EP05 花園 - Garden

『どんなに咲き誇っても、いずれは朽ちるだけ。だからこそ今咲くの』



「お嬢様、起きてください」

 いつもより少し早い朝。

「……おはようございます」

 気だるげなお嬢様に水を差し出す。

「っ……はぁ、今何時ですか?」

「朝五時半くらいです」

 もう少し、と布団に戻ろうとするお嬢様を半ば強引に起こす。

「準備しないと時間に間に合いませんよ……僕としては一応仕事なんですから」

「シオン、真面目すぎです……」

 仕事ですので、ともう一回重ねながらも少し心が弾む。

「お父様も……素直に言ってくだされば」

「言われてもお嬢様は素直にしないでしょう?」

 ……言われてみればそうですね、と呟きながらあくびをするお嬢様。

 さて、僕も支度と最終確認をしてこないと……。




 時は戻り数日前、昼過ぎ。

「え、休暇ですか?」

「そうです。お嬢様にとっては休暇です。シオンくんは仕事扱いですが」

 ―――お嬢様と休暇を楽しめ。

 旦那様曰く、最近お嬢様が働き詰めで心配だと言うので無理矢理にでも連れ出してくれとの事。

 色々と経費、と言うより直接ポケットマネーなんだろうけど出るらしいので僕としては文句は特にない。

 ただ……お嬢様がどうなるか。


 その後、昼休み。

「嫌です」

「ストレートですね」

 お嬢様に話すと一瞬で断られる。

「お父様は心配し過ぎなんです!シオンもシオンで簡単に返事しないでください!」

 と笑顔で言われると怒られてるのかなんなのかわからなくなりつつ。

 お嬢様をなだめながら、隣でニコニコしてるナズナを突く。

「なんだ、その顔は」

「いやぁ、一泊二日のデートが降ってくるなんて理想でしょ?」

 確かに考えてみれば理想ではあるんだろうけど、あるんだけど……こうでいいのか?

「もう既にカリンが色々準備してあるみたいなので、割り切りましょうお嬢様」

「うーん、カリンにもまた今度ちゃんと言っておかないと」

 何がそんなに不服なんだろう、僕と一緒に行くことが不服なのだろうか?

 いや、それだったら悲しいし普通に傷つく。考えるのをやめた。




***




 そして時は戻る。

「……はい、準備終わりました」

「はい、お嬢様。それじゃ行きましょうか」

 行ってらっしゃい、と笑顔で手を降るカリンにとてもとても嫌な予感を感じつつ屋敷を出る。

 歩いて駅に向かい、電車に乗る。


「こんな長旅なんて何年ぶりかしら」

 車窓を眺めながらお嬢様が呟く。

「少なくとも僕が来てからお嬢様、ここまでの長旅はしてませんもんね」

「えぇ、出張くらいならありますけど。休暇でなんて滅多にしませんし」

 その話ながら、少しずつ変わっていく景色を二人で眺める。

「……離れてる間、あの子達は大丈夫かしら」

「流石に心配しすぎじゃないですか?一応ちゃんとした歳ですし、カリンも居るから大丈夫ですよ」

 それだと良いんですけど、と少しため息を漏らしながら。

 お嬢様は心配性なのか、ある意味での過保護のようなものなのか……。

 どちらにせよ、今屋敷に居る人間に対してとても敏感と言うか。

「多分、お父様とお母様の血なのかも知れませんけど」

 お母様。そう言えば父親の話はよく聞くけど、母親の話はあまり聞いたことはない。

「どんな方だったんですか?」

「そうですね……誰よりも優しくて、誰よりも暖かくて。小さい頃の記憶だからちょっと偏ってるとは思いますけど」

 タイミングを見計らうようにトンネルに入る。


 お嬢様が小学生になる頃に亡くなり、その後ずっと旦那様が一人で育ててた。

 旦那様の仕事の都合上、会社の方で過ごす時間の方が多く、その頃のメイドの記憶は殆ど無いらしい。

「長期休暇に入ると毎日のように居たので……。よくお菓子をもらったりアイスを一緒に食べたり。今でもその方達と一緒に仕事出来るのがとても嬉しいんです」

「その人達もお嬢様が一緒の会社で働いてるのは嬉しいと思いますよ」

 そうですね、と笑いながらお嬢様は続ける。

 新しい服の試着とかもしてたり、友達もたまに呼んで一緒に服を着たり。

 会社の休みの日に友達を集めてファッションショーみたいにデザインチームが競い合ったり。

 そうして着実に会社も成長していったのもあり、今に至る話だったり。

 友人も興味を惹かれ一緒に面接をし、一緒に合格し抱き合って喜んだり。

 人事担当者も一切の妥協は許さず、真剣に面接を行ったと僕の時も話してたり。

 そんな話をしている内にトンネルを抜け、また景色が変わる。

「キレイ……」

 車窓から見える湖を食い入るように見つめるお嬢様。

「シオン」

「どうしました?」

 お嬢様が僕の方を見て、真剣な表情でこちらを見る。

「私決めました。今回の休暇を、旅を全力で楽しみますだからシオン」

 僕の瞳を見ながらお嬢様が続ける。

「よろしくおねがいしますね」

「はい、楽しみましょう。お嬢様」




***




「あ、そろそろ終点ですね」

「ふぅ、同じ座りっぱなしでもなんだか違和感があります……」

 そこに重ねるのはとても申し訳ないのだが、時間もないのでそのままお嬢様に伝えることにした。

「乗り換えでまた電車です」

「うぅ、まだ揺られなきゃいけないんですか」

 車両が駅のホームに停まる。

 僕が動くよりも先にキャリーケースを取り、駅のホームに出る。

「……はぁ、疲れました」

「ここからは特に時間の制限も無いので、少し休憩しましょうか」

 ホームのベンチに腰掛けるお嬢様。すぐ横にある自動販売機で飲み物を買いお嬢様に渡す。

「自販機だと経費で落ちませんよ?」

「あはは、これくらい経費なんかじゃなくても構いませんよ」

 ふふ、冗談ですよ。お嬢様が笑うと僕も笑みが溢れる。

「それで。どこへ向かうんですか?」

「確かここから三十分くらいで付く予定ですよ。そこでお昼にしましょう」

 わかりました、とお嬢様は缶コーヒーを飲み干すとゴミ箱に缶を入れる。

 僕も飲み干した缶を捨てるとお嬢様と一緒にタイミングよく現れる快速に乗り込む。

「って、結構混んでますね」

「座りっぱなしよりはマシです、たまにはこれくらいの方が楽しいですし」

 一応大企業の社長の娘……お嬢様、だよな……?

 やはり屋敷に来てからお嬢様と呼んでは居るもののいまいち現実味がない。

 もしかしたら、それは僕が一人の人間として彼女の事を見ているからなのかもしれない。


 しばらくすると本日最初の目的地へ着く。

「……中華街!」

「えぇ、僕も初めて来ましたけど。さて、食べ歩きですよお嬢様」

 どれにしようか楽しそうに選ぶお嬢様。あれ、なんか既視感……。

「どれも美味しそう……シオンは何が食べたいですか?」

「お嬢様におまかせ、と言いたい所ですが……なんか引っかかるので一緒に探しましょう」


 中華街を練り歩きながら気になったものをただひたすら食べる、飲む、食べる。

「そう言えば中華街と言えば……あれ、飲んでみたくないですか?」

「あぁ……お嬢様、完全に飲む気ですね?」

 えぇ、引きませんよ。と笑顔でお嬢様は今日何個目か数えるのもやめた屋台へと向かい、満足そうな顔をして返ってくる。

 手には二つの緑色の瓶。片方を笑顔で僕に手渡すお嬢様。

青島麦酒チンタオビール、一回は飲んでみたかったんです」

「それじゃ、乾杯!」

 瓶を軽く合わせ、中身を飲む。あぁ、これが休暇。これが堕落の味だ。

 日本のビールとはまた違った味が口の中で広がる。こんなの、屋敷じゃ出来ないこと。

「これはみんなには内緒ですよ」

「もちろん、共犯ですね」

 ふふ、と二人で笑い瓶の中身を飲み干す。

「腹ごしらえも済んだことですし、少し休んだら次の場所へ向かいましょう」

「わかりました。とりあえず一服しましょう」

 一服を済ませるとバスに乗り、少し揺られる。

 見知らぬ景色を眺めつつ目的地で降りる。

「……ロープウェイですか?」

「はい、歩いても行けますけど結構疲れますし景色も一望出来るので」

 ロープウェイ乗り場まで階段を登っていく。これだけでもまぁまぁ疲れるぞ……。

 少し息を切らしながらロープウェイ乗り場にたどり着く。

「大人二人で」

 ロープウェイの切符を買い、一緒にもらったパンフレットをお嬢様に手渡す。

「……ハーブ園?」

「えぇ。僕は昔来たことが……あったはずなので」

 旅程を組む際、なぜか直感でここに行ったことがあり、とても楽しかった感情が蘇ってきた。

 半分くらいは僕の趣味ではあるが、お嬢様もハーブは好きなので旅程に入れてみようとメモを取っていた。


 ロープウェイに揺られながら景色を二人で眺める。

 ……数日前にモモと一緒に観覧車に乗ったことを少し思い出しながら。

 大都会の景色を眺めながら、僕らを乗せたロープウェイはどんどん山を登っていく。

 もうすぐ頂上だ。


 ハーブ園の頂上にたどり着く。

 様々グッズやハーブを置いたショップや、メダルに刻印出来る古めかしいマシン。

 小銭を要求してくる望遠鏡、ほのかなハーブの香り、そして少しだけ冷たい風。

 お嬢様はその全てをじっくりと味わう。

「素敵……」

 景色を眺めるお嬢様の横に立つ。

「とても、いい景色ですね」

「昔のシオンも……こんな感じだったんでしょうか」

 え?とお嬢様の方を向く。

「いえ、最初に来た時。今の私みたいな気持ちになったのかな、なんて」

「そうですね……多分、同じような気持ちだったと思いますよ」

 記憶に残って無くても、感情に残っている物がある。

 初めてだろうが、何回目だろうが。

 この場に立った時の感情は、二人共同じなのかもしれない。

 立場も、何も関係なく。ただひたすらに、この場の全てを感じる。

「……っと、やっぱりちょっと寒いですね」

 ロープウェイで確か標高は四百メートルほど。少し風が吹いているのもあり少し肌寒い。

「そうだろうなと思ってお持ちしましたよ」

 鞄からストールを取り出し、お嬢様に被せる。

「ありがとうございます、これで大丈夫ですね」

 今まで見ていた景色を背にするようにくるりと半回転し微笑むお嬢様。

 ―――少しだけ見惚れてしまい、脳が処理を停止しかける。

「シオン?どうかしましたか?」

「いや、ちょっとだけこの後の旅程を思い出してただけ、です」

 少ししどろもどろになりながら、なんとか辻褄が合うように必死に取り繕う。

 不思議そうに僕の顔を見るお嬢様をとりあえず別の方向に誘導する。

「あ、あそこ。ハーブティーとかが飲めるみたいですよ?」

「季節のハーブブレンド、美味しそうですね」

 よし、なんとか気をそらせた。その合間に少しだけ火照った頬をどうにか冷たい風で冷やす。


「お嬢様、持ってきましたよ」

「ありがとうございます。じゃあ飲みましょうか」

 僕はローズ中心のブレンドのハーブティーをホットで。そしてお嬢様が選んだのは。

「……いちごの入ったロゼ」

「いや、タイトルそのままじゃないですか!?」

 苺の入ったスパークリングロゼに目を引かれたお嬢様は本日二杯目をご所望との事なのでしょうがなく。

 確かに見た目はロゼに苺が入ってる……のだが。

「シオン、飲んでみてくださいよ。本当にいちごの入ったロゼ、ですから」

「えぇ……それでは一口」

 あぁ……。

「いちごの入った」

「ロゼ」

 ただ単にいちごが入ってるだけの、スパークリングロゼだった。

「いちごフェスですもんね、今やってるの」

「そうですね、確かに合ってはいますけど……」

 こう。二人ではてなを浮かべながら、目線が合うと二人で苦笑する。

「シオンやカリンが旅が好きって言う理由、今なんとなくですけどわかった気がします」

「それは、どういう?」

 苦笑が笑顔に変わるのを見ながら問う。

「こうやって、アクシデントって訳じゃないですけど。そう言う要素が旅の楽しみだってカリンが前話してたのを思い出したの」

「ふむ、確かに僕もこう言うアクシデントは旅だからこそ思いっきり楽しめますね」

 良かった、と言いながらロゼといちごを強引に流し込むお嬢様。

 僕も残ったハーブティーを飲み干し、ハーブ園を巡る。


「あ、もう少し早かったらガイドツアーに参加できたんですけどちょっと時間過ぎちゃいましたね」

 現在時刻はガイドツアーの開始時刻から十分程経過。まぁ、急いでも間に合わなかった時間だからのんびりと楽しもうか―――

「もしかして、あの方々でしょうか?」

 少し先にガイドツアーらしき集団が……居る。

「シオン、こっそりついていきましょう」

「堂々と行きましょうよ」

 いえ、こっそりとです。と唇に人差し指をたて、謎のウィンクをするお嬢様。

 ……まぁ、そう言う事なら使用人としてはしょうがない、とことん楽しんでみよう。

「同じエリアかつギリギリ集団の外側、至って普通に行動している二人組、ですからね」

「強引すぎますけど、まぁその方向で」

 ガイドさんがハーブの解説をする声を少し後方で聞きながら、前進していくツアーの集団が去った後にハーブの実演を試す。

「あぁ、やっぱりちゃんと手入れされてるハーブは香りが違う……」

「そうですか?シオンのハーブもとてもいい香りですよ?」

 やっぱりプロには負けちゃいますよ、と笑いながら次のエリアを攻める。

「これ使って今度料理したいな……お嬢様はどうです?」

「いいですね、お土産に買って帰りましょう。調理は任せましたよ、シオン」

 仰せのままに、と香りと名前を脳内で記憶しながらどう調理するか考えつつ、また次のエリアへ。

「シオン、本当にこれ全部同じ種類のハーブなんですか?」

「そうですね、細かい分類だと枝分かれしていきますけど大まかに言えば全部同じですね」

 でも香りは違うんですよ、とハーブをひとつまみ拝借し、それぞれをお嬢様へ。

「一応屋敷にも何種類かは植えてますよ。殆どは使わないのであんまり馴染みがないのかも知れませんね」

 と話しながら着実に距離を保ちながらツアーを尾行する。


 様々な区域を巡り、およそ三十分ほどだろうか。

 ハーブガイドツアーが終了したらしく、アンケートをガイドさんが参加者に配り歩く。

 ……そして、少し影に隠れていた僕達の方にも。

「ふふ、ずっと見てましたよ。彼氏さん、ハーブの事結構知ってるんですね」

「あ、えっと。えぇ、本当は最初から参加したかったんですけど」

 よくあることですよ、と笑顔で良ければアンケートをと手渡してくる。

 ……なーんか既視感。

「バレてましたね」

「ふふっ、結構な頻度でこっちのこと見てましたからね。私、それが面白くて途中からずっとシオンのこと見てましたから」

 えっ、と普通に声を上げて驚いてしまう。

「でも、シオンのそう言う。好きな物事にちゃんと考えたり、感じたり。そんな所もとても好きですよ」

「っ……!」

 思いっきり赤面してしまう、隠しようもない。

「あっ、えっと……!その、家族としてです!あ、でも違う……?えっと」

 お互いに混乱してしまう。

 とりあえず二人で深呼吸、深呼吸……。

「アンケート、渡しに行きましょうか……」

「そうしましょう……」

 ガイドさんに回答したアンケート用紙を手渡すお嬢様。

「良ければお写真撮りますよ?」

「それじゃあ、おねがいします」

 僕の手を取るとお嬢様はハーブの花園へと僕を強引に、そして優しく誘う。

 何枚か写真を撮ってもらい、確認する。

「あとでこの写真、みんなに送っておきましょうか」

「そうですね、私が送っておきますね」


 後日の話にはなるが、その写真が屋敷の人間と共有されたことは無い。

 こっそりとお嬢様が部屋に飾ってるのを見かけて、少し微笑ましくなったと同時に疑問が生じたが、誤差の範囲内かなと処理。




***



 ロープウェイ、下り。

「街からこんなに近いのに、あんなに素敵な所があるだなんて……本当に凄いですね」

 売店で色々なハーブ類をお互いに買い漁り、満足した表情で帰路へ。

「楽しんでもらえたならなによりです。麓で休憩したら街を歩いてみましょう。あの街もキレイですよ」

「ふふ、楽しみにしてますね。満足出来なかったら罰が待ってます」

 残念ながらその罰はずっと来ませんよ、と返す。

 そして、今日何度目か忘れたが、お互いに笑い合う。

「さぁ、お嬢様。足元にお気をつけて」

 ロープウェイ、終点。


 ロープウェイを降り、とりあえず一服。

 頂上とはまた違った風を浴びながらベンチに座る。

「次の目的地はどれくらいかかるんでしょうか、シオン?」

「歩いてすぐですよ。と言うより歩いて行ったほうが面白いかと」

 はてなを頭の上に浮かべるお嬢様。

 歩き疲れて少しだけ重たい腰をなんとかよいしょとあげ、二人で歩き出す。

 横断歩道を渡り、小道に入っていく。

「……素敵ね」

「ちょっと歩いただけなのにこんな世界が広がっている。面白い街ですよ、ここは」

 完全に都会と言うかビルが乱立する表通りと違い、少し小道に入っただけでいきなり別の国に来たかのような。

 ハーブ園とそんなに距離も離れてないのに、世界がコロコロと変わっていく。

 まるでおもちゃの世界のような景色を歩きながら。

「これもまた、色々なモチーフに出来そうですし……やっぱり自分で経験するのは大切ですね」

「いくら資料で見ようと、五感で味わえるわけではないですし」

 しかし、街並みを歩き続けるには流石に僕も体力が。お嬢様もやはり疲れの色は出ている。

 どうしようかとあたりを見渡してみると……。

「シオン、あそこ行きましょうか?」

 お嬢様が指差したのは、このおもちゃのような世界にぽつんと存在するコーヒーチェーン店。

「当時の建物をそのまま使ってるタイプじゃないですかね?ここまで違和感がないとは思いませんでした」

「えぇ、本当に凄いですね……」

 中に入ると、おそらく当時のままかそれを模したような店内の装飾。

 ぽつんと見慣れたカウンターがあるくらいであとは殆どが『屋敷』そのままだ。

 ドリンクをオーダーし、受け取るとあたりを見渡す。

 やはり観光地なので観光客が何組か、そして近くに住んでいる学生だろうか?ノート、タブレットなどを広げている姿も見える。

 もう少し見渡すと階段がある。二階もちゃんと店舗として利用しているのか……凄い。

「うちの屋敷がこれくらいコンパクトだったら良かったんですけどね」

「まぁ確かにそれもそうですけど……財産ですし。しょうがないところもありますから」

 あと一軒分くらいあったら流石に心折れてましたよ、と笑いながら窓側の席を取る。

 窓から眺める街並みもまたキレイで。

 今日の話や屋敷のみんなの話、新しい作品や今までの作品。

 色々な物を清算するように話し込むと、少しずつ日が暮れていく。

 電灯が照らす街並みもまたレトロでキレイで。

「これが、旅。なんですね」

「はい。かけがえのない日常があるからこそ、この非日常を全力で味わえるんです。だから、旅が好きなんです」

 かけがえのない日常……と、呟きながら。お嬢様はまたコーヒーを啜る。

「僕は今の日常が一番大好きなんです。だからこそ、こう言った旅を楽しむことが出来るんです」

「ふふ、シオンと同じ意見です」

 それじゃ、ホテルにチェックインしてから晩御飯としよう。

「それではお嬢様、行きましょうか」

 丁寧にお嬢様の手を取る仕草。

 意図がわかったのか、お嬢様も合わせる。

「えぇ、行きましょう。シオン」

 まわりから少し不思議な顔をされながら階段を降り、『屋敷』から出る。

 さて、カリンが予約している宿に向かうとしよう。




***



「えっと、今日予約の柊です」

「柊様、一泊二日ですね。こちらにご記入を」

 住所、氏名、連絡先等枠内に記入し、受付に手渡す。

「それではこちらがお部屋のカードキーです」

 二人分のルームキーを受け取る。

 ……部屋番号が一緒?まぁカリンの事だからツインルームを取るくらいは全然想定してたけど。

 とは言え部屋のグレードもまぁまぁ高いグレードなのである程度広いだろうし、特に何も考えずに済むだろう。

 ……なにか考える訳ではない、毎日寝顔を見ている訳だから。……起こすために。

 と、思っていたのはほんの数分間だけだった。


「ダブルルームじゃないか!!」

 一周回って諦めかけた自分が居たが、部屋を見渡して叫んでしまった。

 ベッドは大きいベットだけ。……だけ。

「シオン?」

「おかしいよね!?カリンがわざわざここまで手を回すだなんて……やっぱりこんな事になるなんて!」

 ツインルームくらいなら想定していた、むしろそうだろうと思っていた自分に嘆く。

「まぁ、予約を取ったのはカリンですから当然と言えば当然の結果ですよね……」

「……もしかしてお嬢様知ってたんですか?」

 あっ、と声を出すお嬢様。

 知ってたのか。

「もういいです、僕は考えるのをやめます!」

 考えるだけ無駄と言うか、カリンの嫌な笑い方が否が応でも頭の中に浮かんでくる。

 良かったですね、シオンくん。と悪魔のような声で頭の中でささやかれる。

「……嫌、ですか?」

 ふとお嬢様が呟く。

 少し寂しそうな顔をしながら、僕の方を向く。とても、とてもずるい。

「嫌ではないですが」

 そう返すとお嬢様は……少しだけ含んだ笑顔を返す。もしかして。

「……あー、わかりました。カリンに関しては後にしますけど。このお嬢様はどうしましょうかね」

「わ、私は良いですよって言っただけです!カリンがっ、カリンがぁ!」


 ……、諦めてベッドに腰掛ける。

 そして、その横にお嬢様が腰掛ける。この大きいベッドに対してかなり狭い間隔で。

「それにしても、今日は本当に疲れちゃいました。もう横になったら寝ちゃいそう……」

 そう言いながら寝転がるお嬢様、いやだめだ、ちょっと待て。

 と思った頃には既に微かな寝息が聴こえてくる。まぁ、少しだけならいいか。


 タイミングを見計らったように着信音がなる。……カリンから。

「もしもし、とりあえずキレていいですか?」

「まだ何も言ってないじゃないですか」

 先手打っただけですよ、と食い気味に返す。

「で、お嬢様の方はどうですか?ちゃんと楽しめてますか?」

「楽しんでるみたいですよ。今はちょっと横になって眠ってますが」

 チャンスじゃないですか、と言われた気がしたけど無視しながら続ける。

「んで、なんでわざわざダブルを?」

「わざとですよ、と言いたい所ですが。まぁ少し事情があるんですよ」

 なんかもう、聞く気が失せたのでやめておいた。

「帰るまで、お嬢様を頼みましたよ」

「言われなくてもわかってますよ。屋敷のみんなは?」

 何ら変わらないです、と笑いながら話すカリン。

 そんな感じで今日の出来事をお互い話し終え通話を切る。

「……カリンですか?」

「あ、起こしちゃいましたか?」

 いえ、今起きた所ですと返される。確かに寝起きの時の顔に近い。

 あくびをしながら伸びをするお嬢様。

「とりあえず晩御飯にしましょうか」

「そうですね……行きましょう、シオン」


 今日は豪華に……和牛、ステーキ!

「久々すぎてなんだかわくわくしちゃいます」

「逆にわくわくできるお嬢様が羨ましいですよ、僕なんてなんか緊張してきちゃって」

 それ、前のワインの時で克服したんじゃないですか?と指摘され、なんとも言えない顔をしてしまう。

「ふふふ、シオンのそう言うとこも素敵ですよ」

「うーん、そうですか?」

 ランクがどうだとか、そう言うのは普段気にせず特売のチラシに飛びついているので余計に身構えてしまう。

 ……が、結局の所食べだすとどうでもよくなるのがこのクラスの食べ物の良いところであり悪いところでもある。

「合わせにワインじゃなくて日本酒を選ぶ所、シオンらしいですね」

「えぇ、ワインも迷ったんですが冷酒でキュッと〆るのもいいかぁと」

 贅沢な味わい方をしながら、のんびりと今日を振り返る。

「朝は早かったですけど、おかげで色々な所を楽しめてよかったです」

 ちゃんとお嬢様が起きてくれなかったらとヒヤヒヤしてましたなんて言いながら。

 どんどん夜は更けていく。


「はぁ、美味しかった……」

「シオン、今日はもうこれで終わりですか?」

 少し眠そうなお嬢様を見ながら。

「うーん、もう少しだけ飲みましょう」

 そう言うと、僕はお嬢様の手を取り夜の街へ繰り出す。

 唐突のことに少し戸惑いながらも、しっかりと僕の手を握り返すお嬢様と共に。

「ふふ、まるでパーティーから抜け出した二人みたいね。ヒールじゃなくてよかった」

「ヒールだったらもうちょっと丁寧に連れ出しますよ。

 少しだけ強調しながら、夜風をくぐり抜けるように。

「さぁ、酔いましょう―――」




***




「っ、あぁぁ……疲れた」

「出しちゃいけない声になってますよお嬢様」

 バーに入って一杯目を一口飲むととてもじゃないけどその顔からは想像し難い声を出すお嬢様。

「いいじゃないですか、別にぃ。こう言う時くらいは」

「いいですけど、いいんですけど……」

 こう、納得いかないと言うか……屋敷で飲んだ時とは違う……?

 なんとも言えない違和感を抱きながらも、旅の疲れだろう。僕ものんびりとお酒を飲む。

「でも、シガーバーなんて気が効きますね」

「流石に持っていけないじゃないですか、だから一日の〆として予め調べて。疲れてたらそれはそれで宿に戻ればいいかなと」

 二人でオーダーしたドリンクを飲みながらシガーを吸う。

 やはりちゃんと管理された物は違うなぁ……と、今日何回目かわからない感想をこぼしながら。

 どっと押し寄せる疲れと、程よい酩酊、そして葉巻の鎮静作用、ネスビット・パラドックス。

 三位一体とでも言うのか、僕達の意識が蕩けていくのがわかる。

 しかし、あくまでもここは外なので僕はちゃんと飲む量を調整しないと。

「シオン?」

 唐突にお嬢様に呼ばれる。

「どうしました?」

「いえ、何か考えてるように見えたの」

 今、お嬢様を守れるのは僕しか居ないのだから、とはあまりにも口に出せることではなかった。

「ちょっと疲れがきてるだけですよ」

 そう、それなら。と一服するお嬢様。

 どうにか誤魔化せた。いや、誤魔化した意味はあるのか……?

 少しずつ積み重なる疑問に対し、僕はこの旅で答えを出せるのだろうか。


「ねぇ、もしあの二人が屋敷から居なくなったら……どうすればいいのか、シオンはわかる?」

「わからないです、今は。ただ、その時が来てしまったら……自ずとわかるんじゃないかって」

 自ずと、否が応でも、どうあがこうと。現実から目を背けることは出来ない。

 二人を引き止める権利など、僕達には無いのだから。

 まだ高校生だから屋敷に居る必要はある。ただ、その後は……。

 お小遣い、と言う名の給料だって彼女達にはある。さほど使ってる様子も無いし十分独り立ち、或いは二人で暮らしていくことだって出来る。

 僕達は、本当の『家族』ではないのだから。

「自ずと、ですか。ある意味でシオンらしい答えだと思います」

「当然寂しいとは思いますし、当分の間は埋められるものじゃないと思いますけど」

 今は今のことだけ考えましょう、とお嬢様の背中を擦る。

 伝わってくる微かな震えをなだめるように、ゆっくりと。

「ふふ、本当に。貴方はどこまでも優しい人ね」

「お褒めに預かり光栄です、お嬢様」

 その声色をかき消すように。

 その気付きを悟られないように。

 お互いに再びグラスを軽く合わせ、飲む。同じ仕草で煙草を手に取る。

 紫煙を吸い込み。先程までの悩みを今の所は忘れるため。

 紫煙を吐き出す。今は今を生きると言う事を再確認するように。

 まるで意思を持ったかのように見える紫煙を、二人で眺め。

 お互いに顔を合わせ、笑い合う。

「もう一杯頼もうかしら」

「流石にそれはダメです、飲むならせめて戻ってからにしましょう」

 シオンの意地悪と言われながら苦笑しつつマスターに合図を出す。

 会計を済ませると、入る時よりも冷たい風が僕達を包み込む。



 ホテルに戻る。

「シオン、私が先にシャワー浴びてもいいですか?」

「大丈夫ですよ、その間にワインをオーダーしておきます」

 ありがとう、とお嬢様は微笑むと着替えを持ってバスルームへ向かう。

 僕はルームサービス一覧からワインを選びオーダーする。

 よし僕も少し楽にしよう、そうだベッドに転がろう―――

 ……あぁ。

「ダブル、だったなぁ」

 どうしよう、どうすればいいんだろう。

 お嬢様は、どう考えているんだろう。

 ……本当の『家族』ではない、それ以前に恋人でもない。

 ただの、使用人とお嬢様。そう思っていたのに。

 コンコン、とノックが聞こえる。

 ルームサービスのワインが届いたのでとりあえずテーブルに置いておく。

 念の為メモを書いておこう。

『僕があがるまで飲んではダメですからね』

 メモを書き上げると、お嬢様が戻ってくる。

「おまたせしました、シオンお次どうぞ」

「はい、すぐにあがるのでしばしお待ちを」

 着替えを持ってバスルームへ向かう。


「それにしても、久々にここまで旅すると疲れるなぁ」

 覚えてなくても、身体は動いてくれる。

 記憶では思い出せなくとも、感情は忘れないでいてくれる。

「少なくとも、僕は離れませんよ」

 誰に語るわけでもなく、シャワーを浴びながら呟く。

「……恩は忘れませんから」

 シャワーの音が、呟きをかき消していく。



「……メモ、読みました?」

「ついうっかり」

 泥酔。

 どこかに隠しておけばよかったか?

「シオンの分も残してありますからぁ」

 瓶の半分以下、と言うかグラス一杯あるかも怪しい……んですけど。

「はい、どうぞ」

 案の定グラス一杯もないワインを差し出される。

「屋敷帰ったら節酒にしましょうか」

「なんでですか?」

 こうなるからです、と言いたい気持ちを必死に堪えワイングラスを受け取る。

 うぅ、あの代金に対して僕はこれだけしか飲めないのか。

 経費、経費だけど!なんか納得がいかない。

 それでも。笑顔のお嬢様を見ると、そんなことすぐ忘れてしまう。

「それじゃそろそろ……寝ますよお嬢様」

 お嬢様に声をかける。

「……お嬢様?」

 声をかけ……。

「すぅ、すぅ……」

「はぁ……わかりましたよ」

 諦めてお嬢様を抱え、ベッドに優しく寝かせる。

 ……まぁソファーでも寢れないことはない。

 お嬢様に布団を被せ、ソファーに……たどり着けない状態に陥る。

「っ……!」

 顔が近い、それどころか逆に抱きかかえられる形になっている。

 これは、お酒のせいだ、そうお酒のせい。

 お嬢様だって顔が赤いでしょう?それはさっきまでお酒を飲んでいたから、アルコールの不可抗力だから。

 …………。

 もう、いいや。

「わかりましたよ……」

 諦める。そしてなんとか寝れるように体勢を少しでも整え、布団を被る。

「おやすみなさい、お嬢様」




***




「……うわぁ、思いっきり寝過ごしてるなぁ」

 時計を確認すると現在時刻は九時あたり。

 結局あの後すぐに解放されたものの、そのまま出ていくのもなんとなく気まずく。

 どう釈明すればいいのかわからず、早く起きればいいやと思っていた。

「ふふ、おはようシオン」

 お嬢様がベッドに腰掛ける。

「先に起きてたんですか?」

「えぇ、一時間くらい前に起きてましたけど起こすのもかわいそうかなと思って」

 ……お嬢様の方が先に起きてただなんて、年に何回かレベルだぞ。

 じゃなくて、いや、えっと、その。

「よく眠れました?」

「あ、はい……おかげさまでこの通り、よく眠れました」

 それなら良かったと呟くとお嬢様はベッドに寝転がる。

「……私はもうだめです、二日酔いが酷くて」

「あれだけ飲めばそりゃそうなりますよ……」

 まるで交代するかのように僕は起き上がりベットに腰掛ける。

 ……。

「僕もダメですね」

 頭痛にやられる。学びがない、学びというものがない。

「テーブルに頭痛薬とかありますから……」

 ぐったりしてるお嬢様が指差す所には乱雑に置かれた頭痛薬や二日酔いの薬。

 それをとりあえず片っ端から飲み、ぐったりとソファーに座る。

「シオンは横にならなくてもいいんですか?」

「効くまではなりたいですけど……」

 ……でも、流石に今は意識があるわけだし。

「いいじゃないですか、同じベッドで一晩を明かしたんですから」

 頭痛で蝕まれる脳にクリティカルヒット、と言うかなんかその言い方。

「まるでカリンみたいな言い方ですね」

「頑張って真似してみました、似てましたか?」

 なんか色々と一周回ってどうでもよくなるくらい似てました、と返し。

 お嬢様のお望み通り、ベッドに横たわる。


 二人で天井を見ながら。

「今日はどこへいくんですか?」

「詳しくは決めてないんですよね、ある程度大まかには決めてますが旅程は崩壊するものなので」

 そもそも、そんなこんなでもう十時を回ってしまってる時点で崩壊している。

「私、行ってみたい所があるんですが……」

「行ってみたい所ですか?どこかによって旅程組みますけど」

 お嬢様がマップで記す場所はさほど遠い場所でもない。

 これなら特に旅程も崩壊しないだろう、とお嬢様に告げながら。

 そもそも二日目の旅程を決めていないと言い出せずにチェックアウトに至る。



 とりあえず、ご飯にしよう。

 お昼はカリンがオススメしていたお店に行く事にする。

「って、すごい行列じゃないですかこれ」

「一時間……くらいは少なくとも待ちますよね」

 どうします?とお嬢様に尋ねる。

 少なくとも一時間待ったとして食事が終わるのは……十三時くらいになるんじゃないか?

「折角の機会ですし、並びましょうか」

「わかりました、最後尾はあっちですね」

 二人で最後尾に並ぶ。

 ちょうどお昼時、サラリーマンやカップル、おそらく観光客もこの中に混じっているだろう。

 そこからちょうど一時間後、店の中に入り看板メニューを頼む。

「ナズナは絶対無理ですねこれ」

「モモは笑顔で食べてそうですね。ふふ、想像できます」

 明らかに辛いと宣言している麻婆豆腐。それをレンゲで掬い、口の中に入れる。

 程よい辛さのバランスが食欲を更に刺激し、ご飯がすすむ。これに関してはカリンに感謝しなければいけない。

 それ以外に関しては色々と文句と言うか、苦言と言うか。とにかく帰ったら噛み付いておかねばと改めて心に誓う。


 食べ終わり、お会計を済ませ外に出るとまだ行列が続いている。

 食べた後ならわかる。確かにこれは待ってでも食べたいものだ。

 行列を横目に、次の目的地へ。そこはお嬢様が先程行きたいと行っていた場所。


「……撤去されてる」

 お目当ての物が撤去されている事に落胆するお嬢様。

「あぁここですか……結構色々とあったらしいですから仕方がないですね」

「中はどうなんでしょう……?」

 建物の中に入っていくお嬢様。

 中を見渡すと安堵した表情で振り返る。

「良かった、中は全然変わりないようですね」

 無邪気に店舗内を散策して行くお嬢様。僕も置いていかれないように注意しながら店舗内を見渡す。

 中は至って普通のゲームセンター。様々な種類の筐体が並んでいる。

 そして店内の至る所に色々なポスターが貼られ、ゲームセンターとしての歴史を感じる。

 一台の筐体の前で立ち止まり手招きするお嬢様。

「ある意味幻の筐体なんですよ、これ」

「うわ、これちゃんとした鍵盤になってるんですか?」

 久々に、と呟くとお嬢様は僕に荷物を預け、コインを入れる。

 お嬢様は、言い得て妙だが、とてもお嬢様らしく優雅に鍵盤を叩く。

 最近は弾く機会は無いが一応グランドピアノも屋敷にあるし、お嬢様もピアノはかなりの腕前である。

「シオン、やっぱり久々すぎてダメでした」

 しかし、ゲームシステムには抗えなかった模様。

 少し落胆しつつもあたりを見渡すお嬢様。

「そうだ、たまには真剣勝負しましょう?勝った方が負けた方の言う事を聞く、って言うやつを」

「お嬢様からだなんて珍しいですね……いいでしょう、一回勝負ですよ?」

 格闘ゲームの筐体にお互い座り、いざ勝負!



「もう一回……!」

 何回目のコンティニューになるか、もう忘れたけどもう一回。

 えーっと。何回両替しにいったんだっけ。

「手加減とか絶対してないですよねシオン」

「真剣勝負と言われましたので、全力で頑張ってますが」

 一時間程、延々とお嬢様を完封するだけの……傍から見れば意地悪い男に見えてそうでとても嫌だなぁ。

「うぅ、家ならもう少し……」

「それ帰ってやっても同じ結果になるやつですよお嬢様」

 僕も腕が疲れてきちゃいましたし、とお嬢様をなんとか筐体から引っ剥がす。

「帰ったら身体中筋肉痛だろうなぁ」

「私も多分、明日はペンとか持てなくなりそうです」

 なんて、二人で笑いながらベンチで一休み。

 このご時世なので、店内で煙草も吸えず。とりあえず缶コーヒーを飲みながら話す。

「これはみんなには内緒ですからね……」

「あはは、流石に言いませんよ」

 程よく時間も潰せて、少しずつ日が暮れだそうとしている。

 二日目はなんか、旅らしいこと殆どして無いや。

 でも、これがある意味旅の醍醐味なのかもしれない……と、何となく感じる。

「結局こんな時間になっちゃいましたけどどうしましょうか?」

「帰りまでお土産でも見に行きましょうか、駅の中に行けば色々とあるでしょうし」

 そうしましょう、と一緒にお嬢様と立ち上がり駅に向かう。



 駅のお土産コーナーを色々と巡る。

「もうすぐ終わりなんですね……」

「あんなに最初は嫌だって言ってたじゃないですか?」

 色々なお土産を手に取ったり戻したりしながら。

「それとこれとは別です、まったくシオンの……」

 シオンの……?

 何かを言おうとして、躊躇いと言うか、なんというか。

「どうしました?」

「やっぱりなんでもないです。お土産はこれくらいで大丈夫ですね」

 わりと強引に話題を変えられた気もするが、深く詮索するのも何だと思いやめることにする。

 あとは帰るだけだ。




***



 帰りの車窓は、真っ暗。

 僕もお嬢様も、疲れでぐったりとしながら揺られている。

 もうすぐ折り返し地点、そんな所で携帯が震える。

『お嬢様はどう?』

 ナズナからのメッセージ。

『疲れでぐったりしてる、と言うか今少しうたた寝してるとこ』

『悪さするなよー、ちゃんと気をつけて帰ってきなよね』

 嫌味ったらしく言いながらもちゃんと気遣いが回るいい子に育ったもんだ。

『また駅ついたら連絡するね』

 そのメッセージが送信できたか出来てないか、長いトンネルに突入する。

「あ、圏外……」

 まぁいいか、トンネルを抜ければ送信されるだろう。

 うたた寝しているお嬢様が肩にもたれかかる。

「ま、無粋な事はしないこった」

 何も言わずにその綺麗な顔を肩で預かる。

 ガタンゴトン、ガタンゴトンと車両が揺れながら。

 少しずつ、見慣れた景色に溶け込んでいく。

 ―――旅が終わる。



『……終点です。お忘れ物の無い様、お気をつけください……』


「お嬢様、起きてください。着きましたよ」

「ん、もう着いたんですか……って。ごめんなさいシオン、もしかしてずっと」

 それ以上は言わせないようにして、お嬢様と一緒にホームに降り立つ。

「やっぱり、シオンはシオンですね」

「どう言う事ですかそれは」

 お嬢様は笑いながら。

「秘密です」

 それだけ答えると、改札へと向かう。

 改札を抜けると、不意に横から衝撃を受ける。

「痛っ、なんだ……?」

 少しよろけながら視線を下に向けると、僕を抱きかかえる義妹が居た。

「モモ、なんでここに?」

「私だけじゃないよ、みんな居るよ!」

 やれやれ、と言った表情のナズナ、色々な意味を含んでいるであろう笑顔のカリン。

「シオン君、お疲れさまです。車を用意しておきましたので。それと」

「それと……?」

 カリンが一瞬だけ純粋な笑顔を見せる。

「おかえりなさい」

「……ただいま」

 まるで我が子を迎えるかのような……。

 妙な言い方ではあるが、そんなような感覚がした。




***



「嫌です」

「……仕事ですよ、お嬢様」

 次の日、とても天気の良い日曜日。

「なんで今日仕事しなきゃいけないんですか……?」

「アレが代休だからですよ、お嬢様自身がカレンダーに書き込んだんじゃないですか……」

 休暇に行く代わりに、次の日はちゃんと仕事をさせて欲しいと言ったのはお嬢様の方なのだが……。

「はぁ、じゃあここで行使しますか。昨日のアレ」

「……ずるくないですか?シオンは今日休みだと言うのに」

 お嬢様から勝ち取った、なんでも言うことを聞いて貰う権利。

「えぇ、ここで使わないと。忘れられたら困りますし」

「忘れるのはシオンの専売特許だと思ってました」

 ……そう言う言われ方をするのはなんかずるいなぁと思いながら、僕は旅で得た権利を使う。

「今日は僕と過ごす休暇です、これもお仕事ですからねお嬢様」



 今日も一日が始まる。

 お嬢様と過ごす、忘れることのない日誌の一ページが綴られる。

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