EP02 金平糖 - Comet
『教えてあげる、甘い星にはトゲがあるの』
甘美な微睡みから徐々に覚醒する。
人間の慣れというものはどうもこうも恐ろしい物で、いつもと同じ時間に同じような起き方をする。
「あ、おはよう。おにい」
この時間に起きることに慣れると言うか慣らされたと言うか。
毎日のように僕の部屋に通ってわざわざ叩き起こしに来てくれる義妹――。
姉とは違い、伸ばした髪を所謂ポニーテールでまとめている少女。
「おはよう、モモ」
――血の繋がってない義妹。ナズナの妹にして無邪気な少女、モモ。
「ご飯出来てるよー、早く着替えて!」
と、毎朝の恒例行事を終えるとモモは部屋を出ていく。
さて。僕も着替えて朝食を食べたらお嬢様を起こしに行こう。
「おはよ」
先に朝食を食べてたナズナの横に座る。
モモが僕の分と合わせて二人分の食事をトレイに持ってきてくれる。
「二人は今日何時頃帰り?」
高校生のナズナとモモは平日は高校に通い、帰ってきてからお嬢様に仕える。
本当は部活も許可している――と言うよりお嬢様曰く部活も合わせて学校ですから、と言ってはいるのだが二人は必要最低限のことが終わったらすぐ帰ってくる。
「んーっと、いつも通り十八時くらいかな」
「了解、お嬢様にも伝えとく」
ありがとー、と返事を返しながらごちそうさま、と両手を合わせトレイをシンクに持っていくナズナ。
ご飯を食べながら今日の予定を考える。
お嬢様は最近新しい商品の開発をしているのでその間は自分は事務作業をし、呼ばれたらお嬢様の元に向かえばいい訳だし……。
などと、平日はある程度のプランを練りながら朝食を食べるのが恒例になっていた。
いやはや、慣れとは恐ろしい物である。
「おはよう、シオン」
今日もいつものお嬢様の朝が始まる。
お嬢様が覚醒するまでの間にも少し他の作業に手を付けようかなどと考えながらゆっくりとした時間が流れる。
「――ですけど……って、シオン?」
「あっ、すみません。ちょっと考え事で意識が飛んでました。おはようございます」
ふふ、とお嬢様は笑うともう一度今日の予定を僕に語ってくれた。
「わかりました。では午前は僕も作業しますので、何かあればお呼びください。またお昼頃に作業室の方に伺いますね」
午前は作業、午後は気分転換と買い出しに。それが今日の予定だ。
午前だけで済ませられる作業はどこがあったかなと思い浮かべながら、事務室の方に向かう。
作業室、事務室とは言ってもどちらも特段設備が充実してるような部屋ではなく、ただ単に仕事をする場所としてそう呼んでいるだけである。
お嬢様の作業室は少し大きめの机に色々な文房具類、タブレット端末や液晶タブレットに……大量の書類棚。
それに対し僕が仕事をする事務室はパソコンが数台とコーヒーマシンが置かれているくらいだろうか。
どちらの部屋も屋敷の一部で、僕達個人の部屋と殆ど変わりは無いし、同じ建物の中なのだけど。
さてと、今日の業務を始めよう。
***
「んー、これくらい片付ければ明日は少し楽できるかな」
事務作業を区切りの良い所で終えるとちょうどお昼時。
お嬢様の所に向かってお昼にしよう。
「お嬢様、失礼します」
作業室に入るとお嬢様は作業用の眼鏡をかけ、鉛筆を持ちながら回る椅子でクルクルと回っていた。
まるでそれは咲き誇る一輪の花のように。
「……何かの儀式ですか?」
「えっ、あっ、シオン!?」
咲き乱れるように赤く染まるお嬢様の頬を観察しながら言葉を紡ぐ。
「一度入り直しましょうか?」
「それはもっと恥ずかしいです……」
冗談ですよ、と笑いながら乱雑に散らかった机を見て難航しているんだなと判断する。
お嬢様の作業机はスムーズに作業が進行している時程キレイに整頓され、逆に難航すれば難航するほど何枚ものラフが積み重なり、ラフと何回もにらめっこしながら新しいラフを描く、と言った感じで。
「お昼にしますか?もう少し……」
回りますか?と口に出そうとした瞬間、敵意のない睨みを向けられたので笑顔で口を閉じる。
「でも食べる前にもう少しだけ考えたい……です」
「わかりました。では軽めの物を作ってきますのでお待ちください」
ありがとう、とお嬢様が返し、視線を机に戻したのを見届けると僕はキッチンへと向かった。
「うーん、軽くつまめるもの。サンドイッチかな」
サンドイッチなら片手間につまみながら考えることも出来るだろう。後片付けも楽だし。
そう考えながら一緒に持っていく飲み物を準備する。
倒しても盛大に零れないようにタンブラーを用意し、まずは中身を氷で満たす。
ここに後で蒸らし終わった紅茶を注げばアイスティーの完成。
蒸らし時間とお湯の沸く時間を逆算しながらサンドイッチを作る。
ちょうど二人分、いい感じに作れた頃合いで砂時計の砂が落ちきる。
「えーっと、ティートロリーどこやったっけ」
キッチンの横を少し調べるとティートロリー、簡単に言えば紅茶等を運ぶカートの様なヤツ。
それにサンドイッチとアイスティーを乗せて作業室まで運ぶ。
「お嬢様、出来ましたよ」
今回は回ること無く真剣にラフ画とにらめっこしていたお嬢様はこちらを向くと眼鏡を外す。
「あっ、外しちゃうんですか」
「シオンが眼鏡好きなのは既に聞いてますから」
誰だ、僕の密かな楽しみを奪ったのは。
「……そんなことより、お食事をお持ちしました」
「ふふ、ありがとう。じゃあ食べましょうか」
ティートロリーを挟みながらお嬢様とのランチが始まる。
「本当にシオンはお茶を淹れるのが上手ね」
「ありがとうございます、趣味みたいなもんですけど……褒められると嬉しいですね」
和やかに、かつ素早くお昼を済ませる。
お昼を済ますと僕は片付けに、お嬢様は着替えと外出の準備を始める。
「それではまたエントランスで」
僕は軽くなったティートロリーを台所に運び、すぐに食器洗いを済ませると自分の部屋に戻り外出の準備をする。
かばんに財布や携帯を入れ、部屋に鍵をかけエントランスへ向かう。
どうやらお嬢様はまだ来ていないようだ。
適当な壁にもたれかかりながら天気やニュースを何気なく見ているとお嬢様の足音がする。
「ごめんなさい、待たせてしまいましたか?」
「いえ、先程来たばっかりですよ。天気は良いみたいですね」
お嬢様は本当に普通と言うか。庶民的と言えばいいのだろうか。
ゆったりめのブラウスとロングスカート、まるで可憐な花が咲いたようで。
「シオン、どうかしました?」
見惚れてしまっていた。慌てて言葉を紡ぐ。
「いえ、お綺麗だなと」
「ふふ、ありがとう」
しかし本当になんら特別な物を使っている訳では無いのに。
こんなに素敵になるのは職業柄もあるのだろうが、それよりも――
「――素材がかわいいんだろうなぁ」
思考が勝手に言葉に出てしまう。それほどにお嬢様は美しいと言うより、かわいい。
「でしょう?新しい服なんですけど、買って正解でした」
幸いお嬢様は別の捉え方をしたようで。
――もしかしたら、別の立場なら。僕はお嬢様に恋をするものなのだろうか。
そんな事考えても意味はないけど、否定は出来ないかもしれない。
「さてと……行きましょうか」
お嬢様とお出かけとは言ってもそんな大した物では無く、リムジンやらといった車を使うわけでも無く。
他の人と何ら変わりのない。ただ歩いたり電車やバスを使い、たまにタクシーを使う程度だ。
身分はお嬢様とは言えど、豪華な生活を送ってるわけでもない。
屋敷の中に使用人は僕達しか居ないし、豪華なリムジンや御付きの運転手なんてのも居ない。
どちらかと言えばむしろお嬢様も僕もバイク乗り。お互い滅多に乗るタイミングは無いけども。
バイクは使用人の一人、所謂メイド長に乗せてもらったのがきっかけで乗るようになったとの事。
その時に経験したバイクでの旅は新鮮で楽しかったらしい。
……のだが、非常に運転が荒いらしくそれが自分で乗るきっかけにも繋がったという。
「あれは本当に、凄かったとしか言えない運転でしたから……」
苦笑を浮かべながら、それでもいい思い出ですよ、と付け足すお嬢様。
そんな雑談をしながら街を二人で歩いていると、いきつけの文房具店にたどり着いた。
お嬢様は元気よく僕をおいて店内に入る。
目を輝かせながら色々な文具を手に取ったり試し書きしたり。
こうなると一時間はお店に滞在することになる。文具店はお嬢様にとっては一種の楽園のような場所だ。
僕も色々と事務用品を買い足さないとなと思いながら店内を回る。
お嬢様はあれこれ売り場を忙しなく動いたり止まったりするので一緒に見ようにもどのタイミングで動くかもわからない。
最初の頃こそ合わせようと頑張ったが、今では諦めて僕は僕で自由に店内を散策してる。
……これは本当にお嬢様と使用人の関係なのだろうか、と思いながらもお嬢様も僕もこれが心地よいので多分大丈夫なのだろう。
数十分後。
「ねぇシオン!このペン凄いのよ!書き味が本当に気持ちいいの!」
お嬢様はお気に召した文房具を見つけ、宝物を見つけた子供のような。本当に素直な瞳で僕の元に戻ってくる。
無邪気に僕の手を取ってそのペンの試し書きを急かす。
「本当だ、これはとても書きやすいですね」
「でしょう?今日の収穫はこれで決まりです」
お嬢様はほくほくとした顔でペンのフルカラーセットをレジに持っていく。
おそらくはあのカラフルなペンはお嬢様の新しい仕事道具になるのだろう。
これは旦那様の性格と言うか。
あまり豪勢な暮らしをしたい訳ではないらしく、屋敷が大きすぎず使用人が少ないのもこれが理由である。
お嬢様も特に気になっていないと言うか、産まれた時からこうでしたからと話していた。
とても上機嫌なお嬢様を眺めながら街をさらに練り歩く。
「この後はどうしましょうか?」
お嬢様はくるりと振り返ると、これまた笑顔でこう答える。
「この前美味しいケーキ屋さんを見つけたの。だからよかったらそこに行きましょう?」
「えぇ、そこに行きましょう」
そう言えばケーキなんて久しく食べていない気がするな。
いつもお嬢様に出すお菓子はクッキーなどの簡単に食べれるものが多かったのもあり、心が弾む。
「あった!ここよ、シオン」
好きな物を見つけた時のお嬢様は素に戻るというか、なんというか。
無邪気な子供のように、透き通った水のように――とてもキレイだ。
今日何度目かわからないけど、見惚れてしまう。
「さぁ、入りましょう!」
強引に、そして優しくしっかりと僕の手を掴むとお嬢様はケーキ屋さんに入っていく。
ケーキ屋と言うより洋菓子店と言った方が正しい、しっかりとした店内。
まず僕達を出迎えてくれたのは大量のクッキーやキャンディ、マカロンと言った軽めの洋菓子。
その甘い誘惑を抜けると、ショーケースに並んだ大量のケーキがお出迎えしてくれる。
「うわぁ……これはすごいですね……」
定番のショートケーキや季節のフルーツタルト、大きなホールケーキ。
「ふふ、凄いでしょう?驚いて貰えてよかった」
驚いた、まさか近場にこんな場所があるだなんて……。
外に出ない訳ではないけどいつも決まった場所にしか行かない性格なのもあり、近場でも色々見落としている場所があるんだと実感する。
……世界は自分が見えてるものだけとは限らない訳だ。
「どれにしようかな……ねぇ、シオンは何にするの?」
僕は、と少し考えてから季節のフルーツタルト、と答える。
「そっちも美味しそうですね……一口だけ貰ってもいいですか?」
「えぇ、構いませんよ」
ありがとう、と笑顔で答えるお嬢様。
「私は、うーん……」
お嬢様の長考が始まり、そこからショーケースとにらめっこを何分か続けた後にお嬢様は一番『お嬢様』らしい行動に打って出た。
***
「で、その結果がこれ、と」
帰ってきたナズナとモモが苦笑しながら机の上に大量に置かれたケーキを見る。
「あの……どれも素敵で……」
申し訳無さそうな顔をしながら机の上に並べられたケーキを見つめるお嬢様。
「頑張って食べようとしたんだけどね、脳が糖分を否定してね」
「おにいの言ってる意味がわかんないよ……」
とは言いつつもケーキに興味津々な双子を見ながら飲み物を用意する。
結局今晩はケーキ尽くし。これはこれで楽しいな、なんて頭の中がシロップのように蕩けていく。
非日常のように見えて、これが日常で。
徐々に糖分にやられていくみんなを見ながら、この大切な日常を満喫する。
……もうしばらくケーキは見たくないな。
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