Sweet Confession
るなち
Sweet Confession
序章 - Overture
EP01 夜明け - Dawn
『もうすぐ夜が明けるけど、それでもこの手を離さないでいて』
絶望的な状況だった。
静けさの中には絶望、混乱、恐怖。そして何もかもを失ったかのような虚空。
様々な感情が錯綜し、絡み合い、ほどけなくなる。
そして、深く深く、思考が崩れていく。
深い深い海に沈んでいく誰かを見かけた。
あれは誰なんだろう、誰が沈んでいくんだろう。何もわからないまま、ひたすら漂う。
ゆらり、ゆらり。なぜここに居るんだろう。
そして、長い静寂の後に気がつく。
あぁ、あれは僕なんだ。そしてそれを見ているのは君なんだ。
それに気がついたとして、深く遠く距離は離れていく。
気がついてから足掻いても足掻いても、どうしようもなく深く深く、沈んでいく。
それが小さな泡の一つよりも小さくなり、認識できなくなる――。
***
「――っ!」
息苦しさと共に飛び起きる。
もちろんそこは深海でも浜辺でも無く、いつもと何も変わらぬ僕の部屋だ。
「なんだかわからないけど……嫌な夢だったなぁ……」
息を整え、軽く水を飲む。特段身体に何かあったわけでもなく、脈も正常だし熱もない。
時刻を確認すると……まだ夜明けまで時間はある。
お嬢様を起こしに行くにはまだまだ早いな、と再び布団に潜る。
アラームをセットし自ら眠りの海に沈みに行く……のだが。
……こう言う時、無性に感覚が鋭くなると言うか。
雨の音、風の音。時計の秒針に廊下の足音。寝ようとしてもなかなかその音で眠る事が出来ない。
……そのうち一つだけ止まった音があった。
「誰か部屋の前に居る……?」
廊下に微かに響く足音は、ちょうど僕の部屋のドアの前付近で止まる。
そしてその静寂はすぐ別の音に変わり打ち破られた。
コンコン、とノックの音。
「シオン、起きてますか?」
……お嬢様の声だ。すぐに布団から出る。
起きてますよ、と返事をしながら扉の元に行く。
それにしても珍しい。こんな朝早くにお嬢様が起きているだなんて。
普段からお嬢様は朝がとても弱く僕が起こしに行くまでは必ずと言っていいほど寝ているし。
起こしても数分間は暖かなひだまりに包まれている時のような表情で寝ぼけながら少しずつ起きていくと言うのに。
扉を開ける。
少し小柄で、肩まで伸びたキレイな茶色の髪をした女性。
……僕が仕える、お嬢様。
「おはようございます、どうかされましたか?」
「いえ、なにもないんですけど……夢を見て」
夢、ですか?と聞くとお嬢様はさっきまで見ていた夢の内容を僕に語る。
それは、まるで……さっきまで僕が見ていた夢の様な。
「とりあえず、お茶でも淹れましょうか」
お嬢様と共にキッチンに行く。
今日は何を淹れようか……と少し悩みながら棚を開く。
まだ普通に起きるには早いし、もう一眠り出来るように、カフェインの入っていないハーブティーを淹れよう。
二人してこんな時間に奇妙な夢で起きたんだ。これで少しリラックスしてお嬢様も二度寝出来るだろう。
と、カモミールの入ったケースを取り出すともう一人キッチンにやってきた人間が居た。
気だるげにキッチンに入ってくるのは――。
お嬢様とは対象的に短髪で、少し髪がハネている少女。
僕と同じくお嬢様に仕えるその子は、ナズナ。
「おはよう、ナズナ」
おはよ、とぶっきらぼうに頭をかきながらキッチンに入ってくるナズナ。
そしてお茶を淹れようとしてる僕を見ながら一言だけ。
「じゃ、私の分もよろしくね」
ナズナは対面のカウンターに座るとすぐにモードを切り替え、お嬢様に接する。
「……それにしてもお嬢様、今日は早起きですね?何かありましたっけ?」
「いえ、なぜか早く起きちゃって。ナズナも?」
はい私もです。と答えながら、妹の方は寝てるんですけどね、と付け足す。
この屋敷に使用人……とでも言うのだろうか。そう言う存在は僕とナズナの他にあと二人。
ナズナの妹ともうひとり、メイド長……のような人。
そしてお嬢様と旦那様。合計六人が住んでいる。
「ナズナも深海の夢でも見たのか?」
これでもかと沸騰するお湯をポットに注ぎながら砂時計をひっくり返し、ナズナに問う。
「なにそれ、新しい映画か何か?」
「違うならそれでいいんだけど」
逆に何なのさ、と食いつくナズナにお嬢様が説明する。
僕の時とは逆に真剣に聞き入るナズナを横目で見ながら蒸らし終わるのを待つ。
「なるほど、それで早起きだったんですね」
「そうなの。で、誰かを起こそうと思ったけど……確か二人は今日から学校でしょう?カリンは今日は居ないし、それでシオンの部屋に先に向かったの」
と、説明しているとちょうどよく砂時計の砂がキレイに落ちる。
カウンターにトレイを起き、自分も反対側に向かい腰掛ける。
三人分のカモミールティーを淹れ終わった後でナズナがお嬢様に呟く。
「今日は日曜日ですので学校はありませんね」
あれ?と言った顔をするお嬢様。やはり朝には弱い事に変わりは無いようで。
「……いや、別にシオンでも私でもどちらを頼っていただいても構いませんが、どちらかと言えばシオンの方が楽かと」
ナズナに楽ってなんだ、と食いつこうとすると、妹がね。とすぐに説明を入れる。
あぁ、確かにあいつが居るとめんどくさい気もする。
「それにしても……。夜明け前に三人で起きちゃって、これから寝るのももったいない……なんて思いませんか?」
お嬢様がふと呟く。
「確かにもったいないですね。寝直しても構わないと言えば構わない……とは思いますが、どうします?」
ナズナとお嬢様はうーんと考え出す。僕も何かないかとぼんやり考える。
夜明けまで、もう少し。
***
「――朝ってこんなに空気がキレイなのね」
お嬢様がぐーっと背を伸ばしながら歩く。
僕達は暗い空が少しずつ明るんでいくのを見ながら近くの公園まで日の出を見に散歩しに出た。
「お嬢様は朝に弱いですもんね」
ナズナが先頭を歩き、時折こちらを覗きながら話す。
「むしろナズナやシオン達が早起きできるのがおかしいんです!」
ぷくーっと若干ふてくされるお嬢様を見てふふ、と二人で笑うとそれを見たお嬢様も笑顔になり、空と同様に深海で凍えきった心が少しずつ明るんで、溶けていく。
「僕も元々は弱い方でしたよ?叩き起こされるのに慣れて先に起きれるようになりましたが」
そんな事を話していると公園にたどり着く。
湖に面した公園で、朝日を見るには最適の場所。
「よかった、まだ明ける前ですね」
数十段の階段を軽快に駆け上がったナズナが笑顔で手招きをしている。
それを見たお嬢様が、僕にだけ聞こえるようにぼそっと呟いた。
「あの子も……ここまで明るくなってくれて、よかったです」
「もっと輝きますよ。ナズナ達は」
……自分と相対的に見て。
「登っちゃいますよー!お嬢様ー、シオンも急げー」
急かすナズナを追いかけつつ、お嬢様と一段ずつ足を踏み外さないように丁寧に階段を登る。
――朝焼けが、僕達を包む。
滲むように、空を蝕む闇を溶かし尽くすように。
空は明るく、明るく。新しい一日を告げる。
「……安心した」
お嬢様が朝露のように静かな一言を零した。
「何かありましたか?」
慌てて尋ねると、お嬢様は少しの沈黙の後、はっとした顔で僕達の顔を見て微笑む。
「夢が怖かったから……こうやって、ちゃんと私の隣に居てくれる人が居るんだなって思って嬉しくて」
お嬢様が少し照れながら話すとナズナが妙な横やりを入れる。
「お嬢様、それは伴侶を見つけた時に話す言葉かと思いますが、シオンで良いんですか?」
「っ……!」
声にもならないような、なんとも言えない音を出しながら照れていくお嬢様。
「あ、私でももちろん構いませんよ?」
「なっ、ナズナっ!」
すみません、と笑みを零しながらお嬢様に謝るナズナ。
とてもとても幸せに満ち溢れた空間がそこにはあった……のだが。
「……寒いね」
思いつきのままとりあえず外に出て。歩いてるうちはまだしも、座って話していると春の夜明け前の風はやはり身体に刺さる。
とは言えどもう少しすれば桜も咲くだろうし、だんだんと暖まってくるのだろうけど。
「じゃあシオン、なんか飲み物買ってきてよ」
ナズナが椅子に座り脚をぷらぷらと動かしながら自動販売機を指差す。
「はいはい……お嬢様は何を?」
「えーっと、じゃあ紅茶をお願いします」
私はなんかはちみつレモンのー、と後ろから聞こえて来るのを背に自動販売機に向かう。
ガタン、ガタン、ガタン。
三本の飲み物を買った後に気がつく。これ持てないんじゃない?
温かい飲み物なのでポケットに入れたり出来ない訳で。
「その結果が服をたくし上げる形になったのね」
「そうなるね」
うまいこと上着を手前にめくり飲み物を乗せ、ベンチに戻る。
「なんだか昔を思い出しますね、ナズナ」
「……あぁ、そうですね」
昔の事……?
僕はナズナよりも後にお嬢様の所に来たから、その前に何かあったんだろう。
ただ、ナズナの顔が先程に比べると薄っすらと、しかし確実に陰っているのがわかったのでそっとする。
「……さーて、お屋敷戻りますか」
お嬢様とナズナの手を半ば強引に握ってベンチを立つ。
そして階段を下り、人が増えてきた街の中を歩く。
いつしか強引に引っ張っていた手は、お互いの意思で繋がれる。
屋敷に戻ると自然にその手は解ける。
微かに残された温もりは僕達が繋がれていた事を物語っていた。
***
コンコン、とドアをノックする。
はぁい、と蕩けた声色の返事が帰ってくる。
「お嬢様、おはようございます」
ドアを開け、ゆったりと起き上がるお嬢様の近くに向かう。
「ん、おはよう……シオン」
お嬢様が目覚めた時の表情は非常に甘美な物で、蕩ける宝石とでも表現すべきか。とても可愛らしい表情で僕を見る。
そこから少しずつ意識が覚醒するにつれ、段々表情も固まっていき、眩い宝石に変わる。
「……よし、大丈夫です。今日も頑張りましょう!」
さぁ、今日も一日が始まる。
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