EP09 多面体 - Prism
『一面しか見えてないなら仕方がないけど、一面しか見せてないのであれば?』
深夜、自室。
今にも泣きそうな義妹と二人きりで居る。
「あのね……」
身体を預けるように僕にもたれ掛かるモモ。
「私ね、拾われたの。ゆめちゃんに」
小さい頃の話を震えながら話すモモ。
そこから心を閉ざしてしまった、と続ける。
「……大丈夫、それ以上言わなくてもいいよ。僕達はもう捨てたりしない、家族だから」
「違うの……っ!」
その言葉を遮るように。
「未だに怖いの……人が。お姉ちゃん以外の人が……。ごめんね、おにい」
「どうして謝る必要があるのさ?」
モモは泣きながら続ける。
「だって、怖いって思ってて。普段からずっと表だけいい顔してたんだよ?何年も……」
そんな、酷い私を――。
「見捨てないよそれでも。モモはモモだ。ちゃんと話に来てくれてるのだって、意味があるんだろう?」
ひたすら泣きじゃくるモモをなだめながら、答えを待つ。
「……一緒に買い物行った時、覚えてる?私が、隠してって言ったの」
「覚えてるよ、あの時なにか?」
同級生、とだけ返事が帰ってくる。
「あの時、僕はちゃんとモモを守れた?」
「……うん。守ってくれた、それは事実」
そっか、とモモの頭を撫でる。
「どれだけ怖くても、どれだけ信じられないって思ってても……少なくともここのみんなは違う」
まだ涙で瞳を潤ませながらも笑うモモ。
「今日、改めて思ったの。ちゃんと、本気で変わろうって」
ギュッと僕の手を掴みながら続ける。
「だから、もう気持ちは隠さないの。おにいに、本当のお兄ちゃんになって貰うためにも」
「うん、僕はどこにもいかないから。少しずつでいいよ」
本当に……本当に、とモモは言葉を詰まらせる。
「――本当に、どうしようもないくらいお人好しだよね、おにいは」
「したくてしてることだから関係ないよ。モモの為にしたいからこうしてるんだよ」
涙を拭いながらありがとう、と言いながら僕の事を思いっきり抱きしめてくる。
「まったく、世話の焼ける妹だ」
「もっと世話焼いてもらうからね、お兄ちゃん」
優しく抱き返し背中を擦る。少しずつ震えが収まってくるのが伝わってくる。
「それでさ」
少し経ってからモモは喋りだす。
「どうすればいいのかな、私」
これまた困った質問をされる。
数年分の記憶しか、経験しか無い自分に何が返せるだろうか。
感情を閉ざしたまま、偽ったまま過ごしてきたモモには難しい話なのかも知れないけど。
「冬場って、楽器を急にケースから取り出すと壊れやすいんだよね」
「おにい、何を話して……?」
その言葉を遮りながら続ける。
「ケースの中の温度と室温の差による急激な変化でダメになっちゃうんだ。だから、少しだけケースを開けて室温に慣らしていくらしいんだけど」
「……私の心を楽器に例えてるの?」
そう、今はね。と返す。
「急にケース……心の扉を開いても、肝心な心が壊れかねないから、少しずつ少しずつ慣らしていくといいんじゃないかなって」
「……変な喩え。でも、おにいらしい言い方だね」
いつも喩え方がおかしいって言われるよ、と笑う。
「どんだけ素敵な音色だろうと、ピッチが狂ってしまったら意味がないんだ。だから」
今日一番の愛情を込めてモモの頭を撫でる。
「モモがいつかちゃんと心が開くまで、ゆっくり待ってるからさ。慌てなくてもいいんだよ」
「うん。そのために……ここに居るって決めたんだから。これはお姉ちゃんの考えとは別だよ」
……別?二人で出した考えじゃないのか?
「進路希望、わざとお互い話さずに書いたんだ。双子だからだいたいわかっちゃうんだけどね」
「ナズナもここにって書いてたしな」
お姉ちゃんはお姉ちゃんでちゃんと意味があるんだよ、とモモは少しトーンを落としながら。
「でもこれはお姉ちゃんの秘密だから。私からは言えないの」
「無理に聞く気は無いし……ナズナもいずれモモと同じ様に話してくれるって信じてる」
何その自信、と笑いながら。
また、数分。無言が続く。
「お姉ちゃんには内緒なんだけど……、おにいにして欲しいことがあるの」
僕の手を離れ、モモは真剣な眼差しで僕を見る。
「今日だけでいいの、こんな私を許してくれるのなら――」
***
「……そろそろ部屋戻りなよ、モモ」
「うーん……やだ」
えぇ、どうして……。
「未だに完全に恐怖は取り除けないわけだろ?部屋に戻って休んだ方が……」
「今日はおにいと一緒にいる」
どうしたもんか、このわがままな義妹は……。
「それに、お姉ちゃんにはおにいの所に泊まるって言ってきた」
「えっ……」
……相当な覚悟で来た、と言う訳か。
それならわざわざ追い返すのも申し訳ないと言うか。
「じゃあ僕は適当に床で寝てるから、モモはちゃんとベッドでゆっくり寝るんだよ」
「なんで一緒じゃないの!?」
そりゃ、倫理的な物があるでしょう、と食いかかると。
「でも……ゆめちゃんとは一緒に寝たんでしょ?」
「ッ!!」
なんとも言い難い声が出た。声なのかどうかもわからない。
「ふふ、カリン姉から筒抜けだよ。それとも……」
私とじゃ、と表情を曇らすモモの言葉を遮える。
「嫌って訳じゃ……ないよ。わかったよ……」
そう言えば。
「ところで今日ナズナはどうしてるんだ?」
「んー、ゆめちゃんの所に行くって」
お嬢様の所へ?まぁ、ナズナもナズナで思う所があるのだろう。
「なんかお泊り会みたいだね」
……お泊り会、か。
「なんだかんださ、怖いとか言いながらこうやっておにいの所に来るの。少しは信頼してるってことなのかな?」
「どうなんだろうな。少なくとも完全に警戒してる人間の所には来ないと思うぞ。しかも泊まりなら余計に」
少しは成長出来たのかなとモモは微笑むと僕の膝を占拠する。
「ひざまくらー」
「だんだんモモの事がわからなくなってきた……」
頑張ってるのにっ、と膝の上で暴れるモモをなだめる。
なだめていくとだんだんモモがおとなしくなってくる。
「そろそろ寝ようか」
「……まだ眠くない」
あくびしながら言われてもまったくもって説得力がないのですが。
膝からどかしてベッドにちゃんと横たわらせる。
「またすればいいじゃんか、お泊り会」
「んー、そう……だね……」
睡魔に完全に支配されたモモを寝かしつける。
僕もそろそろ寝るとしよう。
「おやすみ、モモ」
「……うん」
ちゃんと届いてるかどうかわからないけど朧気な返事が来る。
消灯。
***
「シオン」
起きると鬼の形相をしたナズナが殺意を隠さずこちらを睨んでいた。
「おはよう、ナズナ」
「何もしてないでしょうね」
神に誓って、お嬢様にも誓ってありませんと返す。
「嘘ついてたら張っ倒すどころじゃないのは理解してるね?」
「もちろん。ナズナの事だからただじゃ済まないのはわかってる」
……はぁ、と肩の力を抜くナズナ。
「ごめん、モモが迷惑かけて」
「ナズナが謝る必要は無いだろ」
一応姉の責務、と言われる。
「そっちは昨日お嬢様の所に?」
「うん、ちゃんと今後のこと話してきた」
そっか、それなら良かったと返すとモモが起きてくる。
「うーん……おにいを起こしに行かなきゃ……お姉ちゃんおきて、るね……あはは、おはよう……」
モモの寝ぼけた笑顔が一瞬で凍りつく。
「じゃあモモ、事情聴取ね。そんじゃシオン、また」
「何もしてない、本当だって、お姉ちゃん!」
それは部屋で聞くからねとモモを引きずっていくナズナを見送る。
「まだ全然寝れる時間じゃないか」
温もりが冷めないうちに。もう一度眠りにつくことにした。
「……アレはセーフに入ればいいんだけど」
二度寝をしてもまだ若い時間に起きてしまった。
お嬢様を起こしに行くには少し早いかも知れないけど……一応部屋に行ってみよう。
「お嬢様、失礼します」
「うぅ、シオン……」
起きてた。
「どうしたんですかお嬢様!?」
「いえ、ナズナとずっと話してて眠れなくて、そのまま徹夜してようと思ったら疲れが一気にきてしまいまして」
今日が土曜日で良かった、と思いながら。
「少し失礼を、お嬢様」
お姫様抱っこと呼ばれる持ち方でお嬢様を丁寧に持ち上げ、ベッドに寝かせる。
「うぅ、ごめんなさい手間を掛けさせて……」
「あのまま放置してたらソファで寝てしまいそうでしたので」
否めません、と苦笑いしつつお嬢様はベッドに横たわる。
「ナズナは?」
「僕の部屋に来てモモを回収して帰りましたよ」
それなら良かったですとか細い声で喋るとそのまま眠りにつくお嬢様。
「おやすみなさい、それでは」
電気を消し部屋を立ち去る。さて、どうしようか。
昨晩のモモとのやり取りを思い出し少しもやもやする。
今まで無理をさせてたと思うととても心が痛い。
「でも、あれもモモの意志なんだよな」
一人廊下で呟きながら部屋に戻る。
モモとの初対面を思い出すと……彼女なりに僕に気を使って居たのかも知れない。
あの時は自分でも何を言ってるかわからなかったけど、それでも。
突き放してしまうよりは結果としてはマシだったのだろうか。
部屋に戻るとぽつんとナズナが座っていた。
***
「シオン、説明してよ」
「……説明って言われても」
重たい空気が部屋中に漂う。
停滞。
「モモからあんな煙草の味がする訳……ないでしょうが……!」
煙草の味……か。
「どう言うつもりな訳」
「モモの要望に応えただけ、としか」
あぁそう、とぶっきらぼうにナズナは吐き捨てる。
「じゃあ今私に無抵抗でナイフで刺されろとか、そんなこと要求されても飲み込めるの?あんたは」
昔のことを少し思い出しながら、言葉にする。
「……飲み込むんだと思う」
「このッ……!」
思い切り僕に飛びかかり殴りかかるナズナ。
思わず姿勢を見出してしまい床に思いっきり身体全体をぶつける。
「あんたに……あんたに私達の何が!」
ナズナにマウントを取られ、思い切り殴りかかられる。
「お姉ちゃん!やめて!」
開いてたドアからモモが飛び込んでくる。
「落ち着いてってば!そんなつもりじゃ」
なんとかナズナの拘束から抜け出し体制を整える。
身体のあちらこちらが痛い。ぶつけた場所も殴りかかられた所も。……心も。
「落ち着いてられるわけないでしょうが!」
再び怒りを乗せて僕の事を再び弾き飛ばす。
予測は出来ていたので今回は受け身が取れたものの先程の事もありまた身体に痛みが走る。
「お姉ちゃん……」
「モモもいい加減にしなって、本当に」
ナズナの爆発した感情がその場を支配する。
「こんな……こんな奴に……少しでも油断した私がバカだったんだよ!」
最後にそれだけ言うと部屋に帰るナズナ。
「お姉ちゃ――」
「――今だけは一人にさせて」
言葉を遮り、独りで部屋に戻るナズナ。
そしてしばらくの静寂の後、鍵のかかる音が虚しく響く。
「……とりあえずなにか飲んで落ち着こうか」
「うん……そうする。コーヒーがいいな」
二人分の豆を挽き、コーヒーを入れる。
「おにい、痣出来てる……」
「あぁ、これくらい大丈夫だよ」
本当は未だにじわじわと痛みが走り身体を動かす度に蝕むように痛むのだが、それを伝えるべきでないのはわかっている。
そして、それをモモが知ってると言う事も。
二人無言でブラックコーヒーを啜る。
……空気が重たい。
その空気を打ち砕いたのは義妹の方からだった。
「ちょっと、私も頭冷やしてくる。公園行ってくるね」
「うん、気をつけてね」
わかってるよ、とモモは笑いながら最後に僕にギリギリ聞こえるか聞こえないかの声で。
「本当に、ごめんなさい」
とだけ呟いて外に出ていく。
「……朝から湿気た顔してますね」
「あ、あぁ……おはようカリン」
本当にカリンには嫌なタイミングで会う確率が高すぎる気がする。
「何かあったんですか?痣出来てますけど」
「あー、ちょっと。立ちくらみで姿勢を崩して」
その他に痛い場所はありませんか?と聞かれるので、特にはと返す。
無言の空間に紫煙が漂う。
「そう言えば最近旦那様を見かけませんけど、また働き詰めですか?」
ふとした疑問を問いかける。ここ数日と言うか、一ヶ月は帰ってきていない気がする。
「今ここで無駄な嘘はつきたくないので守秘義務とだけ言っておきましょうか」
「守秘義務……ですか」
……無駄な嘘、守秘義務……?
なんだか一瞬背筋がゾワッとした気がする。
「……あの二人の事もありますし、たまにはちゃんと帰ってきてくださいと伝えといてください」
「わかりました、ちゃんと伝えておきますよ」
ちょうどその二人のことで大変なことになってるだなんて口が裂けても言えないけど……。
お互い隠し事をしてるようで……むず痒い。
「この話はやめにしましょう。今度新しく頂いたお酒を」
「その話もやめましょう」
苦笑いで返す。
「と言うか、毎回思うんですけど貰ってきたお酒って結局僕達が飲まない時ってどうしてるんですか?」
「全部私が飲んでますよ?」
一人で、か。それもなんだか寂しい感じがするな。
「まぁ旦那様と一緒の時もありますけど」
「えぇ、それは旦那様にどうなんですか……あんな酔い方をするってのに」
はい?とカリンがキョトンとした表情をしてこちらを見る。
「シオン君、まさか今まで知らなかったんですか?」
「え?何がですか?」
こちらはこちらでポカンとした顔をしてしまう。
「私と旦那様の婚姻関係ですよ」
ゲホッ、っと思いっきり煙でむせてしまう。
そのまま紫煙が眼に入りしみる。
「そうだったんですか?!」
「えぇ、隠す気も一切ありませんが。確かに言うタイミングもありませんでしたね」
旦那様とカリンが夫婦、と言う事は……。
「そうなるとお嬢様って、カリンの娘って事になるんですか?」
「えぇ、娘ですね。感覚としては従姉妹みたいな感じですけど」
なんだか頭がこんがらがってくる。
「ちなみにその話の流れで行けば双子も私の娘になりますね」
「話が一切飲み込めなくなってきた……」
このまま喫煙所に居ても埒が明かない気がするので、本日二度目となるコーヒーブレイクをカリンと行うことにした。
「あの二人の話になるとややこしくなるんですが、まぁ養子縁組とかそこらを駆使しまして」
「なるほど……だからこの屋敷に居ることが出来るんですね」
そうです、とカリンはコーヒーを飲みながら。
「なので後はシオン君だけなんですよねぇ、もったいない」
このような戯言を……いや、なんか本気な気がしてきた。
「それはさておき。彼女達の両親に関してはもう干渉しないと言う取り決めもしましたし」
捨てられた原因――莫大な借金。
夜逃げする際に捨てられた二人の事を自分達の所で保護する、そして今後一切干渉しないことを条件に旦那様が全ての借金を肩代わりする。
そう言った内容の契約を取り交わしたらしい。
「本当に旦那様は凄いですね……考えも行動も」
「えぇ、自慢の夫ですよ」
わざとらしく夫、と言う単語を持ち出すカリン。
「まぁそんなことはいいんですよ、今となっては……」
そんな会話の中に乱入する義妹。
「ただいま。二人共、お姉ちゃん見なかった?」
「いや、僕は見てない。カリンは?」
見てないです、と首を振る。
「……仕方ないか。疲れたからもう一回寝てくるね」
「はいはい、おやすみ」
手を振りながらモモは部屋に戻っていく。
また、ゾワッと背筋に冷感が走る。
「体調悪いんですか?少し青ざめてますが」
「気のせいじゃないですか?……多分」
絶対青ざめてるんだろうけど、なんとなく隠す。
「それじゃ、そろそろ私は旦那様の所に行くので。シオン君も溜めてた仕事そろそろ終わらせといてくださいねー」
「う、わかりました。気をつけて」
手を振りながら出ていくカリンを見ながら少しだけ胸騒ぎがする。
嫌な虫の知らせじゃなければいいんだけど……。
***
なんだか最近色々な事が起きてばっかりな気がする。
モモと買い物に出かけたり、お嬢様と休暇に出たり、カリンとバイク旅をしたり。
そして……ナズナと僕の過去を整理するように話したり。
「……過去、か」
それが終わったと思えば双子の進路の話だったり……次は未来へと繋がる事が多い。
なんだか踊らされている気分になる。
「だからって言って……何も変わるわけじゃないんだけど」
独り言を零しながら、一服また一服と、煙が重なっていく。
「シオン、ここに居たんですね」
お嬢様が少し眠たげにやってくる。
「おはようございます。何かありましたか?」
煙草に火を点けながらお嬢様はまぶたをこする。
「いえ、用事はありませんけど……今日はやけに屋敷の中が静かで」
「確かに……なんだか奇妙なくらいに静かですね」
風も吹いていないし、空もどんよりしている。
雨が降る気配は一向に無いが、晴れる気配も一向に無い。
とてもとても、もどかしい気分になる。
「何か嫌な感じがして……それでシオンを探してたんです」
「僕を、ですか?」
一番頼りになりますから、とお嬢様は微笑みながら。
「少し目も覚めてきましたし、少し散歩に出かけませんか?」
「いいですよ、それでは準備してきますね」
煙草を消して部屋に戻り、出かける準備をする。
エントランスに出ると既にお嬢様が僕を待っていた。
「待たせちゃいましたか?」
「いえ、初めから外に出る予定だったので」
行きましょう、とお嬢様はドアを開ける。
……天気は相変わらずだ、今日一日変わることはないだろう。
お嬢様と道を歩きながらなんとなく抱き続けてる違和感をどうにか解消できないか考える。
「……お嬢様」
急に思考よりも先に声が出てしまう。
「どうしましたか?」
「いえ、えっと……特に何かあったわけではないんですが」
不思議そうにこちらを見つめるお嬢様。それもそうか。
その瞳の中は純粋そのもので……今の僕とは真反対な気がして。
「少し考え事をしていただけです。喫茶店にでも入りましょうか」
「えぇいいですよ。ここなら……あの店が一番近いですね」
お嬢様を先に行かせる使用人がどこに居るのだろうかと思いながら、お嬢様の後をついていく。
見えてきた喫茶店は……とても懐かしい喫茶店だった。
カランコロン、とウィンドチャイムがなる。
「いらっしゃいませ、お二人様ですか?」
「はい、二人です」
こちらへどうぞ、と通された席に座る。
ふぅ、と一息ついてメニューを二人で眺める。
「……多分三年くらいぶりですかね、ここに来るのは」
「あの時以来来てませんからね」
そう、あの時――僕がお嬢様の元に行くことになったあの日。
ここから僕の生活は始まった。
「シオンが来てもう三年くらい経つんですね」
「まだ三年なんだって言う方が大きいですよ、僕の中では」
私もです、とお嬢様は笑いながら返す。
「なんだかシオンとは……三年だけじゃなくて、もっと長いような。懐かしい気持ちにいつもなるんです」
「それ、前も言ってましたね。どっかで会ったことあったのかも知れませんけど……僕の記憶には当然ありませんし」
記憶がないからなのか、それとも別の要因なのか。懐かしさは僕の方では感じない。
どちらかと言えば……安心感の方が大きいのかも知れない。
「考え出すとどうして懐かしいのか、とても気になってきましたね」
「僕の方ではなんとも言えないですけど……それがわかる日が来るといいですね」
そうですね、と言いながらお嬢様はケーキを口にする。
僕もケーキを食べながら、アイスティーを飲み……。
少しずつ心の中のざわつきが大きくなってきているのを感じる。
「……お嬢様」
「どうしました?」
一息置いて、話を続ける。
「僕だけなのかも知れないんですが……なんだか嫌な予感がするんです」
「……嫌な予感、ですか?」
これも懐かしさと同じような感じで言い表せないんですけどね、と返しながら。
もやもやが止まらない。
「シオン、無理に考えすぎるのは良くないですよ」
「えぇ、わかってるんですが……」
わからないものに対して何かを考えるよりは今目の前にある物を考えた方が良いのはわかる。
今目の前に……。
その後、自分の中をリセットするようにお嬢様と談笑する。
最近の仕事の進捗だったり、食べたい料理の話だったり、本当にどうでもいい話ばっかりを重ねる。
そんな事をしてるうちに日が暮れてくる。
「……そろそろ帰りましょうか」
「えぇ、長居しすぎましたね。そろそろ晩御飯の支度もしなきゃいけませんし」
今日はシオンが当番でしたっけ?と聞かれ、お嬢様の当番ですよと返す。
「お買い物して帰りましょう……何作るか考えるのでシオンはみんなに連絡しておいてください」
「わかりました」
屋敷のみんなに夕飯少し遅くなるよ、と送信する。
そのまま買い物に向かい、食材を買って帰る。
***
「ただいまー……って、あれ?」
「……静かですね」
とても嫌な予感が胸に突き刺さったかのような痛みに変わる。
「おにい、ゆめちゃん……!」
モモがエントランスの隅で座っている。
「モモ、どうしたのそんな所で」
「……お姉ちゃんが帰ってこない」
痛みが確信に変わる。
急いで携帯を取り出し確認する。ナズナだけ返事がない。
「ただ単に帰りが遅いだけじゃないんですか……?」
モモを優しく撫でるお嬢様。
「……だったら良いんだけど、嫌な予感しかしないの……」
動くしか無い。
「お嬢様、バイクをお借りしても?」
「……鍵、持ってきます」
急いでガレージに向かいお嬢様のバイクに乗る準備をする。
……あたりは既に真っ暗で、雲行きも雨は振らないだろうが延々とどんよりしている。
まるで……心理描写かのような。
「シオン、鍵です!」
「ありがとうございます。……行ってきます」
エンジンをかけ、ガレージからバイクを出し――走り出す。
「……どこだ、ナズナ……!」
当てもなくひたすらに直感だけでバイクを走らせる。
どこだ……どこに……。
ふと、少し前の話を思い出した。
『ここの公園の、このベンチで。ナズナとモモは拾われたんですよ』
……賭けるしかない。
少し遠いけどそんな事言ってる場合じゃない。
ひたすらにバイクを走らせる。
生ぬるい風を浴びながらどんどん突き進んでいく。
「頼む……合っててくれ……!」
ひたすらに、ナズナの事を考えながら――突き進む。
***
公園にたどり着く。
バイクを止め、鍵をかける。
歩きながら、ふと空を覗くと雲が無くなっていることに気がつく。
――祝福されたように、雲が切れていく。
明るい月明かりに照らされていたのは、僕がよく見知った顔の女の子だった。
「……ナズナ」
「結局、ここに来ちゃうんだよ。なにもないのはわかってるのに」
ここが、私が依存する最大の原因だから――と。
「私はさ、ここで拾われて。右も左もわかんなくてさ。ここに来たってことは誰かから聞いてるって事だろうけど」
「……まぁ、ここに賭けてきたのはそれがあるからだ」
拾われ、屋敷に辿り着いた二人。
右も左もわからず、モモは心を閉ざしてしまう。
「だから、私だけでもって空回りしだしたんだ」
何をしても満たせない、何をされても満たされない。
それを埋めるのは妹しか居なかった。
「……私達は毎晩、キスをするんだよ。モモの緊張を解くためでもあるし、それに」
「それに?」
少し言葉を詰まらせながら、ナズナは続ける。
「それに対して、依存している私が居るんだよ」
「……だからわかったのか」
否が応でも、と答えるナズナ。
「でも、それを言う必要は無いんじゃ」
「シオンの記憶、モモの人間不信。それだけ握ってて私が隠してるのは嫌だったんだよ」
……だからフェア、って事か。
「それでも、こんな私達に寄り添ってくれるお嬢様がいる。だからこそシオンにはもっとちゃんとしてもらわないといけない」
「僕が?」
拳を握りしめ、今にでも飛びかかりそうなナズナ。
「シオン、一つ約束して。と言うか契約して」
「契約……?」
何を言い出すんだ?
「屋敷の全員にちゃんと向き合って。そして、お嬢様だけは不幸にさせないで」
「言われなくてもそれは一番重要なことだから」
それならいい、と吐き捨てるナズナ。
「さぁ、帰ろう」
「……はぁ、一日くらいのんびりしたかったんだけど」
こんなとこでのんびりだなんて危ないだろ、と諭す。
「あはは、正論で返されるなんて。私も弱ったね」
「ナズナのことを思ってだよ。みんなも待ってるから行こう。日付は跨ぎたくない」
はいはい、わかりましたよ、と諦めるナズナ。
「でも一つだけわがまま言っていい?」
「聞くだけなら」
あはは、と笑いながら彼女は。
「ジュース買ってきてよ。喉乾いた」
「あーもう、心配を無碍にしやがってこいつは」
でも安心したよ、と返し二人でジュースを買い、二人で飲む。
「あー、満足した。ごめん、シオン」
「僕は安心したから大丈夫だよ。謝るなら屋敷のみんなにね」
そうだね。と頷くナズナ。
バイクのエンジンを入れ、ナズナを後ろに乗せる。
「ちょっと急ぐからね」
「はいはーい」
屋敷に帰る直行特急便を、思いっきり走らせる。
***
「ねぇシオン、ちょっと停めてくれない?」
「コンビニ?」
うん、ちょっとね。とナズナは答える。
そこらへんのコンビニで一旦バイクを停め、二人共ヘルメットを外す。
ナズナは店に入り、ジュースと缶コーヒーを買って出る。
「はい、お礼」
「そんな気遣わなくて良いのに」
そんなんじゃなくて、と置いてからナズナは続ける。
「私も依存しすぎてたんだ、モモに。今日はっきりわかった」
「普段はそうも見えないけどね」
そりゃ隠してるからねと笑いながら。
「嫌悪感とかじゃなくて、罪悪感が一番大きくてさ。結局の所モモを置いていこうとしたからやってることはあいつらと変わりないんだけど」
ペットボトルを器用に宙に投げては掴みを繰り返しながらナズナは話す。
「姉失格だよ、私は」
「そうでもないと思うけどな。そこまで考えてる訳だから」
そっか、とペットボトルで手遊びをやめるナズナ。
「はっきり言ってシオンには何も期待してなかったし、兄としても見てなかったけど」
「凄い直球に言う」
それでも。
「こうやって来てくれる分はちゃんと私のことも見てくれてるんだなって。それお嬢様のバイクでしょ?わざわざ借りてまでさ」
「……ナズナがどう思ってようと僕は僕のしたいことをしただけだよ」
シオンらしいや、と言い放つと再びペットボトルを宙に投げる。
「どうしようも無いバカだね」
「多少の自覚はあるよ、ただ相手にもよるけどさ」
他人にだなんてそんな余裕ないもんね、と吐き捨てながら。
「シオンの過去の記憶についてはどうしようも無いけど、来た時からの記憶はちゃんとある訳でしょ?」
「忘れられない事が多すぎてね」
血まみれになったことも覚えてるよ、と答えるとナズナはストンとペットボトルを落とす。
「アレに関しては……今でも姉として悪かったと思ってるよ。止めれなかった私の責任でもある」
「あれも思い出の一部だよ。モモの事も、ナズナの事も別にそれで嫌になったわけじゃないし」
そう言いながら治らない傷を上からなぞる。
「もしかしたら記憶、過去になんか大きい事があったのかも知れないけど、身体の傷は癒えない所は癒えないから付き合ってくしか無い」
「……あれでよく屋敷に住もうと思ったよね」
確かにあれだけの事になっても住んでるのは自分でも不思議かもしれない。
救急車は免れたが一歩間違えれば大変なことになってた訳だし。
「ある意味でこれはモモに対する思いでもあるよ、あそこで突き放しちゃったらモモは延々と外部をシャットダウンするだろうから」
「まぁ今もしてるけど、あの頃に比べたらマシになってるかも知れない」
ナズナは落としたっきりのペットボトルを拾い上げながら続ける。
「そう言う意味では義兄としてちゃんとしてる訳だよね」
「ナズナに対しても同じ様に接してるつもりだけど」
それはわかるよ、大丈夫。そうナズナは返しながら、僕の背中をなぞる。
「これが兄の背中ってヤツか……」
普通なら兄じゃなくて親の、と思うんだけどもとは口が裂けても言えない。
「私はずっとお姉ちゃんで居たからさ、お嬢様もそうだし、カリンもそうだけどあんまり実感無かったんだけどさ」
なぞる手を離し、より掛かるナズナ。
「ある意味で、兄なんだなって」
「そう思ってもらえるなら嬉しいよ」
そのまま背中にしがみつくナズナ。
「あとはシオンだけだよ」
「……それはどう言う?」
ナズナはそれっきり答えない。
正確に言うと声が上ずり、声に出せないの方が正しいか。
「なんでもない、ガラでも無いことはするもんじゃないね。帰ろっか」
「そうだね、もう少しで屋敷だ」
再びバイクを走らせる、屋敷に向けて。
「……」
ナズナが何か小声で喋ったのは聞こえたが、バイクの音で途切れてしまっている。
まぁ特になんてこと無い事だろうと、バイクを更に走らせる。
屋敷行き安全運転特急。
***
「ナズナっ!」
帰るなりお嬢様がナズナに飛びつく。
「あう、帰りました……ごめんな――」
「――そんなこと良いんです。ちゃんとここに戻ってきた事が」
私は、とナズナを強く抱きしめながら涙を流すお嬢様。
「シオンもありがとうございます……よく、見つけ出しましたね」
「ここ数年の経験則と……数ヶ月の色々です」
とにかく、晩御飯にしましょう、とお嬢様はナズナの手を取る。
「……はい、お嬢様」
赤く腫れぼったい目を隠すようにうつむきながら返事を返すナズナ。
とにかく一件落着、かな。
さて、一緒に晩御飯を囲もう。
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