005
ケイはハッと声を出し笑った。
「ついに到達したのかよ。あー地獄だったぜ。俺しか知らねえはずのことを逐一報告されるしさ。テレビとは会話ができる。ポケモンGOだって暗号を提示してくる。うんざりだ。いつ終わるのかと思っていた。やっと終わるのかよ。質問に答えよう。
俺は人間だ」
人間。
世界を超えてようやく会えた。
「あ、あの新町キャンパスの食堂で少しお話しませんか」
私はあわてて提案した。
彼はフッとまた鼻息を鳴らして答えた。
「俺ももちろんそうしたいね。ちなみに俺のことはケイでいい」
私は一瞬何のことか分からなかった。きょとんとしてしまった。
「ははっ。呼び名だよ。下の名前、ケイで呼んでいいって言ってるんだ」
ケイはおおっぴろげな性格だった。
ケイとは対称的に私はまだ本名を名乗れずにいた。
そういうわけで、私たちは新町キャンパスの食堂に来ていた。
「俺はミールがあるからよ、奢ってやるよ」
とのケイの計らい。
私は焼きプリンタルトを八個お盆に乗せた。
ケイのお盆がひっくり返る音がした。
ケイの行動の意味はわからないけれど、ついでにサラダと佃煮もお盆に乗せた。
私が席に着いた頃、ケイが恐ろしいまなざしで私を見ていた。
「お前、やっぱり人間じゃねえだろ」
さすがにこの言葉にはムッとした。
人間探しの最中の私が人間を否定される?
たかが焼きプリンタルト八個食べるくらいで?
「私の名前はお前じゃない。私の名前はメル・アイヴィー。
愛称はメル。
ミライヴィーじゃないからね。繋げて読まないでね。ミロでもないからね。どこかのカルシウム粉末と同じにしてもらっても困るわ」
打ち解けるには冗句が必要だ。
以下の冗句は果たして通じるか。
「もしかしてプリンのことで驚いてるの? リボンという少女漫画雑誌で読んだわ。『少女とは神秘の胃袋を持った子猫ちゃんのことですって』」
「それは少女漫画雑誌リボンではなくて、少年漫画雑誌ジャンプの中の作品、リボーンに出てくる
通じたか。
これでお互い打ち解けたと思われる。
だから本当のことを話そうか。
「私の名前はメル・アイヴィー。実は別の世界から来たの。そこで、いわゆる統合失調症になっちゃって、耐えられなくなって崖から飛び降りたの。そしたら……塩嶋さくらとしてこっちの世界にやってきたの。統合失調症を
「ふーん」
全く驚いていない。
その反応で分かる。ケイもまた普通でない人生を歩ませられているということを。
あり得ない常識を過ごしているということを。
「自殺しちゃったんだね」ケイはぽつりと言う。「強いんだなメルは」
強い? 私が?
「それと同時に無関心すぎるのかもね。メルはこう考えたことはないの? 自分が死ぬのと世界が終わるのとが同じだっていう風に」
「いや、一回も」
関係ないでしょう。世界と私なんて。
「観測者がいなくなったらさ、この世界あってもなくても変わらないんじゃないかって。統合失調症になって、まるで世界の中心のように扱われるようになってそう気が付いたんだ」
だから、僕は自殺しない。
世界を滅ぼすことと同義だから。
ケイの言葉が私に突き刺さる。
ならば私のいた世界は。
今頃は。
「こんにちは」
ふと。
なんの前触れもなく。
灰色の山高帽をかぶりステッキを携え、仮面をかぶった人間らしきものが、私たちの前に現れた。
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