004

 実験主体のアカデミーとは違い、座学が延々と続く講義地獄。


 中間テストというよくわからない、得体のしれない化け物が襲ってくる六月のことだった。


 湿っぽい雨が降っていた。

 新町キャンパス独特の新築の臭いが漂っていた。


 彼に出会った。


「どうして人間が一人もいないんだ!」


 心の底から這い出るような、それであまり人に聞かれないようにすごめた低く響く声で。


 黒のオーバーを着た男はすれ違った。


 私は思わず、オーバーに手をかけた。


 男の眼はすでに腐れていた。視点が合わない目で私を見た。


 が。物理的な事象が起こったことに驚いたのか、少し目を見開く。


 と同時に彼は笑った。


「どちらさん?」


「あんたの言葉を聞いて思わず止めました。私の名前はさくらと言います」


「あーそうかい。もううんざりなんだ。そうだな今日六月三日、誰かと出会うと言っていたな。それがお前か。じゃあ名のろうか。俺の名前はケイだ。ココロネ、ケイ」


 ココロネ、という言葉で漢字が思い浮かばない。


「心に音だ。実家が寺なんだ。ところであんたの恰好かっこうすごいな」


 恰好。

 いつか言われると思っていた。

 なのに誰も二ヶ月経っても一度も指摘をしてこなかった。人間が一人もいない証拠だと思った。

「このチョーカーは……大事なものなの。あと、いつも帽子をかぶっているのは」


 私は帽子を脱ぐ。編み込んだ髪の奥にリボンを仕込んでいた。


「このリボンを隠すためのもので。このリボンも大事なもので……あの訊きたいのですが」


 私は矯めて訊いた。


「あなたは人間ですか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る