込まないでください」

 冗談ですよ冗談、と笑いながら。

 何気なくカリンが聞いてくる。

「記憶、取り出せそうですか?」

「いいえ全くですね……」

 それもそれで良いんじゃないですか?と投げやりな感想を吐かれる。

「カリンの過去を聞いてみても面白いかも知れませんけどね」

「あー……過去ですかぁ」

 少し曇った表情になるカリン。

「私がここに来た理由以降でいいなら特別に」

「……まぁ無理ない程度でいいですよ」

 カリンがグラスのお酒を少し飲むとため息まじりに話す。

「過労死、ですよ。簡単に言えば」

「えっ……?」

 死んでないですけどね、ほら。と言いながら僕の手をつねる。

「まぁ死んでたら困りますけど……」

「あれはある日のことでした」

 カリンは語り部のように語りだすのであった。




***




 カリンの前職――それは簡単に言い表せば事務職のようなもの。

 だったはずなのだが……。

「事務職と言う建前の使いっぱしりでしたね、パワハラもなんだかんだもありましたし」

 そう言う点でどんどん体調は悪化するも、仕事には出続けるカリン。

「ワーカーホリックなんですよ、体質的に」

 どんだけ悪かろうと、辛かろうと出社するカリンに対しまわりは何も口を出さず。

 ちょうどそれの日は旦那様が商談に訪れた日だった。

「お茶入れしてたら倒れましてね、ちょうど旦那様の目の前で」

 一瞬意識が途切れ、ふらっとする。

 それでも、と脊髄が無理やり足を踏み込もうとするものだから滑ってしまい。

 身体中を床に叩きつけられる形で、思いっきり。

 それでもカリンは謝り続け、新しいモノを持ってこようとする。

「全身グシャグシャでしたけど、それでも止まらなかったんですよ」

 その手を掴んだのが旦那様だった。

 例えその手が濡れてようと、どんな無様な姿だろうと。

「この人の上司は?と聞かれて上司がすっ飛んできましてね」

 あぁ、ただの事務ですよ。と吐き捨てた瞬間に旦那様は。

「商談中止、提携も全部中止」

 それだけを吐き捨てる。

 社内が騒然とする。上長やら何やら慌てて会議スペースから飛び出す。

「こんな人間を雑に扱う所と商売は出来ない」

 平謝りをしだす様々な人間を次々と長刀会釈していく旦那様。

「今まで通り続けたいと言うならこの子をうちの会社で引き取る」

 そうキッパリと言い切ると上司は笑顔で――。

「大いに歓迎です。ぜひ引き取ってください、どうせ――」

 それを言い切る前に旦那様は最後に吐く。

「商談成立、今回はこの子を引き取るだけ、いいね」

 またも顔面蒼白になる上司陣。

「あんたら全員今すぐ自分の顔を鏡で見てきなさい。そんな程度の顔色、この子よりはよっぽどマシだ」

 カリンをなんとか立ち上がらせると、旦那様は会社と連絡を取る。

「女性用一着持ってきて、詳しくは帰ったら話すから」

 どうしようも出来ない社内の空気。

 旦那様は笑顔でカリンに語りかける。

「と言う訳なんだけど、君が良ければうちに来ないか?」

 それを断る理由も無く。

 はい、とカリンは返すと旦那様は上司に向け発言する。

「商談の会議室はここ?少しこの子を休ませてあげたいからどうせなら使わせてもらうよ。後は数枚コピー用紙持ってきて」

 急いで準備をしだす上司陣、騒ぎを聞きつけて飛んできた社長。

 急遽用意されたコピー用紙を受け取ると会議室に入る旦那様。

「それじゃ、商談をするので他人は立ち入らないこと」

 会議室に入ると旦那様はカリンに語りかける。

「今まで辛かっただろう、何回も来てるはずなのに気付けなくて申し訳ない」

「いえ、私が全部悪いんです」

 それをそんなこと無いの一言で打ち消す旦那様。

 泣きじゃくるカリンに大丈夫と優しく声をかけながら。

「落ち着いたらこれで退職届を書きなさい、うちで働く時はちゃんとした部署に配属するよ」

 コピー用紙とペンを手渡されるカリン。

 涙を浮かべながらそれを受け取るカリンを見ると旦那様は椅子に座る。

「ちゃんと給料は保証するよ。今の額面以上を」

 うつむいたまま、はいと声を必死に出すカリン。

「この会社とはもう縁を切るし、思い出させるような事もしない」

 そこからカリンの記憶は途絶え――。

 気付いた頃には旦那様の会社に居た。




***




 と、言うことなんですよ。とカリンは締めくくる。

「そんなことが……」

「思ってた額面以上貰えてるのがびっくりなんですけどね」

 そこなんですか、と冷静に突っ込んでしまう。

「重要じゃないですか、仕事する上では」

「確かにそうだけど……」

 カリンの性質上当てはまった役職は秘書だった。

「秘書だった、ってのはまぁ建前と言えば建前ですけどね。社員寮も無くなったので屋敷に行くことになりましたし」

 その頃から居た使用人はもうここには居ないが、ワーカーホリックと言うのも相まって屋敷での作業も上手くハマったようで。

「今思えば大出世って話じゃないですけどね」

「いや、大出世じゃないですか?」

 そこまでのものじゃないですよ、本質は。とカリンが笑う。

「ただお茶にまみれ泣いてた人間が今やこうですからね。働き潰されてたらどうなってたことか」

 空になったグラスをもて遊ぶカリン。

 一息つくと、僕の事を見て話す。

「せめてシオン君にはそうなって欲しくないですけどね」

「こんな所で過労死だなんて出来るわけないじゃないですか」

 いや、最近少し働き詰めではあったけど、過労死は流石にない職場ではある。

 そうじゃなくてですね、と。カリンは。

「でもシオン君は私と同じような感じがするので、多少はお嬢様にも甘えたらどうですか」

「甘えるって……どう言う?」

 言葉通りですよ、とカリンが笑うと共に通知音が鳴る。

 カリンはメッセージを読むなり少し曇った表情をする。

「……すみませんね、急用が出来てしまいました。開けた分は全部飲んじゃっていいので」

「こんな夜に急用ですか」

 えぇ、面倒なことにならないと良いんですが、とカリンは笑いながらも……瞳が笑ってない。

「お気をつけて。一応飲んでるんですから」

「大丈夫ですよ、有り余ったお給料でタクシー使いますし」

 どこまで行くつもりなんですか、とまでは聞けなかった。

「それでは、また飲みましょう。次はシオン君の話を聞かせてもらいますから」

「わかりました、お気をつけて」



 胸に妙な違和感をずっと抱きながら……カリンを見送る。

 ……最近カリンから妙に違和感を覚える、気がする。

 嫌な予兆じゃないと良いんだけど……と思いながらもカリンの事だからそこまで話はしないだろうしと。

 一人でカウンターに座り、紫煙を燻らせながら。




***




 翌日。

「お嬢様、少し良いですか?」

「どうしました?」

 なんとなく疑問に思った事を聞いてみる。

「カリンがここに来た時ってどんな感じでした?」

「うーんと……衰弱、ですかね」

 衰弱、か。

 最初の頃は殆どご飯も食べれず、口数も少なかったんですけど、と前置きをし。

「私が帰ってきた時にお帰りなさいって声を掛けてもらった時、すごく嬉しくて思わず抱きついちゃって」

 それに驚くも、優しく抱き返すカリンにお嬢様はとても安心した、と語る。

「嬉しくて嬉しくて……」

 そりゃ嬉しくもなるだろう。

 僕も、起きてから何も喋れなくて。記憶がないことを受け入れるまで時間はかかったし。

 それをようやく飲み込めた時、まわりから喜ばれて。

 何かが快復すると言うことは、少なからずまわりを喜ばせることにはなるのだろう。

 ……想われているのであれば、の話。

 結局家に帰っても家族が何を思っているか一切わからず。

 僕だけ疎外感の塊で、誰も寄り添ってくれず。

 悔しさと劣等感と色々なモノに苛まれ家を飛び出した。

 なぜだか記憶がなくなったあたりに僕の口座にまぁまぁな額が振り込まれていて、それを僕以外は知らなかったので。

 なんとか一人で暮らすことだけは出来た、それも少しの間だったけど。

 あのまま、一人で暮らしてたら今頃どうなってたことかわかったもんじゃないなと。

 そう思うと……。

「シオン?」

「あっ、はい。すみません、少し考え事を」

 シオンも最近詰め込みすぎですよ、とお嬢様に優しく叱られる。

「すみません……」

「謝る必要もないんですよ、私達は家族なんですから。悩みも何もかも、一緒に解決すればいいんです」

 そう言われると、何も言い返せない。

 ……一人で思い込みすぎるのは良くない、か。

「今はまだ、言葉にまとめれないのですが、いつかまとめれたら相談しますよ」

「絶対に、ですからね。シオンは抱え込みすぎてるんですから」

 的確に弱点を突かれた感じがして。

 それと共に、またもやもやが増していくのであった。

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